目の前に広がる白い空間、そしてそこから舞い降りて来る白く冷たい、ふわふわしたもの…。
物音一つないそんな幻想的な光景を、ぼんやりとする頭でしばらく見詰めていた。
[ きれいな雪………。]
そう呟いてしばらく間が開いた後、ふと何かを思い出す。
[ え?雪……? あれ…?? ここってハワイ沖…だよね…?]
次第にハッキリして来た意識でやっと、自分の置かれた状況を思い出し、慌てて飛び起きた。
[ ――― って、呑気に寝ている場合じゃ無かったぁッ! 早く避難しなきゃ!!!]
正気に戻って辺りを見回すと、あれは夢だったのか、いつの間にか先程の雪は止み、代わりに一段と濃い霧が辺りを包んでいた。
あの嵐がウソの様に静まり返っており、この近くにはジャックとシンシアを乗せた救命ボートの気配は無かった。どうやら完全に逸れてしまった様である。
[ さて…、ここからどうやって脱出するか……。]
救命ボートは残念ながら一つしか無かったので、この沈み掛けた船から脱出するには他の物を探さなくてはならない。
取り合えず何かないかと水浸しの船内を探っていると、ビーチで遊ぶ為の二人乗りのゴムボートを発見した。
は大喜びでそのゴムボートを膨らまし、これから何日海上を漂うか分からないので、船内にあるだけの食料や水を積み込んだ。
もちろん、肌身離さず持って来ていた仕事の大切な "七つ道具" も一緒に…。
[ もっとパニックになるかと思ったけど、案外冷静になれるもんだね……アハハ。]
緊迫した状況には仕事上慣れているので、こんな時には役に立つものだなと自分でも少し呆れながら、は肩を竦めた。
そして、どこかの漁船にでも拾われる事を祈りつつ、船から離れたのだった。
脱出してからしばらくはオールで漕いでいたが、今は疲れてボートに横になって寝そべっている。
このまま闇雲に漕ぎ続けていても、体力のムダだと感じたはどうやら運を天に任せた様だ。
[ はぁ……。こんなに霧が深いんじゃ、船が通りかかってもこんな小さなボートなんて分かんないよね?
それに海の上じゃ無いみたいに静かで、波の音さえしない……。何か不思議な感じだな。]
どこを見ても真っ白い空間を見詰め、はぼんやりと考え事をしていた。
逸れてしまったジャック達の事。それに自分が遭難したと知ったらビーチで待っている仲間に、どれだけ心配をかけてしまうのか?
そして、もしこのまま救助される事無く海の上で死んでしまったのなら、同じ海で死んだ角松とも遭えるのだろうかと……。
[ それでもいいから会いたいな……角松さん………。]
たった一度会っただけの、それも自分を覚えてないかもしれない相手なのに、なぜこれ程想いが募るのか自分でも分からなかった。
只一つだけ言えるのは、あの時の自分の頭を撫でてくれた暖かく大きな手が、父親を知らないにとって、どんなに求めても得られなかった、この上なく嬉しいものだった事は確かである。
その胸の詰まりそうになる想いに、思わず大きな溜息を吐く。
そしてそんな気分の時には必ず元気を出そうと、歌を口ずさむのが彼女のクセの様だ。
目を閉じた後、早速何かを口ずさむのだった。
一人ぼっち恐れずに
生きようと夢見てた 淋しさ押し込めて
強い自分を守っていこう
カントリーロード
この道ずっと行けば あの町に続いてる気がする
カントリーロード
歩き疲れたたずむと
浮かんでくる故郷の町 丘を巻く坂の道
そんな僕を慕っている
カントリーロード
この道ずっと行けば あの町に続いてる気がする
カントリーロード……
――― それは彼女の好きな "カントリー・ロード" の歌であった。
英語でも歌えるのだが、歌詞が好きなので昔の日本のアニメ "耳をすませば" の日本語バージョンで歌っている。
しばらく歌っていた後、ふと気が付くと今まで何も聞こえなかった空間に、波の音と風を感じ取った。
空気が変わったのに気が付いたがそっと目を開けると上空にはいつの間にか大きな半月が浮かんでいた。
[ ……あれ? ついさっきまで明るかったのに、いつの間に夜になったんだろ??]
首を捻りながら不思議そうに空を見上げていると、いきなり自分の乗ったボートに後ろから何かに当たった。
その反動で思わず海に落ちそうになるところ、なんとかふんばって四つん這いになってる。
[ わっ! なっ、何……………って、ホントに何これ!?]
何が当たったのかと慌てて振り向くと、何とそこには小型の飛行機が頭から海面に突き刺さっていたのである。思わずギョッ として目を丸くする。
月明かりだけが照らす暗い海の上にいきなり現れた、信じられない状態の乗り物。
[ さ…さっきの嵐で墜落しちゃったのかな……これ?]
恐る恐るオールを使い、その場から少し離れて全体を良く見てみると機体のあちらこちらに機関銃か何かで撃たれた痕があった。
それはこの機体が嵐等で墜落したのではない事を物語っている。
この近くで東南アジアでもよく見られる海賊でもいたのかと、少し警戒する中、機体の裏側に回り込むと、その羽には日の丸のマークがついていた。
[ 日本…の飛行機かな? それにしてもこんな海の真ん中でどこから………あっ!!]
ふと飛行機の操縦席に目を向けると、人がまだ乗っているではないか。
慌てて近くに寄ると、前の座席にいた人は血まみれで海面にうつ伏せになって倒れていた。
……頭を打ち抜かれている所を見ると死亡しているのは確かである。青くなる。
そして後ろの座席に目をやると、もう一人白い服を着た男が横たわっていた。
その顔付きからどうやら日本人の様であった。
見た所、外傷もなさそうなのだが、生きているのか死んでいるのか分からないので、恐る恐る日本語で呼びかけてみた。
「えっと……あ…あの! 大丈夫…ですか?」
――― だが、男は答えない。
後ろの座席はまだ海面より高い位置にあったので、ボートの上に立たなければ男の生死を確認する事は出来ない。
の乗っているのは遊具用のボートなので、そんな事をすれば底が破れてしまう可能性がある。
その上ヘタをすればバランスを失って転覆してしまうかもしれないのだ。
『仕方ない……。
さっきから少しづつだけど、沈んできてるみたいだから、手が届く所に来たらこっちのボートに乗せよう…。』
「もう少しだけ辛抱して下さいね! きっと大丈夫だから心配しないで!」
生きているにしろ、死んでいるにしろ、はこう言わずにはいられなかった。
月明かりだけが照らす暗く広いこの海の上に、たった一人でいるのには心細かったからだ。
大丈夫だから…と何度も励ます様に男に声を掛け続けていた。
そしてしばらくしてからやっと手の届く所まで来た時、男の服装を間近で見てハッとしてしまった。
それは昔の海軍の服装だったからだ。
一度は海上自衛隊を目指していたは、資料で旧海軍の事を調べた事があったので一目でそれが軍服だと分かった様だ。
その座席近くにあった軍刀や、肩に飾っているモールを見ても、どうやら男は海軍将校であるらしい。
『…なんで旧海軍の服なんか着ているのかな、この人……?
それに前の座席の人も、よく見れば昔の航空隊の服装よね?』
不思議に思いながら横たわっている男の首元に触れた。
そこからは弱くだが脈打っているのを確認する。
「あ……! 生きてる!! 良かったぁ!!」
男が生きてる事が分かったは大喜びし、男の素性を考えるのを後回しにして、まずは助ける事に専念した。
だが、やはり相手は男だけあって体も重く、その上気を失っているので思うように座席から、引っ張り出す事が出来ない。
どうすればいいのかと考えあぐねていると、何処からなのか波の音に混じって船のエンジン音が聞こえて来たのだ。
ハッとして暗い海を見渡すと、ある方向から、そのエンジン音と共に一つの小さな光が近付いて来ていた。
「あ…あれって船だよね?
や…やったー!助かった!! お――い! こっちだよ! お―――――い!!!!」
「誰からの指令も無く、自らの判断で行動する……分かるかね? "軍艦"にとってこの先は、どんな戦場より過酷な航海になるぞ!」
「は…………!」
艦ふねの操舵室の一画にて海図を見ながら、深刻な面持ちで二人の幹部が話し合っていた。
―――
2004年 6月 南米エクアドル争乱に伴う邦人の生命安全を守る為、横須賀基地から出航し、ハワイ沖で行方不明になった海上自衛隊の護衛艦である。
ハワイ沖で行方が分からなくなった後、信じられない事だが、彼らはなんと1942年の太平洋戦争の真っ只中にタイムスリップしていたのだった。
訳が分からぬままミッドウェー海戦を目の当たりにし、自分達の置かれた状況に困惑しながらも艦長 梅津三郎 一佐の指示の下、自分達が出航した横須賀基地へと一旦戻る事となった。
『この事象が本海域のみに作用している……という事も考えられる。
あの不可解な現象が起きた地点に戻れば、元の時代に戻れる可能性があるかもしれん。今はそう祈るしか無い様だ……。』
海図を見ながら幹部の一人、副長の角松 洋介は深い溜息を吐いた。
艦長の意見を聞きながら、黙々と海図に書き込んでいく角松。
そんな時、海上を監視していた隊員から緊急に報告が入った。
「漂流物です! 左舷前方20° 距離1500!」
「浮遊物は何だ!?」
「日本の水上機です! 日の丸を確認!」
「生存者はどうだ!?」
「二座です、後部座席に負傷者を確認! 生きている可能性があります、それに………」
「 ? それに……何だ!?」
「機体の側にゴムボートを発見しました! あ!人が乗っている様です!
こちらに気付いた様で救助を求めております!!」
「何だと!?」
受話器を持ったまま角松はしばし呆然とした。
救助を求めている者を助けるのは自衛隊でなくとも当然の事なのだが、いかんせん。"今" は1942年なのである。
なので今、目の前で救助を求めている者達は自分達とは違う時代の人間であって、もし、その人間に不用意に接触してしまったら、歴史を変えてしまうのでは……と、怖れたのだ。
艦長の梅津も同じ事を考えていた様で、複雑な面持ちで眉間にシワを寄せ黙って考え込んでいた。
だが、そんな考えを振り払うかのように角松は艦長に詰め寄った。
「……艦長! 相手は救助を求めています、見過ごしは出来ません。」
「……………ウム。 分かった、早急に救助に向かってくれ。」
「 ハッ! 」
「両舷微速――― ッ! 探照灯を照らし、内火艇 用―― 意!」
副長自ら救助に向かう為、慌しく内火艇等の準備をする隊員達。
そんな中、"みらい"の砲雷長である菊池 雅行が
彼は角松や航海長の尾栗 康平とも防衛大学以来の同期の友である。
「待て、洋介!! お前は怖くないのか…? その手で歴史をいじるんだぞ?
それこそ自惚れや過信じゃないのか!?」
「雅行! …俺は幽霊でも蝶でもない。 一丁前の船乗りとしてここにいるんだ!」
「洋介………。」
これより少し前、目の前で起きているミッドウェーの海戦を目の当たりにしていた時、尾栗になぜ戦闘に参加しないのかと問い詰められた菊池は "バタフライ効果" の話をしていた。
『北京で蝶が一匹羽ばたけば、その小さな気流が一ヶ月後、ニューヨークに嵐を起こす事もありうる』と……。
すなわちミクロな現象=過去を変えてしまえば、マクロ=未来に大きな影響を与えるのだという事だ。
ヘタをすれば自分達の家族や友人がこの世に存在しなくなる可能性も捨てきれないのだ。
だが、そんな菊池の心配を他所よそに、角松は救助に向かうべく内火艇へと乗り込んだのだった。
「内火艇 下ろせ! 乗員は左舷甲板に集合――― ッ!」
"みらい"の隊員達が見守る中、内火艇は沈み掛けた水上機へと近付いて行く。
水上機は遠目から見ても、その様子からかなり激しい戦闘をくぐり抜けてきた事が分かった。
――――だが…。
最初、水上機から脱出した者がボートに乗っているのかと思われていたが、探照灯を照らしてよく見てみれば、操縦席には攻撃で死亡している者がまだ横たわっているではないか。
これには皆、首を捻っている。
「…って事は、あのボートは別の所からここに来た…って事だよな?
さっきの戦闘で漂流してたって事か??」
「……おい!それに最初あんな頭の色してるから老人だと思ってたけど、ありゃあ女の子だぜ!!」
「マジかよ、おい!!!////」
騒ぎ出す艦の隊員達を後ろに、水上機近くに着いた角松達も目の前の女性=を見て少し戸惑っていた。
それはなぜかと言うと、軍艦である"みらい"を見て、はてっきりアメリカの艦だと思い込んでいたのだ。
なので先程から助けを求めるのも全ていつもの英語で叫んでいたのである。
の容姿から角松達も相手がアメリカの女性だと思い込んでしまった様だ。
「な…何でこんな所に女の子が////!? …それに英語しゃべってるって事は、アメリカ人か!?」
「この時代、アメリカ兵に女の子っていたっけ? もしかして民間人なのか!?」
「副長、どうしましょう! 英語でしゃべってますけど!!(汗)」
「何ゴチャゴチャ言っている!詮索は後回しだ、国籍なんざ関係無い!!」
角松の一喝で静かになる隊員達。
そして少し溜息を吐いた後、角松はに向かって英語で話し掛けたのだった。
防衛大学では、英語は必須科目であった為、角松も難なくしゃべる事が出来る様だ。
その様子をさすがは副長!と尊敬の眼差しで見ている隊員達であった。
一方の方は、先程から聞いている限りでは、の目の前の者達はどうやら日本語をしゃべっているのが分かった。
艦からの探照灯で逆光になり、彼らの顔が見えなかったので、今まで分からなかったのだ。
『え…? 日本語? ……っていう事は、この軍艦は日本の艦…、海上自衛隊なの!?』
よくこんな所まで…と感心した様に驚いていると隊長らしき者が英語で話し掛けてきたのに気付いた。
[ もう大丈夫です。 そこは危ないのでこちらに移って下さい!]
[ え…? あ、でも………。]
いきなり英語で話し掛けられたので思わず英語で返してしまう。
水上機の男も生きているのだと教えようとした矢先、突然水音を上げて水上機が沈み出したのである。
[ ああっ!!!]
「ウオッ! 沈むぞ!!!」
「!!!!」
――― 見る見る沈み出す機体。
はその機体と隊員達の方を交互に見ながら、呆然としたまま一向に動き出さない彼らに苛立ちを感じ、思わず大声で叫んでいた。
「何ボーッと突っ立ってるの!あの人はまだ生きてるんです!
貴方達、それでも日本が誇る自衛隊なんですか!?」
「「「 !!!!!!! 」」」
そう叫んだ後、すでに水中に沈んでしまった機体を追い駆けて、はためらいも無く海中へと飛び込んだのだった。
の言葉を聞いて、隊長=角松もすぐに装備を脱ぎ捨て、海中へ飛び込んだ。
「副長が飛び込んだぞ!」
「副長―― っ!!!」
角松がいきなり飛び込んだのにも驚いたが、それ以前に今までアメリカ人だとばかり思っていた女性が、いきなり日本語で叫んだので驚いていた。
「い…今の日本語だよな?」
「あ、ああ……。」
「それに…あの女の子、俺達の事 自衛隊…って言わなかったか?」
「い…一体どうなってるんだ!?」
隊員達が上で騒いでいる間、海中では機体にいる男の体を懸命に引っ張り上げているがいた。
だが女の力ではそれが限界の様で、途中までしか持ち上がらない。
その間も機体はどんどん海中へと沈んで行く…。
『早く助けなきゃ! だってこの人まだ生きているんだもん!!』
自分の非力さを恨めしく思ってる時、急に男の体が軽くなった。
ふと目を開けると、目の前には隊員の一人が手伝ってくれていたのだ。
男は後は任せろと言う様に大きく頷くと上を指差し、に海面に上がる合図を送った。
の方も正直息が限界だったので素直にそれに従い、代わりに近くにあった男のカバンを持って上がって行った。
海面に出ると一斉に歓声が沸き上がる。
「やった! 副長がやりました!! 女の子も無事です!!」
「ハァ…ハァ…ハァ…。 艦橋に報告! 生存者二名確保!!」
内火艇に無事引き上げられた男と。 男は重体の様で、未だ意識不明のままであった。
の方はと言えば、肺に水が入ったのか少し苦しそうに咳き込むぐらいで、後は全く問題は無かった。
「大丈夫ですか!? これを!」
「あり……がと…う……。」
隊員から渡された毛布に包まりながら息を整えていると、今まで艦長の指示を受けていた先程の隊長らしき人がやって来て、その髪から滴る水もそのままに、質問をして来たのだった。
「もう大丈夫ですか? …失礼ですが、貴方はどこから流されて来たのですか?
先程、日本語を話されていた様ですが、それに我々の事を"自衛隊"だと言ってましたが……。」
「え? 私…ですか? 私は………」
と、言いかけては目の前の隊長の顔を見てハッと驚いた顔をした。
「え……ウソ……」
「え?」
の見開いた目からは、止め処も無く大粒の涙がこぼれ落ちていた。
それを見た角松の方はギョッ とした様に驚いている。
「ど…どうしました!? 何か体調でも………」
そう言い終らない内に、は嬉しさの余り角松に抱き付いていた。
その勢いに思わず角松は尻餅をついている。
「うわあっ!!!/////」
「生きてた! やっぱり生きてた!!
会いたかったぁ…角松さん! 角松さん!!!」
いきなり自分達の副長に抱き付き、泣きじゃくっている女の子を見て他の隊員達も目を丸くして驚いていた。
それは艦の甲板から見ていた菊池や尾栗ももちろん例外ではなく、予想していなかった余りの出来事に、開いた口が塞がらない程、驚いていた様だ。
「なっ………////!? 洋介!!!」
「あ……あいつ、何で女の子に抱き付かれてんだ??」
だが、この中で一番驚いていたのは他ならぬ角松本人であった。
いきなり正体の分からぬ女の子に抱き付かれ、その上自分の名前まで知っているのである。
角松とて男である。若い女の子に抱き付かれれば正直悪い気はしない。(笑)
しかし、こんな状況では残念ながら素直に喜んではいられなっかた。
戸惑いながらも未だ自分にしがみ付いている女の子に声を掛けた。
「おっ、おい! あんた一体………って、ん?」
恐る恐る女の子の顔を覗き込むと、なんと彼女はいつの間にか気を失っていたのだった。
慌てる角松。
「おい!しっかりしろ! おい!!!」
―――― 1942年6月6日 01:30
海上にて撃墜された戦闘機より海軍将校1名、身元不明の女性1名を救助………。