「はい。まだ気を失ったままなので、医務室で安静にさせております。
………一応、鎮静剤と栄養剤を打っておきましたので心配はいりません。」
「そうか………。 ご苦労だったな。」
士官室にいた者達は皆、ホッ… と少し胸を撫で下ろした。
だが、先程の彼女の反応を考えると、そうもいかなかったが…。
席に着いていた尾栗は深く椅子にもたれると、腕を組んで大きな溜息を吐いた。
「……やっぱ、女の子にはちょーっとショックが大きかったんじゃないのか?」
「だが、遅かれ早かれ いずれ知る事だ。
それに女性だから…とか、この際関係ない。」
彼の言葉に隣りにいた菊池は、少し眉間にシワを寄せながらそう反論した。
いつものお決まりの正論に、尾栗は 「またコイツは…」 と、小さな溜息を吐く。
彼 ――― 雅行はいつもそうなのだ。
一緒にいた防大の頃から彼の周りには何かと女の子が群がっていた。所謂いわゆるモテモテ状態である(笑)。
まあ彼の容姿を見れば頷ける事なのだが…。
なのに今現在、彼はまだ独身でいる。
女ギライ…とかではない。 その証拠に今まで何人か女性と交際していた事はあった。
だが彼はそれらを全て破局で終わらせてしまっていたのである。
その原因のほとんどは、彼の几帳面な性格に問題があった様だ。
常に物事に対して完璧を目指す彼は、それをつい相手にも求めてしまったのだ。
身近な存在になればなるほど、その要求は遠慮の無いものになり、そして大事な部分では言葉足らずになっていった…。
頭が良い分、物事の先が読めるので、相手の間違いを正す為についつい口煩くなる…
それは彼なりの愛情だったのだが、傍目から見て不器用この上なかった。
ハッキリ言って同姓でもない限り、彼の不器用な愛情は分からないであろう……。
案の定、性格の不一致や、仕事上一緒にいられない時間が長すぎる…と言う理由から彼女達と別れてしまったのは言うまでもなかった。
本当はとても傷付きやすい性格なのだが、それを表に出す事は彼のプライドが許さなかったらしい。
そんな理由から今の様に無意識に、女性に対して構えてしまう節がある様だ。
角松にも気付かれていないこの彼の一面を、尾栗はいつもの様に心の中で苦笑するのだった。
そうとは知らない桃井は、女性に対して平等視している様な菊池のその意見に賛成なのか深く何度も頷いている。
そして、腰に手を当てて自慢気にこう言った。
「そうそう、菊池三佐の言う通りよ! 尾栗三佐が思ってる程、女は弱くないわよ?
精神面は、かえって女の方が強いんですからね。 ふふっ。」
同世代だというのに、自分達と比べてみても彼女の方が断然強いのが分かる。
そして、今回この異常な体験をしても、隊員の中で彼女だけが動揺を全くといって良い程、見せていないのだ。
かえって不安になって医務室に来る隊員達に、激を飛ばす程なのである。
「いつの時代も、女は強し……だな。 あの娘もそうあってくれれば良いが……。」
「ですが艦長。若くして単身アメリカに乗り込む様な性格なら、心配いらないのでは?
それに、あれだけハデに髪を染めてるくらいですから、余程個性が強い証拠ですよ。」
「俺も若い頃は金髪に染めてたけど、銀髪…ってのはレディースでもいなかったぜ!
最近の若いヤツはなんでもハデだよなぁ…。」
菊池は半ば呆れた様に、尾栗は感心した様にお互いの顔を見てフッと肩を竦めた。
……だが、それを聞いていた梅津は、深い溜息を吐いてしばらくした後、言いにくそうに重い口を開いた。
「…………あの娘のあの髪は、地毛じゃよ。」
「え!? ……それでは、ハーフか何かですか?」
「いや………。
「ええっ!?」
「…………あの時、ワシは一度彼女がいる避難所を尋ねた事があったんじゃよ。
そこで彼女の近所に住んでいた人に聞いたんだが、その震災で彼女を育てていた祖父母が亡くなったそうだ。
それも彼女が見てる目の前で、崩れた家に挟まれ動けない所を火災にあって……。」
「「「「 !!!!!!! 」」」」
それを聞いて、角松達は顔面蒼白となった。
彼女は人が生きながら焼かれる壮絶なシーンを、目の当たりにしたのだ。
それも自分の肉親が焼かれるのを……。
子供が受けた、その時のショックがどれだけのものであったか……。
彼女の真っ白い髪がそれを物語っている。
桃井はその悲惨さに口元を両手で覆い、呆然とした。
「……なんて事! まだ子供だったのに………。」
「地獄を見たのか…その歳で…………。」
――― 角松はあの震災を思い出して、手を握り締めた。
その左手の甲には、うっすらだが傷が残っていた。
この傷は作業中のケガではなく、子供に噛まれたものであった。
角松達、海上自衛隊が陸上自衛隊の指揮の下、火災の消火作業をしていた時の事だった、ある子供が火に飛び込もうとしていたのを止めた時、錯乱して噛まれてしまったのだ。
喚き散らすその言葉には、ひたすら誰かの名前を叫んでいたのが分かった。
それは多分身内なのであろう……。
角松は必死にその子供に何かを言い聞かせていた。
それが一体何を言っていたのかまでは、その時、無我夢中だったので思い出せないのだが………。
『…………あ! まさか……あの時の子供が……………!?』
角松が物思いに耽っている時、菊池が両手を握り締めて艦長に聞いた。
「……それでは、彼女の両親は何処に……?」
「あの娘が4つの頃すでに他界していたらしい。
近くに住んでいた親戚も亡くなったと聞いたが…。」
「天蓋孤独の身……って訳か……。 くっ! 」
尾栗もその時の彼女の気持ちを考えると、やりきれない想いが込み上げて来て、思わず握り締めた手でテーブルを ドン と叩いた。
他の士官達も皆、同様に気の毒な面持ちで、握り締めた自分の手を見詰めていた。
末席にいた飛行科の佐竹一尉等は、こういった話しに弱いのか、目を潤ませ鼻をすすっている。
そんな士官達の反応に、艦長の梅津は深く溜息を吐いた後、少し苦笑していた。
そして当時を思い起こす様に目を閉じ、ゆっくりと語り出した。
「……だがな。
初めてあの娘に会った時、そんな悲惨な目に遭った様にはとても見えなんだよ。
反対にワシら自衛隊員の事を気遣ってくれたくらいだからな。
あの娘は角松二佐、あんたの事を随分気に掛けていたよ。
命の恩人に悪い事をしてしまったとな…」
急に話しを振られ、驚く角松。戸惑いながら梅津の方を振り返る。
「え…………? 俺に…ですか?」
「なんでも…、祖父母の後を追って死のうとした時、止めてくれたあんたの手に噛み付いてしまったらしい。」
「あ…………! やっぱり、あの時の子が………!?」
思わず大声を上げ、席を立つ。
今まで胸の中でモヤモヤしていた疑問が一体何だったのか…今の答えでハッキリ思い出したのだ。
―――彼女と自分はそこで会っていた! ………のだと。
「ふっ…。 思い出したのか?
あの時はまだ髪が白くなる前だから、覚えてなくても仕方が無いさね。
それに………あの娘に何と言ったかは知らんが、その時の言葉が彼女を救うきっかけになった事は確かじゃよ。」
「へぇ~っ! やるじゃないか洋介!!
人ひとりの人生を救うなんざ、滅多な事じゃ出来ねェぜ?」
「ホント、凄いわ副長!////」
「よっ!副長、やりますね!!////」
桃井と佐竹は少し興奮気味に身を乗り出して、尊敬の眼差しで角松を見ていた。
尾栗に至っては余程感動したのか、わざわざ彼の側まで行ってバンバン背中を叩きながら、嬉しそうに握手を求めていた。
少し照れる角松に、賞賛の言葉が次々と士官の間から発せられる。
そんな微笑ましい様子に菊池も一緒になって眺めていたが、はたと今の状況を思い出し、砲雷長としての役目を果たすべく、話しを進めようとした。
「ウォッホン! 艦長。話しを進めたいのですが宜しいでしょうか?
………ところで、彼女は何歳いくつなんですか?
先程の話しでは高校の途中で留学…それに就職していると聞きましたが…」
「う~む……。 はて? 震災の当時、小学生だと聞いたのは覚えているのだが……。」
「見たところ、二十歳そこそこって感じだが…。
どっちにしてもこの"みらい"の中じゃ若いぜ、雅行♪」
「あのなぁ……………。(汗)」
尾栗の意見に更に他の士官達も加わり、口々に彼女の年齢についての論議が始まってしまったので、とうとう収集が付かなくなり、キレた砲雷長の怒鳴り声が収まるまで、しばらく会議は中断されたとか、されなかったとか……。
―――― 一方医務室では、眠っているの側には草加がいた。
彼は梅津艦長の指示でこの医務室に隣接している個室を与えられていた。
だがその部屋で安静にしていたところ、いきなり医務室に気を失った彼女が運ばれて来たのだ。
なぜ倒れたのか理由を聞いても、教えてはくれなかったのだが……。
『それにしても………………。』
―――― 似ている ――― 草加はそう思った。
彼のその目に映っているのは目の前のの顔では無く、故郷に残した自分の妻の顔であった。
この戦時の最中、"家"を重んじる風習のある日本では、長男であるならばその血を絶やさない様、戦地に赴く前に必ずと言って良い程、妻を娶っていた。
それは現在の様に恋愛結婚は少なく、周りの者達が決めた見合い結婚が殆んどであった様だ。
草加もまさにそれである。
草加家は岩手県の旧南部藩士族で、貧しいながら代々教鞭をとる家柄であった。
厳格な祖父、父の元で長男として人一倍厳しく育てられた草加は、歳を経るにつれ彼らに反抗する事の無い、従順な頭の良い子供として育っていった。
だが、それは表向きで、彼の心の中は常に計算高く、ある意味狡猾な性格で成り立っていたのだ、父や祖父に従順だったのも、全て彼の計算によるものであった様だ。
家族に対しての愛情は薄く、又、家族からの愛情も感じた事は余りなかった。
なので当然、親が勝手に決めた妻に対しての愛情も全くと言っていい程無かったのだ。
悲しい事なのだが……。
ハッキリ言うと、彼にとって女とは、子を産む道具としか考えていない様である。
目を閉じているの顔は整っていて、陶器の人形の様に美しかった。
それと同じ顔をしている彼の妻も美しい。
――― だが、一つ違っていたのは彼女のクルクル変わる、豊かな表情であった。
物静かで従順な妻は人形の様な印象で、微笑む事はあっても彼女の様に笑う事は無かったのだ。
同じ顔をして、表情一つでこんなに印象が変わるものなのかと、草加が感心する程なのだから。
その上、自分の周りにはこんな変わった女はいなかった。
ましてや感情を余り現さない自分に対して、心から微笑み掛ける者など……。
草加は今まで感じたことの無い、不思議な想いに囚われていた。
『なんだろう…この感情は…………?』
――― 心の中がザワつく様な不快感。 それでいて仄かに甘く、切ない様な感覚……。
この二つの感情が複雑に混ざり合い、彼の知るどんな言葉にもそれを当てはめる事が出来ずに戸惑っていた。
普通の者ならば、それが何なのかすぐに思い付いていただろう。だが国や郷土に対しての愛情は人一倍あるが、人に対しての愛情に乏しい彼には、その答えを導き出す事は出来なかった様だ。
目を閉じ、大きく溜息を吐く草加。
彼は持て余している自分の感情を冷そうと、今の自分の置かれた立場について考える事にした。
そう頭を切り替えた瞬間、彼はいつもの彼に戻っており、頭の中は自動的にある計算が始まっている。
――― それは、これから一体どうするのか? ……であった。
『………彼らの今までの行動を見ると、私を殺害する事はなさそうだな。
この部屋を与えたのがその証拠だ。
殺す事も出来ずに仕方なく取った手段だろう…。』
草加は部屋を改めて見回した。
未だに信じ難い事だが、ここは21世紀の艦の中なのだ。
先程の戦闘といい、設備といい、自分の知っている最新鋭の戦艦『大和』にでさえ、ここまでの物は無かった。
これでは納得せざるをえないであろう…。
あの時、この戦争がどういった結末を迎えるかは、ハッキリとは聞けなかったが、彼らが言った一つ一つの言葉を繋ぎ合わせてみても、大日本帝国が敗れた事は明白であった。
『21世紀に日本が存在しているのは分かった。
……だが、一体どのような終戦を迎えたのだろう………?』
――――知りたい。 …………と、彼は思った。
もし、未来の事が分かれば……決定的な敗戦の理由さえ分かれば、それを回避出来るかもしれない!
そんな考えが草加の頭を駆け巡り、その心の奥から込み上げて来る想いに、自然と体が熱くなる。
だが、この"みらい"の者達はそれを易々とは許してくれないだろう……。
『ならば、どうすればその未来を知る事が出来るのか………?』
未来から来たと言えども、彼らは自分達と同じ人間。 基本的にはそう変わらないハズである。
ならば言葉巧みに近付けば、少しづつでも情報は手に入るだろう。
自分が手に入れたい未来の情報を…。
『まあ…これから時間はいくらでもあるのだから、焦る必要も無いな……。』
自分の置かれた状況にフッと皮肉めいた笑みを浮かべ、肩を竦める草加。
そんな時、今まで眠っていたがゆっくりと目を覚ました。
「う………ん……。」
薄っすら目を開け、少し眩しそうに眉を顰めた後、辺りを見回す。
草加は自分の今考えていた事を悟られない様、勤めて冷静に振舞った。
「ここ……は……?」
「………ここは医務室だ。 さん。」
話し掛けられ、やっと人が側にいる事に気が付く。
鎮静剤が効いているのか、まだぼんやりとした頭で草加の顔を見ている。
「草加さ…ん……? あ…私………。」
「大丈夫か?
隣の部屋で休んでいたら、急にあなたが運ばれて来て……。 一体何があったんだ?」
「あの…………。」
なぜ自分が倒れたのか、次第にハッキリしてきた頭で思い出される。
その理由を思わず話しそうになり、一瞬口をつぐんだ。
なぜなら、目の前にいる草加も自分とは違う世界…それも70年前の人間だと知ったからだ。
――― えも言われぬ孤独感が、を襲う。ここでは自分は一人ぼっちなのだと………。
そう考えた時、の見開いた瞳には見る見る涙が溜まっていき、それは後から後から溢れて枕を濡らしていった。
「あ…………! ご…めんなさい……私ったら……!」
「 !? 」
それに気付き、慌ててシーツで顔を隠すが、その泣き顔はしっかりと草加に見られてしまっていた。
だが涙を止めようとしても、なかなか止まってくれない。
人前で泣くのはみっともない事だと思っていても…。
声を押し殺した、の嗚咽だけが室内に響いていた。
いきなり泣き出したを見て、草加の方も表情には出なかったものの、正直かなり戸惑っていた。
幼い頃から家族の者以外、あまり異性に接する機会がなかっただけに、こういう場合、どう対応して良いのか分からないのだ。
――― やはり、女は苦手だと草加は思った。
相手が男なら扱いも分かるし、今の様にいきなり人前で泣き出したりしないからだ。
つくづく女とは感情的な生き物なのだと、その面倒な存在に心の中で小さく舌打ちをしている。
だからと言って、この気まずい雰囲気のまま放って置く訳にもいかなかった。
懸命に他の者から聞いた事のある、慰めの言葉を思い出し、その中から当たり障りの無い言葉を選んでみた。
「…………私で良かったら、話してくれないか? その方が楽になると思うのだが…。」
「…………え………?」
突然の草加の申し出に、驚く。
彼のその落ち着いた声を聞いて、やっと我に返った様だ。
草加の本心を知らない彼女は、その言葉をとても優しく感じていた。
まるで温かい手で頭を撫でられている様に…。
例え彼が70年も前の人間だとしても、この人になら誰にも話せない本当の事を話しても受け止めてくれるのでは……?
そんな考えがの頭を過った。
深く息を吐いた後、はまだ顔を隠したまま、恐る恐る草加に話し掛けた。
「あの…………聞いてくれますか? 私の話しを……。」
「ああ。」
「私……実は…………この艦の人達と違う世界から来たんです。」
「!?」
―――の話を聞いて、驚きを隠せない草加。
彼女の話では、彼らよりさらに10年も未来からやって来たのだと言う……。
10年もの長い間、彼女の元いた世界ではこの"みらい"は行方不明のままだったらしい。
この艦の角松という男と知り合いなのを見て、草加はてっきり彼女も彼らと同じ世界の人間だと思っていたのだ。
『それぞれ違う世界の者達が、一ヶ所に集うとは………。
これには何か深い意味があるのだろうか…?』
人の目には見えない、大きな力の存在を感じながらも、彼の頭にはすでに別の事が考えられていた。
――― 未来の情報を手に入れるなら、この女は使える ………と。
この艦の乗員達は草加の事を、人によって差はあったとしても、必然的に警戒心は持たれていた。
だが、彼女は警戒するどころか、まだ誰にも言っていない事まで自分に相談してきているのだ。
それはまさしく、信頼されている証明であった。
これを上手く使わない手は無い……。
彼女がもし味方になれば、それを媒介に物事を有利に運ぶ事も容易いのである。
草加にはその戦略が瞬時に頭の中で構想されていた。
そう…。
大抵の場合、相手と自分の間で秘密事を作れば、それがある種の切れにくい"繋がり"になるのだ。
見るからに人の良さそうな彼女なら、きっと自分からはその"繋がり"を切る事はしないだろう…。
と、そこまで彼は読んでいた様だ。
そして早速その手を使うべく、に話しを持ち掛けてみた。
「…………いいか、さん?
あなたが10年後の世界から来た事は、他の誰にも言ってはいけない。」
「え? なぜ……ですか?」
「あなたの話では、この"みらい"は10年経った後でも還って来てはいないのだろう?
それを聞いてしまったのなら、皆、最低でもこれから10年はこの世界に留まる事になる……と考えてしまうハズだ。
実際、平行した時間の流れになっているのか分からないが、彼らを不安を煽る様な事は出来るだけ言わない方がいい。」
「あ! …………確かに、そう…ですよね。」
草加の言葉にハッとする。 確かに彼の言うとおりなのだ。
それに例え10年とはいえ、自分達の世界と違う者がこれ以上現れたのなら、不安どころか混乱を招くのは明らかであった。
角松にしても、艦長の梅津にしても、自分の事を同じ世界から来た仲間だと思ってくれているのに、それがもし、異質な者を見る様な目で見られたら…。
―――― 今以上に、孤独になってしまう ―――
そう考えると急に怖くなってしまったのだ。
『一人がこんなに怖いものだったなんて……。
今まで感じた事が無かった………。』
「分かりました…。
いつか話せる時が来るまで、角松さん達にはこの事は黙っておきます。」
「ああ、その方がいい。 これは私達だけの秘密……という訳だな。」
草加の優し気な声と仕草は、傍目から見て、を労わっている様に見えていた。
だが…それは彼の計算された演技でしか無かった。
顔を隠していたからは見えなかったが、その時、彼は心の中で ほくそ笑んでいたのだ。
まるで獲物を捕らえた蜘蛛の様に……。
―――― この網に掛かった白い蝶を、どうやって思いのままに使おうか?
そんな事を彼が考えていた時、今までシーツで顔を隠していたが、少し赤くなった目だけを覗かせ、草加に声を掛けた。
それもかなり、控えめな声で……。
「あ…あの……草加さん?
お願いがあるんですけど、その……いいですか?」
「え!? ……何だ、さん?」
「あの………手………繋いでくれませんか?」
「……手?」
急に声を掛けられた為、慌てて取り繕う草加だったが、彼女の意外な申し出に思わず眉を顰めている。
そんな彼の様子に、は自分の言った事で気を悪くしたのかと勘違いして、慌てて取り消した。
「あ!//// 嫌だったらいいんです!
えっと!いつも不安になった時、誰かに手を握って貰ってて……
その…安心出来るから……////
あは…、やっぱりこれって子供っぽいですよね!」
真っ赤になって言い訳をするが、自分で何を言っているのか分からなくなってしまっている。
一方 草加の方は…と言えば、異性に手を握られるのは余り慣れてはいなかったが、取り合えず彼女の要望に応える事にした。
彼にとって精一杯の笑みを浮かべながら……。
「お安い御用だ。 ……これでいいかな?」
「え!? あ……ありがとうございます!////」
そう言うと、は嬉しそうに草加の手を両手で包み、そして頬に当てた。
それから安心した様に目を閉じた後、しばらくの間その温かさを感じている。
そんな幼子の様な安心しきったの表情を見て、草加は心の奥でチクリ と何かが痛んだ。
「…………………草加さんの手…温かい。
世界は違うけど、ちゃんと生きているんですよね?
私………、さっきまで自分の事ばかり考えてたんです。
一人ぼっちだって……。
でも、良く考えたら草加さんだって大変なのに、私の悩みばっかり聞いてもらって…
その………ごめんなさい。」
「………!」
「私はこれでもう大丈夫だから…、明日はちゃんと元気になるから……
今度は草加さんが元気になれる様に…一緒に考えますね…あり…がとう……………」
そう言って少し微笑むと、そのままは眠ってしまったのだった。
後に残された草加は呆然と目の前の女を見詰めていた。
その胸には締め付けられるような罪悪感と、仄かな切ない想いが混ざり合っている。
自分は彼女を利用しようと考えていた……それなのに彼女は自分を思いやってくれたのだ。
自分の隠された企みをもし、知ってしまったなら彼女はどうするだろうか……?
―――― もしかしたら自分を軽蔑するかもしれない ―――
その考えが頭を過った瞬間、恐れにも似た さらに切ない胸の痛みが草加を襲う。
思わず彼は悪夢を振り払うかの様に頭を振った。
そして少しでも不安を無くそうと、握っていたの手を、今度は草加が無意識のうちに自分の頬に当てその温かさを感じていた。
それはさっきの言葉と共に、その温かさは今まで感じていた不安を打ち消し、彼の胸の奥に染み込んでく。
「………世界は違うが、ちゃんと生きてる……か……………。」
―――― 本当だ ……と、草加は思った。