日記189日目
ロゼライアの月29日。
今日は初めてクロエのお姉さんに会う日。
いつも美味しいお弁当貰ってるから、今日はちゃんとお礼を言う!
クロエは「すぐに調査を終わらせます!」って意気込んでたけど、アイツは「終わるのにかなりかかるだろう」って言ってた。
確かに担当者も殺されちゃうような事件だし、かなり物騒で危ないよね…
でもクロエは近衛隊の隊長だし、大丈夫だよね??
ちょっと心配。
え、まさかこの状態で?
そう自分を小脇に抱えたまま微動だにしない男をちらと見たサティリナの前で、恭しく頭が下げられた。
「皇女殿下に置かれましてはお初お目にかかります。
クロエ・ヴァン・ローバントの姉、エルリア・フォーランドと申します」
小柄な身体を包むのは他の侍従たちと同じお仕着せであり、くすんだ金髪は綺麗に後頭部で纏められている。
ゆっくりと上げられた顔には弟と同じオリーブの瞳が輝き、目が合えば優しく細められた。
クロエの五歳上だと聞いているが、その風貌は十代だと言われても納得できるほど愛らしかった。
「こ、皇女のサティリナです……」
そう一応の挨拶として返したが……未だ解放されていないので身の自由が利かない。
マナーもへったくれもない残念すぎる初対面にサティリナは内心で泣いた。
エルリアは気にしていないのかもう一度にこりと微笑み、ちらと東屋の中を見た。
既にそこには丁寧にセッティングされた昼食が並んでいる。
「わー……すごい」
思わず感想が零れてしまった。
今日はテーブルクロスがかけられていたり、飾りの花まで生けられている。
見たことのない華やかな昼食に目を輝かせていればエルリアが「ご用意は整っております」と男に対して小さく頭を下げた。
「……ああ」
男の拘束が緩んだのを感じ、すぐに抜け出す。
降り立って身体を伸ばしたりしている間にも男は先に席に着いた。
「殿下もどうぞ」
そう優しく差し出された手を伝い、見上げた先にはエルリアが天使のような微笑みを湛えていた。
「あ、ありがと……えるりゃ」
そしてそれに気を取られていたからだろうか。盛大に噛んだ。
噛んだ本人であるサティリナは顔が熱くなるのを感じ、エルリアはきょとんと目を瞬かせていた。
「お前はよく噛むな」
離れていたというのに男にまで聞こえていたらしく、小さく笑ってきた。
「っ~~~!! そ、そんなに噛んでないもん!!」
「ではお前の名を言ってみろ。三回だ」
「うっ……い、今練習中なの! もう! おじさん、うるさい!」
顔を真っ赤にして反論していたサティリナにエルリアが苦笑し、背を押される形で席を進められた。
今日は個人がけのイスだ。そしてその数はクロエのときと同じように三脚ある。
と言うことは――
「えっと、エル――る、ルリィがここだよね!」
彼女はクロエの代わりであるらしい。
ならば彼の代わりに自分の隣に座ってくれるはず。そう期待を込めてエルリアを見た。
「ルリィ?」
男が不思議そうに繰り返した。
当の“ルリィ”と突然呼ばれたエルリアも目を瞬かせており、サティリナは気まずくなりながらも理由を告げた。
「それだったら……噛まないし……だめ?」
男の方を見れば絶対に馬鹿にされるので見ようとは思わない。
その代わりにエルリアを見上げれば少しして「いいえ」と静かに首が振られた。
「殿下に名を付けてもらえるなんて、とても嬉しく思います」
「ほ、ホント!?」
「はい」
にこやかに頷いたエルリアは「失礼いたします」と断ってから丁寧に座った。
ちゃんと許可を貰った事をアピールするために男を見れば、どこか面白くなさそうに男が鼻を鳴らしていた。
食事のときもエルリアは優しく、サティリナの手を拭いてくれたり「おいしい!」と喜べば「ありがとうございます」とにこやかに礼を言っていた。
見ているだけでも癒されるエルリアの存在はサティリナにとってもかなり嬉しい。クロエが前に『自慢の姉なのです!』と力強く宣言していた通りであったと納得した。
和やかに過ぎると思っていた昼食だが、男と食を共にしている限りそうはならないのだろう。今日も今日とてデザートをいつの間にか増量され、頬を膨らませた。
「もぉー!! だから、そんなに食べれないの!!」
「お前は鼠から牛になったのか?」
「ちっがーう!! 増やすの止めて! お腹痛くなるでしょ!?」
「たかが一切れで痛めるか」
「されど一切れよ!
痛くなったらせっかくのルリィの料理が台無しになるでしょ!」
サティリナと男にとってはいつもの光景なのだが、今日はそれを初めて見るエルリアがいる。はっと気づいて振り返れば「ええと」とかなり困惑していた。申し訳ない。
しかし事の発端は全て男が原因であり、サティリナは何もしていない。
これ以上追加されてたまるか、と皿を持ち上げ、男から遠ざけてからサティリナはフルーツを少しずつ食べ出したのだった。
昼食の後は男は持ってきている書類に追われ、いつもならサティリナはそれを眺めたり昼寝をしたり、クロエと話したりしていた。
今日はその弟の代わりにエルリアがいる。色々とまた違った話が聞けるかもと食後のお茶を飲みながら熱心に話しかけていた。
「じゃあルリィとクロエは別々に住んでるの?」
「はい。私は侍従用の部屋がありますし、弟は近衛隊の宿舎がありますので」
「へー!」
つまりは自分の知らない施設がまだまだあるということなのだろう。
未だ見ぬ場所に目を輝かせていたサティリナは「そういえば」と気づいた事を聞こうと思った。
「ルリィは“フォーランド”だけどクロエは“ローバント”だよね?
どうして姉弟なのに違うの?」
クロエからもエルリアからも二人は姉弟だと聞いている。
しかし家名が違っていることが少し気になっていたのだ。
「弟の“ローバント”姓は過去に功績が認められ、分家として独立した際に賜ったものなのです。
騎士爵ですけれど、侯爵としての爵位も賜っているんですよ」
「すごーい! ってことは、ローバント侯爵?」
そのことはエルリアも誇らしいのか「はい!」ととても嬉しそうに頷いた。
サティリナの前ではかなりの醜態を晒しているクロエだが、実力は高いようだ。
「でも今回の事件、そのクロエでも大変なんだよね……?」
そうサティリナが男を見れば、「さあな」と男が口を開いた。
「それはあれ次第だ。何かにつけて手を抜く癖があるからな」
「え、そうなの?」
呆れたような声に是非を求めてエルリアを見れば、彼女も思い当たる節があるのか苦笑していた。どうやら本当であるらしい。
「運が良ければ、宴までには成果を上げるだろう」
「うたげ??」
それは飲めや歌えやのあの“宴”のことだろうか。
疑問に答えたのはエルリアであった。
「“夏候の宴”と呼ばれるパーティが、もうすぐこの庭園で開かれるんです」
「パーティ!?」
そんなもの去年はあっただろうか。そう自分の薄い記憶を掘り起こしてみるが、過去の“皇女”に取ってはどうでも良かったのか記憶にはなかった。
「下らんご機嫌取りだ」
そう吐き捨てるように言った男の眉間には僅かに皺が寄っており、かなり気に食わない催し物であることが分かる。
「それって……」
「その宴はお妃様方が皇帝陛下の御世を讃えるために行ったのが始まり……だったのですが、今は意味が少々違ってきているのです」
それは良くある話のようにも思える。始まりはれっきとした行事であったものが、世代を超える過程でその意味を変えたり、解釈の違いから別の物になったりしたということだ。
「ええと、つまり……
皇帝陛下に対するものだったのが、妃たちへのご機嫌取りになったってこと?」
男とエルリアの話を纏めればそういうことなのだろう。
しかし想像の中の皇帝が妃たちのご機嫌を取るようには思えなかった。
と言うことは、その“ご機嫌取り”に奔走するのは周囲ということか。
「おじさんも出るの?」
「…………」
主役は皇帝と妃たちのようだが、嫌な顔をしているということは彼も出席しなければならないということか。そう思って尋ねれば答えの代わりに眉間の皺が深くなり、纏う空気が更に重くなった。
男にとってはかなり嫌なものであるらしい。つまりは彼が妃たちのご機嫌取りに奔走する役回りと言うわけなのだろう。
そう言えば今の黄昏宮では妃たちが着飾ることに余念がなくなってきている気がする。
毎日のように行商人を呼び込んでいるし、宮の中に持ち込まれる貴金属や衣装の類も多くなっている。
それらはおそらくその宴のための準備なのだろう。
豪華に飾った妃たちと、それに囲まれる皇帝……
未だに実父の顔も名前も知らないサティリナが想像できるのは、いつも見かけている妃たちだが……彼女ら全員が本気で着飾った光景は華やかを通り越して目が痛そうだ。
化粧で臭いも凄いだろうし……それに巻き込まれるのは確かに大変そうだと思った。
そして彼女らは貴金属並みに、見目の整った男も好きだ。
皇帝がいるのならそれほどがっつかないのかもしれないが、以前にクロエがその餌食になりかけていたのだ。それを思えば目の前の男だってその標的になるのだろう。
何せ彼は自分と同じ皇族で、皇帝自ら次期皇帝にしたいと思われている優良株なのだし。
「……何だ」
あれこれと考えている間、どうやら男を見つめ続けていたらしい。
不機嫌そうに尋ねられたサティリナは答えようかどうしようか迷った末に会話することにした。
このまま問い詰められる過程でナイフを投げられても困るので。
「おじさん顔は良いから、大変なんだろうなーって」
「…………は?」
サティリナの言葉は予想外だったらしい。
珍しく目を丸くする男が面白かったが、自分で言った言葉も少し恥ずかしく感じ、慌てて付け加えた。
「言っとくけど“顔だけ”だからね! カッコイイの顔だけ!
性格は最悪なんだから!」
そう言いきり、誤魔化すようにお茶に口をつけた。
エルリアが淹れてくれたお茶は仄かに甘くて美味しい。ソーサーに添えられていたクッキーを放り込めば控えめな甘さがお茶に合っており、すぐに恥ずかしさなど吹き飛んでしまった。
「おいしい!」
上機嫌で感想を述べればエルリアが「良かったです」と嬉しそうに笑った。
「…………」
前方からの圧倒的な威圧感にはっと男を見れば、かなり険しい顔つきになってサティリナを睨んでいた。え、もしかしてもの凄く怒った……のか!?
「な、何よ……」
しかし男に対して怯える気もなく、むっと顔を顰めながら負けじと睨み返す。
「あ、新しいお茶を淹れましょうか……?」
「「…………」」
そう気を利かせたエルリアが提案してくれたが男は全く反応せず、サティリナも視線を外すことが出来ずに膠着状態が続いた。
「……笑え」
「何で!?」
「では泣け」
「いや!!」
結局よく分からないまま口を開いた男からはいつもの言葉が飛び出し、サティリナもいつものように怒りながら言い返しはじめたのだった。
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クロエのお姉さんのエルリアは凄く美人だった!
お姉ちゃんとはまた違った感じの美人で、とっても可愛くてとっても癒しタイプ!
私とアイツの言い合いを初めて見て、凄く戸惑ってた……申し訳ない。
でも全部アイツが悪いからね!?
どうやら近々「かこうの宴」ってのがあるみたい。
たぶんだけど夏だし「か」は「夏」って書くんだと思う。
こう……季節の意味の「候」かな。たぶん?
太陽宮の庭園で皇帝が妃たちとキャッキャウフフするらしい。
確かに本人たちは楽しいかもしんないけど、周囲の人たちは大変そう。
それにはアイツも巻き込まれるらしくて、その話になると凄くイライラしてた。
まあ、気持ちは分かる気がするけどさ……
あ! ってことは、妃でもあるお姉ちゃんもすごいドレスとか着るのかな!?
行商人は来てないっぽいけど、でも妃だからそうだよね!?
ちょっとそれは見てみたいかも。
明日聞いてみようっと!