一人の女性が陽の光でキラキラ光る海面を寂しそうに見ながら、手にしていた花束をそっと海に投げた。
その後、ゆっくりと手を合わせ、誰かを悼む様にしばらくの間祈り続けていた。
彼女の名は 。日本人である。
ただ、普通の日本人とは少し違っており、髪の色が黒ではなく雪の様な白い色をしていた。
――― それには理由があった。
今から19年前に起きた "阪神大震災" の時7歳だった彼女の唯一の肉親である祖父母が彼女の目の前で亡くなってしまったという悲惨な体験から、髪が真っ白になってしまったのだ。
の両親は、彼女が4歳の頃交通事故ですでに亡くなっている為、祖父母を失ってしまったその時、天涯孤独の身となってしまったのである。
だが、本来の性格の明るさと、育ててくれた祖父母が前向きな者達であった為、幼い身でありながらその辛い出来事を乗り越える事が出来たのだった。
そして、その辛さを乗り越えるきっかけを与えてくれた人物は他にもいた。
それは、今彼女が呟いた "みらい" という
彼は海上自衛隊であったが、災害派遣要請の為、その時神戸に派遣されていた。
父母の思い出が詰まった家も大好きだった祖父母も一度に失くしてしまい、自分も死んでしまおうとしていた所に彼がやって来て、それを押し止めたのだ。
そして、その後言った彼の言葉にハッと目が覚める。
『生きろ!生きて一歩でもいい、前に進むんだ!』
この言葉はの大好きな祖父がよく言っていた言葉と同じであった………。
祖父はよく
『辛い時ほどしっかり前を見て、自分の足で歩け!それが全て自分自身の力になる』 と教えてくれた。
忘れかけていたものを思い出し、胸が熱くなるのを感じる。
思い止まったの頭を、撫でてくれた大きな暖かい手を…その言葉を、今も忘れない。
「角松さん………。」
だが、その恩人はもうこの世にはいない。
今から10年前、南米エクアドル争乱に伴う邦人の生命安全を守る為、海外派遣され、ここ、ハワイ沖で消息不明となったのである。
あれから10年の月日が流れ、その事件は遺族や一部の者達以外、忘れ去られようとしていた。
[ Hey!。 もういいだろ?そろそろ島に帰ろうぜ。 ]
[ そうそう! アメリア達もビーチで待ってるわよ。]
[ ……うん。分かった。]
のいるこのクルーザーには他にも、ジャックとシンシアという彼女の仕事仲間が乗っていた。
彼らはアメリカ人で、仕事は民間のセキュリティー会社の社員…すなわちボディーガードの仕事だ。
は今、アメリカ国籍の日本人としてその仕事についていた。
女性でありながら、銃の腕前はオリンピックに出ればメダルを確実に狙える程の実力の持ち主で、格闘の方も合気道をやっていた祖父のお陰もあり、小さい頃から身に付いたその運動能力はSPの中でもランクAであった。
――― だが、そんな並外れた実力を持っている彼女だったが、
会社の評価はなぜかランクCであったのだ。
[ ホント、って腕はいいのに人に対して銃を撃てないってのがネックなのよね。
相手は殺すつもりで向かって来てるのに、武器だけ取り上げたって諦めはしないわよ?
確かに殺人はいけないけど、手足の一つや二つ撃ち抜く気じゃないとダメよ!
殺らなきゃ殺られるんだからさ。]
[ ………でも撃たれたら痛いよ? 斬られても痛かったけど…。]
ヤレヤレと言った様に肩を竦めるシンシアに、少し苦笑しながらは脇腹を摩った。
それを見てシンシアは何かを思い出したのか、あ!と小さく声を上げた後、申し訳なさそうにしている。
[ Oh Sorry! そっか……って一度、仕事中に負傷してたもんね。]
ボディガードの仕事中、は一度負傷していた。
大きなコンバットナイフで背中を斬り付けられたのだ。
不意を突かれたものだったのだが、相手を傷付ける事を怖れた結果、招いた事には変わりなかった。
キラキラ光る海面を見ながらその時の事を思い出し、は深い溜息を吐いた。
彼女が努力を重ね、ここまで強くなった訳は二つあった。
一つは強くなれば相手を傷付けずに済ませられる可能性が高くなるからだ。
正確に狙う事が出来れば武器だけを相手から取り上げられ、それによって余裕や冷静な判断が出来る。
そうすれば出来るだけ傷付けずに済む…そう考えたからであった。
『専守防衛か…、これだけなら日本の自衛隊の考えと一緒だね。 でも今の日本の自衛隊は……。』
は最初、恩人である角松のいる海上自衛隊員を目指していた。
だが、自衛隊の事について知れば知る程、矛盾する事ばかりが目に付く。
まるで手足を縛られたまま "戦って来い!" と言わんばかりに何も かもがんじがらめ なのだ。
戦後、連合軍…すなわちアメリカに負けた事で憲法も改正され、何もかも戦勝国の思い通りに変えられたのだと気付いたのだ。
学校では教えてくれなかった事…この時点で日本に対して歯痒さと憤りを感じてしまったのは
確かであった。
そしてその矢先、高校1年だったの元に "みらい" が消息不明だと伝わったのである。
二つ目の目標であった将来角松の下、彼の力になりたい…という目的が無くなったその時、は狭い日本を離れてアメリカに渡る決意をしたのだった。
は祖父によく聞かされていた事があった。
それは "自分が今いる国は自分が自ら選んで生まれて来た国" なのだと……。
どんな辛い事も、どんな悲しい事も全て自分の魂を磨く糧になり、この世には何一つ無駄な事は無いと教えられて来た。
胸が熱くなるようなその祖父の言葉を、今もは信じている。
―――― ならば、なぜその自分の選んだ国を捨ててまでアメリカ人として暮らしているのか?
そんな疑問を持ってしまうかもしれない。
だが、これには彼女なりの考えがあり、またいつか日本人に戻るつもりなのだ。
今の内にアメリカの事を知り、その経験と知識を持って帰ろうと考えている様である。
すなわち、"虎穴に入らずば、虎子を得ず" のことわざを実行中なのだ。
[ ん~~~~、さってと! ゴチャゴチャ考えても仕方が無い!
角松さんのお墓参りも済んだ事だし、帰ったら思いっきり食べまくっちゃうぞーっ♪]
気分を切り替えようと大きく伸びをした後、は海に向かって元気良くそう叫んだ。
それを見ていた二人は、彼女の切り替えの早さに感心しつつ、半分呆れた様な顔をしている。
[ ……相変らず、色気より食い気だ…(汗)
これでオレより年上だって言うんだから信じられねぇよなぁ、ハァ…。]
[ そうよねぇ、黙って立ってれば勝手に男が寄って来るぐらいキュートなのに、あれじゃぁね(汗)
おまけにこれでもかって程、鈍いし……。]
[ そうなんだよ! このオレがあれだけアピールしてるって言うのに、全っ然!気付いてくれねぇんだよ!!
オレは本気だって言うのに……。]
シンシアの何気ない一言に激しく同意するジャック。彼は訴えるような瞳で拳を震わせていた。
だが……。てっきり同意してくれると思われていた彼女は、彼の意に反して大きな溜息を吐いた後、呆れた視線で睨んだ。
[ あらジャック。 あなたのは仕方ないと思うわよ?
だって…今まで何人の女の子に手を出したと思ってるの!
今更本気だって言っても説得力なんて全っ然無いわよ。]
[ ぐっ……!//// ]
思わぬ反撃に会い、言葉を詰まらせるジャック。
そんな彼に対して、おかまいなしに追い討ちを掛けるシンシア。
[ それにはスクール時代からの同僚だもの。
…そんな大事な友人を、女好きな貴方なんかに簡単に渡せるもんですか!]
[ なっ!?
………やっぱりオレとの仲を邪魔する為に、わざわざ付いて来たんだな!?シンシア!]
[ あ~ら、私だけじゃないわよ? ビーチで待ってる他のみんなだってそうだもん。
みんなのが誰か一人のものになっちゃうのは、許せないんですって♪ うふふふ…。 ]
唇に指をあて、意地の悪そうな微笑を浮かべるシンシア。
彼女が言う様に、職場ではは人気者だった。
何に対しても一生懸命で、その年齢に似合わない、子供の様に素直な性格が皆の『癒し』の存在になっていたのだ。
ボディーガードという仕事は人に対して常に警戒心が必要である。
この仕事を長く続けていくと、プライベートでもその影響が出てきて、半分病的ノイローゼな人間不信に陥る者も少なくはなかった。
だが、は違った。
確かに任務に就いている時は神経を鋭く尖らせているが、一旦仕事を離れると別人の様に元に戻るのである。
二重人格なのか?…と、言われた事もあったのだが、
は別段それについて悩んでる様子はなく、素直に受け入れているのだと言う。
本来の前向きな性格がそうさせたのか、不思議に思っている同僚に彼女は笑ってこう答えた。
『この世には無駄なものなんて一つも無いんだよ?
だからこの性格だって必要だからあるんだし、もし嫌だって思ったら、やめればいいんだよ。
だって……。
人の心を変えるのは難しいけど、自分の心は100%変えてもいいんだもんね!』
これは、おじいちゃんの受け売りだけど……と、少し照れながら嬉しそうに言っていたらしい。
国や習慣は違えども、のその前向きな言葉は、他の同僚達にも深い感動を与え、今まで 『東洋人だから』 と少しバカにしていた者達も考えを改め、彼女に接する様になった。
そして、見返りを求めないの優しさや強さは、皆の心に癒しを与える存在となっていたのだが、当の本人はそれに気付いていない様である。
[ くそっ! ジムのヤツ…アイツもグルだったのか! 協力してくれるって言ってたのに……。]
ジャックは今頃ビーチでバカンスしているだろう同僚に対し、小さく舌打ちをした。
[ ふふふ…お生憎様。 それでも腕づくでって言うなら、こっちも実力行使させてもらうけど。
……どうするジャック?]
不敵に微笑むシンシアの目が妖しく光る。
自分よりランクが上の彼女に対抗出来るのか!? ぐっ!…と悔しそうにジャックは言葉を詰まらせた。
―――今、二人の間には見えない火花が散っている……。
[ ………ねぇ、二人とも何見詰め合ってるの??]
[[ OH!!!]]
ふと見ると近くにが来ていて、不思議そうな顔で二人を見ていた。
それを見たジャックとシンシアは、慌てて臨戦体勢を解き、少し引き攣った顔で答えた。
[ な…何でもないわよ? それに私達別に見詰め合ってる訳じゃないし……。おほほほ! ]
[ そ、そうだぜ! は…はははは! ]
[ ??? ]
二人のぎこちない態度に首を傾げる。その後何かに気付く。
『あ…! もしかしてこの二人………////。
やだ!私ったら、もしかしなくてもお邪魔だったんだ!?………悪い事しちゃったよ(汗)』
普段使わない "女の勘" がなぜかこんな時に限って働いた。
………だが案の定、日頃使わないので当然の如く勘違いをしてしまっている。
なのでこの後とった彼女の態度は、よそよそしいものとなり、がそんな事を考えているとは知らない彼らもまた、彼女の態度に首を傾げていた事は言うまでもなかった。
そしてその後、三人の乗ったクルーザーは元来た島へと戻って行ったのだった………。
何事も無く そのまま帰路に着けると思っていたのだが、進路変更してから30分もしない間に雲行きが怪しくなって来た。
今まで穏やかだった海上には、白波が立ち始め風が次第に強くなってきている。
そうこうしている間に、とうとう大雨が降り出してしまった。
[ OH! 何これ!? 予報じゃこんな嵐なんて無かったハズよ!]
船は強い風と波で、ミシミシと悲鳴を上げている。 ジャックは舵を取りながら必死に横波を避けていた。
だが彼の努力も空しく、大きな波の直撃を受けたクルーザーは大きく傾き、強風に耐えられなかったマストが、操縦室に倒れてきたのである。
幸いジャックは右腕を負傷しただけで、命に別状は無かった様だ。
[ このままではこの船は沈むぞ!二人とも早く救命ボートに乗り移るんだ!!]
大急ぎで救命ボートを下ろし、避難しようとする三人。ジャックが先に乗り、シンシアが後に続く。
そして最後にが乗り込もうとした時、何かを思い出した彼女は急に船内に向けて戻って行った。
[ ゴメン!大事な物忘れてた!ちょっとだけ待ってて!!]
[ バカ!そんなもん諦めろ、!!]
ジャックの止めるのも聞かず、は船内へと下りて行く。
そして自分の部屋にあったバッグを掴むと、大急ぎでもと来た道を戻って行ったのだった。
『これだけは何がなんでも手放せない! 私の大切な思い出が入ってるんだもん!!』
[ お待たせ!それじゃ……]
と、船内の入り口から飛び出た瞬間、目の前の折れたマストに雷が落ちたのだ。
ドオオォォォ――――――ン!!!!!
その閃光と衝撃で吹き飛ばされるは、後ろの鉄板に叩きつけられ、頭をしたたかに打ち気を失ってしまった。
[ ああっ! !?]
ジャック達を乗せた救命ボートも今の衝撃で、繋いでいたロープが外れ、気を失ったをその船に残したまま、船から離れて行ってしまったのであった……。
[ ――――― ッッ!!!!!]