日記138日目
リリベルの月9日。
黄昏宮の花はもうすっかり初夏のものになった。
太陽宮の花もそうなのかな?
相変わらずアイツは捕まえた後の私をどこにも行かさないようにしてくるけど、頼み込んだら花くらいは見て回れるかな。
ちょっと試してみようっと!
意気込んで庭園へと向かったサティリナであったが、今日は重要な会議があるらしく男はいなかった。
久々にクロエと二人で庭園を巡ることになり、久々の自由感と咲き誇る初夏の花々に顔を輝かせていた。
既にクロエの怪我は完治しているらしく、彼も元の騎士服に戻っている。
しかしその装いも夏の物であるらしく触らせてもらえば薄手の生地で出来ているのだとわかった。
『後は私やへい――あの方ぐらいになりますと、魔術で体温調整もできるんですよ!』
そう自慢げに説明してくれたクロエ。
しかしよく聞けばどうやらこの周辺地域は夏でも比較的過ごしやすい気候であるらしく、日差しにさえ気をつけていれば倒れたりすることは少ないのだという。
前世を思い出してから初めての夏を迎えると言う事もあり、その話を興味深くサティリナは聞いていたのだった。
「クロエ、クロエ! 次はあっちね!」
久々に開放的な空気の中、クロエに抱っこされた状態でサティリナは行きたい方向を指差した。
勿論クロエは花に関する知識はあまりないようなので、事前にレーティアから聞いていた名前や花言葉などをサティリナが披露し続けている。
それでもクロエは楽しいらしく、笑顔で説明を聞き続けていた。
その理由は『最近はあの方とばかりお話されていて、寂しかったんです』と聞いてもいないのに教えてくれた。聞かされた方としてはどう答えて良いかわからず反応に困ったサティリナであった。閑話休題。
「そう言えば、そろそろ雨季なんだよね?」
これもレーティアから予め聞かされていた情報である。
前世でも確かに夏の前には雨季――“梅雨”があり、長雨を超えて夏本番が始まっていた。
「はい。サティ様は雨が苦手なのですか?」
「んー……お外に出れなくてつまんなくはあるけど、嫌いじゃないよ。
あ。そう言えば雨季の間って勝負はどうなるんだろ……」
「あー……」
サティリナが空を見上げクロエも同じように見上げた。
今はまだその時期でないため雲はあっても晴天と呼べる青空が広がっている。
その日の勝負の有無を決めるのはサティリナではなくあの男だ。
そして毎日のように勝負と言う名の“恐怖の鬼ごっこ”をしている身としては……雨天という理由だけであの男が休むとは到底思えなかった。
更に言えば吹き荒れる暴風雨の中でも理由をつけて決行しそうである。
何かの作品のように吹き荒れる雨風の中で睨みあう二人……端から見れば変な光景なのにありえそうだと思えてしまう自分が怖い。
不毛な想像から逃げるようにサティリナは庭園の花々に視線を移した。
あいつの事を考えて悲観に暮れるより、今の自由を満喫しよう。そう気持ちを切り替えようと思ったときだった。
「――開始」
「え」
どこからか冷ややかな声が聞こえたかと思えば、急に後ろから思いっきり引っ張られた。
「なっ!?」
驚くクロエの腕からするりとサティリナが抜き取られ、その先は――
「お前の負けだな」
そう突如終了宣言を告げたのは右手でサティリナの後ろを掴みながら、左手に持っていた懐中時計の蓋をパチンと閉じた……男であった。
驚きで固まっていたサティリナであったが、我に返ると思いっきり手足を動かした。
「え、ちょおお!? なんっそれズルくない!?
私地面に立ってすらなかったじゃん!! 仕切りなおせーー!!」
「黙れ。油断したお前の負けだ」
そうぴしゃりと言い切った男の眉間はいつにも増して――いつもが微々たるものなのだが――皺が深くなっている。それを見たサティリナは言動も相まって更に苛立った。
「何よそれ!?
いつもはちゃんと集ってから勝負してんじゃん!!
今機嫌悪いからって、私に八つ当たりすんなあーーーー!!」
「……」
男から逃れようと身を捩じらせていたサティリナ。
それを見ていた男は何を思ったのか急に持っていた右手を引き上げた。
「えっ」
ぐん、と背中から重力がかかり、地面が遠ざかる。
まさかぶつけられる!? その危機感がサティリナの身を強張らせた。
「お、お待ちください!!」
クロエもただならぬ気配を感じたのか男を止めようと動いた。
その間にも背中から男の手が離れたのか、一瞬の浮遊感の後、重力に従って自身が下にひきつけられるのを感じた。
落ちる……! 思わず目を閉じてしまった。
が、奇妙なことに衝撃を受けたのは腹回りや腰周りだけであった。
「ぐにゃっ!?」
何故に? という疑問がサティリナから力を抜いてしまい、圧迫された腹の衝撃が喉から変な声を漏らしてきた。
何が。そう思って目を開ければ自分は未だ地面から離れており、左隣に大きな気配を感じた。
まさか。そう思って視線をずらせばそれは男だった。
今日は会議があったからか、その服は普段の楽なシャツとズボンではなく、きっちりとした軍服のような装飾の多い服装になっている。ってそうじゃない。
自分の腹回りを押さえているのは男の腕であり、いうなれば小脇に抱えられる状態となっていた。
「ちょ、ちょっとお!? 放してってばぁ~~!!」
慌てて抜け出そうと手に力を込めて押したり、足をばたつかせるが全くびくともしない。
腹が立ったので鍛えられた腕を叩けば反撃として絞められ思わず「ぐえ」と喉の蛙が鳴いた。
「フッ……」
一瞬で緩んだそれが余裕を見せ付けられているような気がして頬を膨らませていれば、そんな嘲笑めいた笑いが聞こえた。
コイツ! そう思って見上げるも既に男は別の方を向いていてその顔は見えなかった。
「今日はどこだ」
「え、あ、は、はい!」
その間にも男はクロエに今日の東屋へと案内をさせ始めていた。
「だから放してってばぁ~~~!!」
そんな悲痛な皇女の叫びは、もちろんのこと華麗に無視されたのだった。
~~~~~~
今日のアイツが不機嫌で、すごく私に八つ当たりしてきた。
私はアイツのためのオモチャじゃないっての!!
しかもやたら「笑え」って命令してくるし!!
だから何もないのに笑えるかーーー!!
そんなにもおかしくなった私が見たいのかアイツは!?
今日もすごく腹が立ったから、不貞寝してやった!
起きたらアイツがいなくなってて、クロエに聞いたら「呼び戻された」って言ってた。
仕事抜けてきたの? 何しに来たの??
ワケわからん!