「入りたまえ。」
海上自衛隊の護衛艦 “みらい” 唯一の女性看護士が、先程救助した者達の報告にやって来た。
士官室と呼ばれる一室には、艦長を含めて6人の幹部達がその報告を心待ちにしていた様だ。
一斉に彼女に注目している。
もちろんその中には副長である角松もいた。
「ごくろう!」
「おやまぁ、“みらい” のアタマがお揃いで……」
彼女は最初、艦長か副長ぐらいしかいないと思っていたのだが、予想よりも人数が多いので少し驚いていた。
艦長が召集をかけたのかどうかは分からないが、ここにいる全員の自分を見る目を見ればあの二人の事を知りたがっているのは確かな様である。
まぁ、仕方ないか…と、彼女は心の中で軽く肩を竦めた。
「――― で、救助した者達の容態はどうかな?」
「はい……。まず、男性の方ですが銃創等の外傷はありません。
しかし、着水時の衝撃によるものと思われる胸部、前頭部の打撲が認められます。絶対安静が必要ですね。
現在骨折箇所を固定し、輸血及び点滴による実施しております。
鎮静剤を投与してますので意識が戻るまで時間がかかると思われますが…」
「では、全治までは…ひと月以上はかかる……かな?」
「はい! 二ヶ月と判断します。」
「そうか……… 」
艦長の梅津はそれを聞いて少し困った様に腕組みをしてイスの背にもたれた。
そんな梅津とは反対に、隣りに座っていた尾栗は、男の報告が終わったのを待ってましたとばかりにイスから身を乗り出す様に桃井に質問した。
「―― で! そいつの事はもういいから、あの女の子はどうなんだ?何者か分かったのか?
内火艇に乗ってたヤツらに聞いたら日本語しゃべってたって言うじゃないか!
日本人なのか、あの娘?」
野郎の事より当然女の子の方に興味がある尾栗は、ワクワクした表情で桃井が答えてくれるのを待っている。
他の者達はその様子に少し呆れていたが、尾栗の気持ちも分からなくは無かった。
ここに桃井が来るまで角松からの報告を聞いていた皆は、救助した女性のその言動に首を捻るばかりだったからだ。
―― なぜ彼女は一人、こんな海の真ん中にいたのか? なぜ自分達の事を "自衛隊" だと知っているのか?
そして一番分からない事は、なぜ角松の名前を知っていたのか?という点であった。
角松自身、何度思い返しても分からないのである。 謎は深まるばかりだ……。
その謎の女性の情報を少しでも得ようと、他の者も身を乗り出す様に桃井に注目している。
桃井はそんな男共の様子に、艦長以外は異性に対する興味本位からきているものだと思い込み、再び呆れた様に肩を竦めた。
「……ああ、あの娘なら先程意識が戻りました。
色々質問したかったのですが、その前に濡れた衣服を着替えてもらう為、今は医務室のシャワーを使用しております。
取り合えず彼女に聞いた所、国籍は日本人の様で、名前は ……と言っておりました。」
「………か。
で、彼女は俺の事について何か言ってなかったか、桃井 一尉?」
「副長の…事ですか?」
角松の言葉に尾栗はニヤリと意地の悪そうな笑いを浮かべると、からかう様に突っ込みを入れた。
「なんだ、なんだぁ~洋介? あの娘の事、気になるのかよ?
まあ、あんな若い娘に情熱的に抱き付かれりゃ、誰だってその気になるわな♪
まんざらでもないってか?」
尾栗の言葉に思わず目を丸くして赤くなる角松。
彼は自分の動揺を誤魔化すように怒鳴った。
「ばっ…!//// バカ野郎―― ッ!! ひやかすんじゃねェ!俺はただ……」
「その辺にしておけ、二人とも!!!(怒)」
菊池が眉間にシワを寄せて呆れた顔で溜息を吐いている。
彼は気を取り直して短く咳払いをすると、何事も無かった様に話題をかえた。
「……色々考えてみるより直接彼女に聞く方が早いと思います艦長。
只…、今までの事から考えられるのは、彼女も我々と同じ時代からタイムスリップして来た可能性があるという事です」
「なんだと!?」
「本当かよ、雅行!?」
「……あくまでも俺の推測だがな。
だが、これ以外納得の出来る答えはないと思うが?」
テーブルに乗せた腕を組み、自分の言った言葉を確認するかのように、菊池はメガネのフレームを少し押し上げた。
彼の意見に腕を組みながら艦長の梅津も考え込んでいる。そして……
「………そうじゃな。
菊池三佐の答えならば、彼女が角松二佐の事を知っているのも、我々自衛隊を知っているのも説明がつく…。
桃井一尉。戻ったらすぐ彼女にここへ出頭する様に言ってくれんか?」
「はい、分かりました。」
「それから…現在君が管理している医務室の個室を、あの男の為に使用したい。
悪いが私物など全て撤去してほしいのだが、いいかね?」
「軟禁する……と、おっしゃるのですか?」
桃井の言葉に黙って頷く梅津。
少し怪訝そうな桃井に、菊池がその理由をこう付け加えた。
「むこうも軍人、我々も軍人だ。 戦時下ととして当然の処置だ」
「分かりました、では早速……」
「必要ならば警護班を編成・派遣するが…」
部屋を退出しようとしていた桃井に、梅津はそう声を掛けた。
だが彼女はクスッ と軽く笑うと、腰に手を当て少しおどけて見せた。
「いえ、鎮静剤が効いているので大丈夫です。
それに優しそうなちょいと…イイ男ですから♪」
「あのなぁ………(汗)」
からかう様な桃井の態度に尾栗は思わず呆れている。
桃井一尉が医務室へと戻った後、仕官室に残った者達は再び深刻な表情に戻っていた。
だが、相変らず尾栗だけはいつもと一緒で、一度軽く肩を竦め、今の男の処遇について意見を述べた。
「ムリ ムリ! 二ヶ月なんて機内の全ての情報を遮断なんて、出来っこ無いぜ。
それよか お互い情報開示して、この時代に必要な情報を貰っちまえばいいんだよ!
バンバンとな!」
「……本艦の存在と能力を知られたら、あの男を帰せなくなるんだ。
その責任は取るのか? 尾栗」
「……………ちっ! 」
菊池の言葉に反論出来ず、少し不服そうに小さく舌打ちをした。
どうやらそこまでは深く考えてなかったらしい…。
「生かした以上…、やるしかなかろう………」
「船務の全ては私の……責任です。」
艦長の重い口調に、角松も両手を握り締めてそれを見詰めた。
そして、あの時自分のとった行動がどんな結果になろうとも、全て責任をとる覚悟を決めたのだった。
「目が覚めたら60年後の艦の中………、夢にも思わないだろうな…。
あのまま沈んでいた方が幸せ…だったかもね。
さってと! 戻ったらまず、あのって娘を出頭させて………あっ!」
医務室に戻る最中、桃井がふと目の前の医務室の方を見ると"みらい"乗員の中で唯一の一般人、フリーカメラマンの片桐がコソコソと部屋に入ろうとしている所であった。
彼はこの世界の人間が救助されたと聞いて、早速カメラマンの血が騒ぎスクープを頂こうと、やって来たのである。
だが………
「ちょっと! 何やってんの、あんた!?」
急に大声で怒鳴られ、驚いて飛び上がる片桐。
手に持っていたカメラを落としそうになりながらも、何とか受け止め、声のする方を恐る恐る振り返った。
―― と、そこには腰に手を当て、仁王立ちしたこの部屋の主が通路の向こうに立っていた。
彼女の後ろにはゴゴゴゴ… と音が鳴っていそうなくらい、何か黒いモノが出ている様な……?
「わっ!! ハ…ハハ……(汗)
いやぁなに……、ちょぉ~っと あのお二人さんを取材したいと思ってね?」
「ダメ ダメ! 艦長命令で面会謝絶だよッ!!!」
有無を言わせず素早く片桐を追っ払う。
だが……勢い余ってドアを思いっきり閉めた為、部屋中にその音が響き渡ってしまった。
振り返った桃井が見たものは、診察台の上で目覚めるはずの無い男が、ぼんやりと自分の方を見ている姿であった。
呆然として思わず固まってしまう桃井。
『ウソ…。 い……意識が戻った………(汗)』
「………ハァ ……ハァ。 こ…ここは……?」
男は次第に意識がハッキリしてきたのか、辺りを見回した。
「天国……? では……ないな。 やはり、地獄………?」
男の問い掛けに何と答えようかと戸惑う桃井。
正直に答える訳にもいかず、悩んだ挙句当たり障りのない事を言った。
「あ……貴方は、生きてる……のよ。 …………………貴方は……」
「エンジンの鼓動が伝わる……、船の中……だな? 私は…………生きている!」
そう言うと男は、やっと今までの事を思い出したのかその生きている喜びに、大きく見開いた目からは大粒の涙が流れ出したのだった。
その姿に思わず桃井もドキッとしてしまう。だが努めて冷静さを装うと、少し微笑むように言葉を掛けた。
「そう……、貴方は撃墜された水上機から助けられたのよ…。 九死に一生ね。
今は絶対安静が必要なの……、だから安心してもう少し眠りなさい。」
なんとか平静さを保ちつつ そう言うと、隣にある自室へと戻って行った。
「ハァ ハァ ハァ…。小娘じゃあるまいし、ドギマギしてどうすんのよ私!////
こうなったらグズグズ出来ないわ!早いとこ片付けてこっちに移さなきゃ!」
だがこの時点で彼女はかなり混乱していた為、もう一人の救助者、の事をすっかり忘れてしまっていた様だ。(汗)
の方はシャワーを浴びてさっぱりしてから、借りた隊員服に着替えて先程片桐が来る前にはすでにこの医務室を出て行った後であったのだが……。
心地良い海の風に背中まである白く長い髪をなびかせながら、いつもの "カントリーロード" を口ずさんでいる。
そして空に浮かぶ大きな半月を見上げながら、今までの事を考えていた。
『角松さんが乗ってるって事はこの艦、やっぱり "みらい" だよね?
10年の間行方不明だったけど一体何処にいてたのかな?
まさか、日本の特務機関の関連で行動してるとか……?
それとも何かの映画の撮影なのかな??
……だって今よく考えてみたら、あの助かった男の人の格好だって普通じゃなかったし、
あの飛行機だってそうだもん。 映画上の事故だったとか……?』
「でも、生きててよかったな………」
そうつぶやいた時、艦の入り口の方からコツコツと音がして、何気なく振り返るとそこには先程と一緒に救助された男が日本刀を杖に立っていたのだった。
「あ……………」
お互いハッとした表情でしばらくの間、時が止まったかの様に見詰め合っていた……。
――― これより少し前、男は絶対安静の体をおして艦内の医務室から抜け出していた。
ふらつく頭と、息が詰まりそうに軋む体を引きずりながら、海軍将校である自分の任務を遂行する為、艦外へ出ようとしたのだ。
生きているならばなんとしてでも任務を果たさなければ……。
その想いの強さだけが重体である彼の体を支えているのである。
軍刀を杖に、通路を一歩づつ進みながら彼は気を失っている時に見た夢の事を考えていた。
『なぜだろう? あの時、私は夢を見ていた………。
石の様に体が動かない私に、知らない女が私に向かって何度も優しく
"大丈夫だ" と励ましてくれていた夢を……。それにあの歌は…………?』
冷たく暗い水底に沈む前に聞いた歌…、水の中で感じた力強い腕、それに温かい二つの鼓動。
――― あれは一体誰だったのか?
「あれは一体誰だったのだ……。 …………ん?」
艦の出入り口近くに差し掛かった時、そこから風と共に囁く様な歌声が聞こえて来た。
男はまるでその歌声に惹かれる様に、出入り口へと近付いて行った。
――― すると、そこには見知らぬ女が風に髪をなびかせながら月を見上げていた。
それも、雪の様に白く長い髪を……。
『あ…………』
「あ…………」
――― 見詰め合う二人――――
『………似ている……。 だが、こんな所に
それにこの不思議な歌は、あの時の……夢で聞いた歌だ。 では、この女が私を……?』
男がを見て目が離せなかったのは、自分のよく知っている者に似ていたからだった。
だが、それとは別に見惚れていた…という理由もあった様だ。
満月の月明かりに照らされた彼女の雪の様に白い髪。
その顔立ちは確かに日本人なのだが、髪も眉も色素が薄く、月明かりに照らされたそれは幻想的に美しく彩られていた。
「美しい………。」
男は思わずそう呟くと、今まで止まっていた時が動き出した様に、周りの音も聞こえ出した。
それまで動かなかったも、最初 キョトン とした表情を浮かべたが、すぐに誰に向けて発したのか分かり、男のその言葉ににっこりと満面の笑みで返した。
「フフ……そうでしょ? 私もそう思う。やっぱりこの艦ってステキですよね♪」
「え………?」
的外れな事を言われ、少し呆気に取られている男。どうやら彼女は勘違いをしているらしい…。
だが、その男にかまわず、は嬉しそうに両手を広げ、無邪気にクルッと回って見せた。
「この艦は "みらい" って言うんです。
ようこそ "みらい" へ♪ …………えっと、名前は?」
「あ…ああ、私は草加だ」
「そう、草加さんね? 私は ! よろしくネ♪」
そう言ってから手を握られ、慣れない事に戸惑う草加。
だが、余りにも屈託の無い笑顔を向けられ、不覚にも見惚れてしまう。
「き、君は……この艦の乗組員…なのか?」
「え?私が? いいえ、私もあなたと一緒に救助されたんです。
私の船もあの嵐で沈んじゃって…。 ホント、お互い助かって良かったですよね!」
『嵐……? 変だな、あの海域近くには嵐など無かったハズ…。
それに民間の船はこの辺りは通らないのだが……?』
草加が不思議に思っていると、急にが驚いた様に声を上げた。
「く、草加さん!そう言えばケガ大丈夫なんですか!?
あの看護士さんは重体だって言ってたみたいですけど…」
「(看護士…?) ああ…その様だな。
だが私にはやらなければならない事があるんだ、泳いででも任務を遂行しなくては……」
「ええっ!? 泳ぐって……(汗)
よ…よく分からないけど、とにかく急いでるんですよね?
OK! それじゃあ草加さんはケガ人なんだから、ここで大人しく待ってて下さい!
私がボートか何か探して来ますから!!」
そう言うとは大慌てで、パタパタ とスリッパを鳴らしながら、ボートを探しに艦の後方へと駆け出して行った。
一人取り残された草加は、そんなの後ろ姿を少し呆気にとられた様に見送っていた。
今まで出会ったどんな女にも当てはまらないタイプだったので、かなり面食らっていた様だ。
『……最初見た時は、美しいだけの女だと思ったのだが、あんなに表情が豊かな女は初めてだ。
まるで子供の様だな……フッ。』
思わず今の状況も忘れ、微笑む草加。それは表情の乏しい彼にとっては珍しいことであった。
そしてが嬉しそうに言った言葉を思い出し、艦を見上げた。
「そうだな、この艦は………美しいな………」
だがそんな時、この甲板に脱走した草加を探していた角松達が丁度やって来た様だ。
角松達がいる事に気が付いた草加は、さして驚いた様子もなく、海上を見詰めたままでしゃべり出した。
「わが帝国海軍の艦艇とも、英米仏独の艦艇とも……違っている。」
草加の問い掛けにそのまま答える訳にもいかず、角松はこの話題を避ける為、反対に尋ね返した。
「……飛び込むか…、それとも腹を斬るつもりなのか?」
「どこまでも泳いで任務を遂行する。 力が尽きれば『赤城』と共に逝った、戦友の所に行ける………」
「あんたを助けたのはこの人よ! そんな事考えちゃダメよ!!」
草加の言葉にギョッとした桃井が、慌てて止めた。
「……だが、潮風に当たったら気が付いたよ、海軍軍人でありながら泳ぎが苦手だった事に…ハハハ」
そう言うと草加はやっと、角松達の方をゆっくりと振り返った。
「この艦の所属と…航行目的を知りたい。」
「残念ながら………お答え出来ない。」
―― その言葉はウソではなかった。 答えない…のではなく、答えられなかったのだ。
彼ら自身、なぜこんな不条理な出来事に巻き込まれてしまったのか、乗組員の誰一人として分からなかった。
『何処に向かって行き……、何の為に存在するのか……?
それは我々の方が知りたいのだ』
いつまでたっても黙ったまま答えない角松に対し、心の中で小さく舌打ちをする草加。
それでも答えを得ようと、彼は少し質問を変えてみる事にした。
「では……敵か? 味方か?」
「………………ただ一つだけお答え出来る。
我々は……貴方と同じ………日本人だ! 私は 角松 洋介。」
それを聞いた草加は少し間を開けた後、いきなり杖にしていた軍刀を少し鞘から抜くと、その刃先を見詰め、しばらくの間何か考えていた。
『彼らには何か訳がある様だ……。第一こんな艦は見た事が無い。特務……の艦なのか?
命ある限り、自分に課せられた任務を遂行せねばならないのは、軍人の務め。
今から駆け付けてもあの海戦には もはや間に合わないだろう……。
だとすれば私に残された道は自決だけなのか!?
いや………。 自決ならいつでも出来る!私は生きているのだから………。
ならば、せめてこの不明艦の情報だけでも、持ち還らねば!
………なぜだかは分からないが、この艦には予想を超える
どうやら草加は自決を思い止まり、この艦に残る事を決意した様だ。
彼がそう考えていた時、近くにいた尾栗達はその刀で腹を斬るのかと一瞬ヒヤリとして身構えたが、草加がすぐにその刃を閉まったのでホッ と肩の力を抜いた。
「私は海軍少佐……草加 拓海。 助けて頂いた事を、感謝する。」