日記128日目
ブローフの月29日。
今日からアイツの言い出したルール適応するみたいだけど、どうするつもりなんだろ?
時間の概念はあるみたいだけど、計れるような時計とかあるのかな?
まあ、どっちにしても私が疲れることに変わりないんだけどさ……
いやいやダメだ!
これには私の一年後の未来がかかってるんだから!!
それは昨日に少し遡る。
この日もバテて捕まったサティリナに男が『早すぎる』『もっと体力を付けろ』『お前は亀か』とあれこれ難癖をつけてきたため、
『うるさーーーいっ!!
大体決まりも何もない、ただの追いかけっこでしょ!?
どこで私が休もうがおじさんには関係ないじゃん! 私に良い事ないし!!』
といつものように大声で怒ったのだ。
最近はいつもこの調子なので、そのうち若いのに頭の血管が切れるのではと少し心配になってきたサティリナである。閑話休題。
いつものように『下らん』の一言でこれも一蹴されるのだろう。
そう思っていたサティリナに対し、珍しく男が考えるように顎に手を添えた。
『確かにな。――では条件をつけてやる』
『え』
『五分だ』
男が分かりやすく手を開いて見せた。
『それって……』
『五分間、お前が逃げ切ればお前の勝ち。無論、俺に捕まった時点で負けだ』
突然の制限時間の導入であった。
『そ、それは良いけど……』
時間が決まるだけでも精神的には楽になる。
いつまで追いかけられるか分からない恐怖はなくなるのだ。
一気に簡単になったな。と男にしては珍しい譲歩に感心していたのだが……
『今日より一年間、一度でもお前が勝てなければ――死ね』
あっさりと告げられた死刑宣告に、自分の顔が引きつるのを感じた。
『は……い??』
『良かったな。
動き次第でお前はお前の命が買えるんだ。安いものだろう』
そう男から嘲笑され、その瞬間にサティリナは男に対する認識を改めかけていた自分を恥じたのだった。
危険人物はどう足掻いても危険人物だったのだ。
そしてその突如決まったルールが適応された初日。
サティリナは魔術を使わずに男の目の前に仁王立ちしていた。
とはいえ小さな身体で男を見下ろすことは出来ない。
いつもの腹の立つ端整な顔を見上げながら「で?」と口を開いた。
「時間計ることになってるけど、どうやって計るのよ」
「これだ」
そう言い、男の手から落ちるように姿を現したのは銀色の円盤のようなものだった。
落ちる! と一瞬慌てたがそれは細やかな同じ銀のチェーンが付いていたため落ちることなく、伸びきると振り子のように揺れていた。
丸い膨らみを持つそれを興味深く見ていれば、男に差し出された。
恐る恐る受け取ればすぐにチェーンも手放され、さらさらとした感触が手の中に収まった。
ずっと握っていたのか仄かに体温の移ったそれは化粧品のコンパクトにも見えなくない。
大きさは丁度サティリナの手に収まるぐらいだ。
「開けてみろ」
「え、うん……」
膨らみのちょうど真ん中あたりの割れ目に引っ掛け、開けたところでようやくそれが何か分かった。
「わぁ……!」
細かな歯車が後ろで秒を刻み続けている――懐中時計。
文字盤の字は見たことないが、ほぼ前世の時計と同じ形なので数字として読み取れそうだ。
装飾はなくシンプルなデザインだが、ずっと動き続けている歯車たちは見ていて飽きそうにないと思った。
「おじさん、おじさん! これ凄くカッコイイね!」
「…………」
精巧なカラクリに興奮したサティリナがそのままに男を見上げれば、なんとも言えない微妙そうな顔になった。
そんなにも私の顔が輝くと変か。と若干苛立ちもしたが、それよりも時計が気になり、すぐに目を落とした。
よく聞けば秒針の動く音がして、その微かな振動も手に伝わってくるようだ。
「別に普通の時計だろう……」
「私、こういう歯車とか見えるの好きなの!」
呆れたような男の声にそう反論する。
自分よりもずっと小さなものが集って動くのは不思議で、それがやがて大きな物を動かしているのだと思うと何故か興奮してしまう。前世からそう言ったものが好きで、模型なども好きだった。その感性はどうやら今世まで引き継がれているようだ。
人の趣味だ放っておいて! という意味合いを込めて言えば、男が懐から同じものを取り出した。おそらく時間を計ると言った張本人ということもあり、きちんと同型の物を用意していたということなのだろう。
「あいつは純銀だと言っていたが……」
時計を怪訝な顔で見ながら言った男の言葉に、サティリナは固まった。
純銀――つまりは、これは銀で出来ているということなのか。
前世でお目にかかれるような代物でないと分かり、混乱した。
シンプルながらも作りは丁寧だと思われるそれは果たしていかほどの値段なのか……いや、怖くて聞きたくない!
というかどうしてそんな高価なものがこんなところに――ってそう言えばここは帝国の中枢で自分は皇女だし男も皇族なのだから手に入って当然か!?
「おい、さっさとそれを付けて――」
「もっと安物にしよう!!」
詰め寄れば、男の目が小さく見開かれた。
「…………は?」
「これ今からの追いかけっこに使うのなんだよね!? え、もしかして借り物!?」
「……回収は面倒だ。お前が管理しろ」
「尚更――いやどっちにしろダメッ!! 絶対壊す!!
私には勿体無いからもっと安いヤツにしてお願いだから!!」
職人の血と汗と涙の結晶であり、そして云十万は絶対するだろう高価なものなど扱う気になれなかった。
金銭感覚は庶民であった前世の方が強い。つまりは高価なものは扱うの怖い。
代わりの物を! と懸命に腕を伸ばして男に突き返せば、男は若干驚いていたらしく固まったままその懐中時計を見つめていた。
「ほ、他のにしよう!?」
「……」
もう一押しすれば、男の視線が時計からサティリナに向けられた。
見詰め合うこと数十秒。男が頭を掻きながら屈んだ。
「訳のわからん奴だ……」
呆れたように言い、その大きな手を差し出され続けている時計に翳した。
「壊れなければいいのだろう」
男が言い終わると同時に、懐中時計を白い光が包み込んだ。
「え……」
驚きでサティリナの目が見開かれる。
光はすぐに消え、男が翳していた手を下した。
「これですぐには壊れん。……お前の扱い次第だがな」
「え、あ、ありがと……っ!?」
もしかして魔術だろうか。そう聞こうと男を見て驚いた。
屈んで近くなった分見えやすくなった男の切れ長の目が、いつもの冷淡な蒼ではなく金色になっていた。
光の加減による見間違いだろうか。そう思い一歩近づいた。
「おい」
しかしすぐに苛立った声と共に顔面に男の手が張り付き、押し除けられた。
「わぷっ! ちょ、お、おじさん! いま目が!」
別に下心はない事を証明しようと、自分が近づいた訳を言いながら首を振った。
顔に張り付いていた手がすぐに外れ、男を見るが既に立ち上がっており、その遠くなってしまった目も元の蒼に戻っていた。
「……あれ??」
見間違いだったのだろうか。
大きく首を傾げたサティリナに男がため息をついた。
「……魔力の影響だ」
「そうなの!? それって――」
「おい、早くそれを付けろ」
苛立ったように言葉を制されてしまった。これ以上の言及は許されないらしく、渋々チェーン部分で首から下げたサティリナはすぐに気持ちを切り替えた。
未知の現象である魔術については未だ謎が多く、今の現象だってきちんと確かめたい。しかし一年後の自分の生存権も重要なのだ。
これは遊びではなく本気の勝負。手を抜くわけには行かない!
――などと意気込んでいた皇女が、この日も男に惨敗したのは少し後の話である。
~~~~~~
小さいものでも、縦に刺さると痛いって事がわかった。
服の下に入れてたから動かないって思ってたのに、転んだときに見事縦に鳩尾に刺さった。
超痛かったー…
朝食早め派で良かった……じゃなきゃ盛大に吐いてた。
無様な姿はばっちりアイツに見られてたけど、今日のはあまりにも酷かったらしくて引かれはしたけど文句は少なかった気がする。
もう少し時計の運び方考えないとなー。うーん。
時計はお姉ちゃんにバレないように、部屋に置いてくことにした。
じゃないと聞かれたら上手く誤魔化せない気がしたし。
それと、今日からちゃんと時計を毎日磨くことにした!
だって銀だもんね!? きちんと大事にしないと!
あとちょっとした発見は、アイツの目は魔術を使うと金色になるってこと。
もう一回見たかったけど頼んでも魔術使ってくれそうになかったから、今度機会がある時に確認できたらって思ってる。
あ、もしかしたら私の目も色が変わったりするのかな?
明日試してみようっと!