日記118日目
ブローフの月19日。
今日は結構暖かい。
怪我と汚れ防止のためにマントでも持っていこうかなって思ったけど、暑くなりそうだから止めとく。
その代わり、ちゃんと準備運動もして怪我がないように頑張るんだから!
等と意気込んだ結果は――現在目の前で苦笑しながら手当てしてくれているクロエを見れば一目瞭然である。
今日は今までの失敗を反省して、木立の中に入ったところで振り返ったのだが――それが悪かったようだ。
無表情で追いかけてくる男の顔にもの凄く驚いたサティリナは走り出そうとして足元の木の根に躓き、盛大に転んだ。人間、勢いがつくと体が浮く事をこの時知った。
そして開始僅か二分ぐらいで本日の“暇つぶし”は終了した。
頭から地面に突撃したサティリナは見事に土塗れとなり、膝を擦りむき額と鼻頭も擦りむいた。そして今は一番酷い膝の手当てを受けていたのである。
「お前は知能も鼠か? ……前を見ずに走ればそうなるに決まっている」
「う、うるさいおじさん!
大体、アンタが無表情で走ってくんのが悪いんでしょ!? 怖いわ!!」
サティリナの必死に言い返しにクロエは想像できたのか「あー」と何か納得しているようだった。
そして男と言えばサティリナの言葉に間を置いて小さく目を細めた。
「そうか。“怖い”か……」
「はっ!!」
どこか愉しげに呟かれた言葉に、サティリナが慌てて口を塞ぐも既に遅し。
転んだだけでなくこいつに聞かれれば絶対に侮られる単語を口にしてしまうとは……
男は口元を手で覆いながらクツクツと喉で笑い、近くにあったイスに腰掛けた。
本日もまた別の東屋に来ており、今日は長椅子ではなく一人掛け用の木製のイスが置かれた造りをしていた。
そしてテーブルにはいつものように昼食の入ったバスケットと、紙の束が置かれている。
その束の上から一枚取った男は、そのまま背もたれに凭れながらそれを静かに読み始めた。
今日は大人しいな。そう目を瞬かせていればクロエが「終わりましたよ」と優しく声をかけた。
「あまりご無理をなさってはいけませんよ。
他にどこか痛いところなどはありませんか?」
「んー、たぶん平気。全部ちゃんとお薬塗ったと思う!」
おかげで全身いたるところから薬の匂いがしているのだが、治療するためには仕方がないだろう。
クロエに「ありがとう」と礼を言い、互いに笑いあっていれば男が「おい」と声をかけて来た。たぶんだがサティリナを呼んだのだ。
変に凶器が飛んできても困るので「何よ」と男を見るが、その視線は未だ紙に向けられたままであった。
「泣け」
「いや、だから無理だって……」
「なら笑え」
「何もないのにいきなり笑ったら怖いでしょ!?」
面白くも楽しくもないのに突然笑えば気が触れたとしか思えない。
そしてそんな自分を想像してしまったサティリナは全力で否定した。
「俺の周りの奴らは、何もなくとも笑ってくるが?」
「え……」
それは……
「みんな、頭おかしいんじゃない……?」
それかかなりお疲れなのではないだろうか。
人間、もの凄く困ったときや疲労がたまると防衛本能で笑うことがあるという。それではないだろうか。
精神的に追いつめられるほどブラックな職場なのだろうか。そんな事を考えていたサティリナは気づいていなかった。自分を見つめるクロエがなんとも言えない顔をしていることに。
「フッ……確かにな」
そう男がどこか楽しげに呟いたのが聞こえたが、その顔は紙に隠されて見えなかった。
「っていうか、おじさんその紙何?」
ずっと気になっていた事をこの際聞いておこうと思った。
すると男が紙から目を離し、見ていたそれをサティリナに差し出した。
あまり良さそうな物には見えなかったが一応受け取って見てみることにした。紙にはこの世界の文字だろう記号が横書きに羅列されている。
が、やはり読めない。
レーティアの持っている本以外で文字は初めてみたなあ。と思っていれば、男が腕を組んでそんなサティリナを見つめていた。
「お前があまりにも煩いからな。……仕事だ」
間。
「じゃあ部屋に帰りなよ!?」
何故屋外でしようと思ったのか。
どう見てもこれは事務仕事であり、屋内でするべきものだろう。
「俺がどこで何をしようと勝手だろうが。いちいち口煩い鼠だな……」
「いや、風で飛んだりしたらどうすんの!?
これだって大事なものでしょ! 返す!」
「……お前はそれが何かわかるか?」
「知らない! 私まだ字ぃ読めないし!」
「黙って見ろ」
サティが差し出すも受け取ろうとしない男に苛立ちながら、それでも無駄に追い回されるよりは平和かもと思い直し、渋々もう一度紙を見直した。
とはいえ羅列されている記号は漢字や仮名でなければアルファベットでもない。全く見覚えのない形からどうやって何を読み取れば良いのかも分からない。
うーん、と悩むサティリナの側でクロエが昼食の用意を始めており、今すぐ訳のわからない紙を放って手伝いに回りたいと思った。だが男の視線が今動く事を否定しているような気がして、仕方なくそれに付き合うしかなさそうだった。
しかしいくら眺めていても何も分からない。
とりあえず適当に思い浮かんだことでいいや。とサティリナは口を開いた。
「んー……何か、法律関連?」
「それで?」
まだ質問は続くようだ。
少し気怠くなってテーブルに上半身を寝そべらせながら、もう一度紙をちらと見る。
きっと今のサティリナを見ればレーティアがいの一番に『行儀悪い!』と怒るだろう。
「なんか、あれこれダラダラ続けて引き延ばして、内容空っぽな気がする。
結局何が言いたいの?って感じ? あとは知らない」
そこまで言って、微かに頭痛を覚えた。
今になって先程の疲れが出てきたのだろうか。そう目尻のツボを圧していれば男が「クロエ」と読んだ。
「持っていけ」
「はっ」
何を?と体を起こせば丁度クロエの手が差し出されたところだった。
「サティ様。そちらをお預かりいたします」
「うん……」
クロエに書類を渡したとき、外の光を見たからか目に痛みが走った。
痛みから逃れるように目を閉じ、目頭を押さえた。
「私が戻るまで、少々お休みください」
「うん……」
そう囁くように告げたクロエの言葉に素直に頷いた。
「雑過ぎるな」
そう呆れたような男の声が聞こえたが、急激に重くなった瞼に言い返す気も起きなかった。
そしてそのまま、今日もサティリナは眠ってしまったのだった。
~~~~~~
今日は疲れが半端ない。
お昼もあの後ずっと眠くて、アイツは「軟弱だ」とか言ってたけどクロエに言われて早めに帰った。
お姉ちゃんに会う前に少し寝ようって思ったら夜まで寝ちゃってて、姉ちゃんが凄く心配してた。
夜は少しマシになってたのに、ご飯食べたらすぐにまた眠くなった。
だから今日は早めに寝ようと思う。
おやすみなさい。