日記5日目
なんかさっきから頭がぼーっとして、全身が辛い。
……やっぱり、昨日筋トレして汗かいたまま寝たからかなあ。
頼りたくないけど、このままじゃあ病死する。
せにはらは変えられない。
短く書き終えた少女は開かれた本をそのままに、部屋のあちこちに置いていた篭に入ったパンやインク瓶、羽ペンなどを乱雑にベッドの下へと隠した。
ふらふらとした足取りで一度ドアの前に立ち、そこからも隠した物が見えていないことを確認する。
「……よし」
視界はぐるぐると回り、身体も思うように動かない。
手をあげる元気すらなくて、小さく頷くだけの確認作業となってしまった。
ある程度乾いたところで日記も閉じてベットの下へと隠し、少女は防寒具としてもらったブランケットを羽織り、ドアに手を当てた。
日記にも書いたとおり、本当ならば頼りたくはない。
自分が顔を見せたところで邪見にされることは想像できる。
けれどこの状態を治すにはこれしか思い浮かばず、少女は小さく息を吐いて決心するとゆっくりとドアを押し開けたのだった。
***
結果から言えば、少女は部屋を出た先にいた侍従の一人に助けられた。
前世でいうメイド服に身を包んだ一人の侍従に助けを求めれば、すぐにベッドへ追い返された。
そのまま放置されることも危惧していたが、どうやら死なれては困ると思ったのか簡単な風邪薬のようなものを飲まされた。
それのおかげか、最初の頃よりは少しだけ体調も楽になった様に思う。
……後は侍従たちの蔑みの視線さえなければ安心して眠ったのだが。
最初に少女を発見した侍従も、今ベッドの傍で容態を伺う三人も、誰も彼もが少女を厭うように見下ろしていた。
それを薄目を開けて確認した少女は再び目を閉じながら『くそったれ』と内心で悪態を吐いた。
この大きな建物内において、自分の存在が彼女らに疎まれていることは知っている。
前世を思い出す前――この“少女”の記憶の中でも彼女に笑いかける侍従は誰一人としておらず、部屋の外に出ているのが知られると、すぐに怒鳴られながらこの狭くて暗い部屋へと押し戻された。
寂しさに泣こうとも、寒さに震えようともドアの外から『煩い』と怒られるだけで、誰一人として様子を見に来ることはなかった。
一日の食事でさえもドアの隙間から投げ渡されるように入れられるパンが一つだけで、よくここまで成長できたなと思ってしまった程だ。
前世を思い出してからは近くの部屋に住む女性と知り合い、彼女から差し入れられる形でパンやスープを貰うようになったが……本当にそれが無ければ今こうやって病気に苦しむことすら出来なかったかもしれない。
熱による頭痛にうなされながら自身の無力さに嘆いていた少女の傍らで、侍従の一人が口を開いた。
「ホント、早くどうにかして欲しいわ」
面倒な。そう言いたげな溜息と共にそんな言葉が聞こえた。
「まったくよ。処刑するなら早く処刑して欲しいわ」
そう答えたのは別の侍従だ。
そして彼女の言った『処刑』という単語に、病気ではない悪寒が背を駆けた。
話の脈絡からでも、彼女たちの視線からでもわかる。
それは本来なら向けられるはずの無い、幼い自分に対して向けられた単語だ。
処刑、とは。まだ子供であるというのに、自分は一体何の罪を――
「ええと……
もう少し大きくなってからよね。たしか毒……毒……」
「“毒酒”。
毒の酒で満たした黄金の杯を煽るっていう、悪趣味な処刑よ」
思わず想像して、胃が痛んだ。
それを気取られないように少女は静かに上布団代わりにかけられていたブランケットを握り締めた。
「そうそう! それよね。
でもそれをしようとしてるのが実の父親ってのが、また憐れよねぇ……」
ドクン、と大きく心臓が跳ねた。
この館に、自分の父がいる――?
そしてその父が、自分を殺そうと――?
「止めておきなさい。
変な同情は巻き込まれる元になるわよ。
……相手はその辺の人じゃないんだから」
一人の言葉で、二人の空気も重くなった。
「そ、そうだったわね。ねえ、もう早く出ましょう?」
「そうよね。もう落ち着いたみたいだし。
……そういえばこのブランケット、誰があげたのかしら?」
一人が少女にかけられたブランケットに触れた。
それに続き、もう一人もそっとブランケットを撫でたのが、丁度薄目を開けた時に見えた。
「これ、結構上質なヤツじゃない!
誰よ、こんな勿体ない事を――」
その言葉を聞いた途端に、嫌な感じがした。
このままでは、彼女たちが『勿体ない』ことを理由に自分からブランケットを取り上げると直感した。
これを取られてはいけない。だってこれは“お姉さん”が――!
焦燥は鈍くなった体を突き動かしていた。
息を大きく吸い込めば熱によって腫れ始めた喉がすぐに反応し、反射で異物を追い出そうとし始めた。
「ゲッホ! ゴホゴホっゴホッ! ……おえっ」
咳込みを利用して体を折り曲げながら、ブランケットを抱き込んだ。
少しやり過ぎたのか胃の内容物まで飛び出しかけたが、なんとかそれは押し留める。
涙目になりながらちらと侍従たちを見れば、彼女たちが一斉に自分から離れたのが見えた。
「きゃあ! ちょ、ちょっと吐かないでよ!?
だ、誰もアンタの後始末なんかしたくないんだからね!?」
一人が怯えたような顔でわめき始めた。
熱のある頭にその高音はかなり痛い。
喚いてないでさっさと出て行け。そんな気持ちを込めて睨めば、その視線を真向から受けた侍従の一人が「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
「も、もう行きましょう! 後は勝手に治るわよ!」
押し合い
小さな部屋の中に巻き起こった風は冷風となって渦巻き、少女の汗ばんだ顔を撫でた。
その気持ち悪さと熱からの悪寒に身を震わせた少女は、先程の会話を思い出し、口元をきつく結んでいた。
「うっ……ううっ……」
けれど堪えられなかった嗚咽が、唸るような声で漏れ出ていった。
それは熱の辛さや苦しさからではない。
一過性のこれはただ耐えればどうにかなる。それを知っているから。
「……ちくしょう」
ブランケットを握りしめ、嗚咽を堪えながらそう呟いた。
まさか、実の親から命を狙われている存在に転生していたなんて。
そう衝撃を受けていたが、同時に納得もしてしまった。
だから自分はこんなにも不遇の扱いなのだ、と。
自分の父がどういった人間なのかもわからない。
わかるのはこの館の侍従たちが恐れるほどの権力を有しているということだ。
病気を乗り越えたとして、自分はどう生きればいいのだろうか。
前世では両親から蔑まされたことはなかった。
愛情を注がれて育てられることが、まさかこんなにも尊いことだったなんて。
改めて知った今の現実との格差。
少女は疲れて眠るまで、一人その悲しい事実に涙し続けていた。