双方の攻防戦が収まり、それを見計らった様に
聞仲のその声に反応したのか、煙の中から慌てた様に、四つの影が現れたのだった。
「「「「 ぶ、聞仲様!? 」」」」
聞仲の姿を目にした瞬間、彼らは一気に正気に戻った。
それは彼のバックから、得体の知れぬドス黒いオーラが漂っているのを見て、自分達がしでかした事の重大さに、やっと気付いたからだった。
彼は眉間に深いシワを寄せ、しばらく自分達を睨みつけたまま、黙って立っていた。
きっと静かに怒っているのだろう……。
その沈黙がかえって怖い。まるで針の筵に包まれている気分だ……。
一方 聞仲の方は、今にも
彼ら四聖は、金ゴウ島でも指折りの道士達であり、礼を欠く様な下等な妖怪仙人ではない。
なのにこの有様は、一体どう言う事なのか?
その上、自分の懐にいる娘を襲った理由も解せない……。
ふと、四聖が一人欠けている事に気付く聞仲だったが、今はそれよりもこの由々しき事態の解明が先だと判断したのだった。
「…………四聖達よ、これは一体どういう事だ!? 説明しろ!!」
「こッ! こ、これは……その……」
聞仲の第一声に縮み上がる四聖達。
誰もが言いにくそうに、口をもごもごさせている。
「あ、あの娘を捕まえる為に……って、ああッ、お前! こんな所に!?」
それを聞いた
「聞仲様! その娘から離れて下さい! そいつは危険な妖魔なんです!!」
「妖魔……?」
「そうです!あの女狐共の様に、
聞仲は、自分の腰にしがみ付いている娘を見た。
不安気に見上げるその瞳からは、王魔が言う様な邪悪さは感じられない。
例え得体の知れぬ者であっても、目は嘘をつかないのだ。
その点を見ても、あの50年前に対峙した妖狐とは、全く性質が違うのが
――四聖達は金ゴウ列島の
なので修行に明け暮れる毎日を送っている為、余り人間に接した事が無い。
仙道という人種自体、多くの者が協調性に欠ける性質を持っているだけに、人を見る目も必然的に、自分本位になってしまうのだろう。
言葉の通じない相手なら尚更である。
ほんのささいな誤解が、彼らにとって脅威を感じたのかもしれないと聞仲は思った。
「なるほど……。
お前達はこの娘を危険分子だと判断して、排除しようとした訳なのだな?」
「は、はい……」
深い溜息を吐いた後、聞仲はゆっくりと息を吸い込んだ。
そして額の第三の目が開くと同時に、辺り一帯に響く声で怒鳴った。
「バカ者ぉッ! 私がいつ、この娘を始末しろと言った!!」
「「「「 ひいっ!!!! 」」」」
「ましてやここは、人間のいる地。
その人間に被害が及ぶ所で、
聞仲の怒りはまだ治まらない。
四聖の次は、その側にいた黒麒麟に、怒声を浴びせた。
「黒麒麟! お前もついていながら、なんたる事だ!!」
「もっ、申し訳ありません、聞仲様………」
聞仲の怒鳴り声を、側で聞いていた少女
自分を今まで攻撃していた人達は元より、あの大きなカブト……いや。
見ている限りでは、どうやら自分を襲った事で、怒られているのが分かった。
この騒ぎを起したのは、確かに目の前の者達ではあるが、よくよく考えてみればその発端は全て自分だったのだ。
なのに自分だけこんな安全な所にいても、いいのだろうか……?
の良心が痛んだ。
そう考えると、居ても立ってもいられなくなり、怖いのも忘れて飛び出したのだった。
「お前達は、この責任をどう取るつもり……」
【 ま、待って下さいッ!!! 】
「?」
聞仲の目の前で両手を広げ、は皆を庇う様に立った。
驚く聞仲達。
怒りの矛先が自分に向いていないとは言え、額の目を開眼させた聞仲の迫力に足が竦んだは出来るだけ体の震えを押さえつつ、やめてくれと首を振った。
【 お……お願いです、こ、この人達を怒らないで下さい!
元はと言えば、悪いのは私なんです!!
ごめんなさい!この通り謝りますから!! 】
「……………………」
「娘、お前…………」
言葉こそ分からなかったが、目の前で頭を深々と下げる娘の様子を見ると、彼女は、どうやら四聖達を擁護しているらしい。
四聖達もまさか、殺そうとしていた相手が、こんな行動に出るとは思ってもみなかったので信じられないとばかりに、目を丸くしていた。
聞仲はしばらく黙ったまま娘を見ていた。
一目でその小さな体が震えているのが分かる。きっと恐ろしいのを我慢しているのだろう……。
そんな娘の健気さに胸を打たれたのか、聞仲の怒りは少しづつ治まっていったのだった。
済んでしまった事を、今更とやかく言っても仕方がない。
太師府がこの様な状態になってしまったのは、かなり痛いのだが……。
長い沈黙の後、聞仲は深い溜息を吐いた。
「………………分かった、もう良い」
そう一言いうと聞仲は、まだ頭を下げ続けているの頭にポンと、軽く手を置いく。
恐る恐る顔を上げて、聞仲の顔を見る。
彼はフッと微かに微笑むと、頷いて見せた。
言葉が分からなくとも、それはに通じた様で、彼女は嬉しそうに笑った。
【 あ……ありがとうございます!!! 】
緊迫した雰囲気が解かれ、黒麒麟や四聖達も一気に全身の力が抜けた。
思いもかけない者からの口添えで、人生最大のピンチを脱した彼らは、まだ納得出来ない部分もあったが、皆一応、彼女に対して感謝の想いを持ったのだった。
なんとか聞仲の怒りも収まり、これにて一件落着と思われた時、ふと聞仲が、最初から疑問に思っていた事を四聖達に問いかけた。
「…………ところで、
「え? 高友乾?」
「高友乾…………ああっ!? 忘れてた!!」
を追い詰めるのに夢中になって、彼の事を今の今まですっかり忘れていた様だ。
王魔達は慌てて踵を返すと、宝貝攻撃のとばっちりに遭って、まだ瓦礫の下に埋まっているであろう、哀れな仲間を探しに行ったのだった。
先程から、事の次第を見守っていた
「……まっ!
取り合えず、何とか事態が収まって良かったじゃねェか、聞仲」
「そう……だな。
これ以上被害が広がらずに済んで、良かったと言うべきなのか……」
聞仲は変わり果てた太師府を改めて見渡し、二度目の深い溜息を吐いた。
これだけ大きな騒ぎになってしまっては、この事を
その時に、この娘の事をどう報告するべきなのか、頭の痛い所である。
「さて、どうしたものか……。
やはり、この騒動の発端であるこの娘を、紂王陛下に報告すべきなのだろうか……」
「報告……って、別にいいんじゃねェのか?
武術の鍛錬をしていた仙道が、つい熱くなり過ぎて、やっちまったって事でよ」
いつもの彼なら、この黄飛虎のいい加減な意見に即、反対していた事だろう。
だが、今回はどうやら別の様だ。
なるほどと一言呟き、聞仲は黄飛虎の意見に賛同した。
なぜ堅実な彼が賛同したのかと言うと、娘を発見した場所が場所だけに、もし有りのまま報告すれば、彼女の死罪は免れなかったからだ。
これも『縁』というものなのか…………。
漠然とした何かを感じながら、いつもの自分らしくない考えに、聞仲は目を伏せてフッと笑った。
「……そうだな。
やはり、まだ身元がハッキリするまでは、保留のままにしておこうか」
「身元が分からない……って、何だよ?」
腕を組み、顎に手を当てている聞仲を、黄飛虎は怪訝そうに見詰めた。
それに答える聞仲。
「ああ。お前だから本当の事を話すが、この娘は王墓の上で倒れていたのだ。
言葉が通じないのを見ても、異国の娘だとは、思うのだが……」
「何!? 王墓の上に!
……そいつはエライ所にいたもんだ。本来なら死罪モンだよな」
「ああ」
「しっかし、そんな大罪人を、太師のお前が見逃そうとするなんざ、
………やっぱ、お前の好みだからなのか?」
「なっ!? 違う!!!」
一方、先程から彼らの会話を、何とかして理解しようと聞いていた、は、聞仲と黄飛虎のやり取りを、首を傾げながら不思議そうに見詰めていた。
『……あの人って、『聞仲様』っていう名前なんだ……』
自分に攻撃を仕掛けていた人達や、あの霊獣(?)が彼に向かって『聞仲様』と何度も呼んでいたのを見て、『聞仲様』と言うのが彼の名前だと覚えてしまった様だ。
なぜが不思議そうに見ていたかと言うと、その『聞仲様』が先程からプロレスの神様、ジャイアント馬場よりも大きい男に対して、何か一言いう度に彼の額の目が開いたり閉じたりしていたからなのである。
てっきり飾りだと思い込んでいた、に衝撃が走った!
このスケッチブックの中に描かれている彼の絵にも、確かに額の目はあった。
最初の時は開いていなかったので、分からなかったのだが、こうしてよく見てみると目と同じ動きをして、その上、器用に瞬いたりしているのだ。
今まで絵で見ていただけだったので、それが果たして本物の目と同じなのかどうか好奇心を刺激されたは、無性に確認してみたくなった様だ。
『たっ……確かめたい!!!』
だが生憎言葉は通じなかったし、唯一、の疑問に答えてくれる黒麒麟は、この場にいなかったので、これでは質問しようにも出来なかった。
なので今は諦めるしかない……。
もし、また変な行動をとってしまったら、今度こそ問答無用で殺されるだろう。
そう思い、は黒麒麟が来るまで、我慢する事にしたのだった。
その他にもここの事で、黒麒麟に聞きたい事がたくさんあった。
果たして自分はタイムトリップしてしまったのか、それとも全く別の世界に来てしまったのかそれが知りたかったのだ。
あのミサイルや、空中に浮く様な人間を見てしまってからは、どうもタイムトリップ説の可能性は低いと言わざるをえないだろうが……(汗)
それに冷静になって考えてみると、自分の運動能力が突然上がったのではなく、もしかするとここの重力が軽いのではないだろうか?
その事から考えてみても、―― 自分が居た世界ではない ―― という結論に達したのだ。
パラレルワ-ルド、異世界、別の惑星……。
どれも自分の世界とは、掛け離れたもののはずである。
戻れるかどうかも分からないのであれば、ここで生きていくしかないのだ。
ならば、いつまでも現実逃避している場合ではない!
そう決心したは、早速行動に移す事にした。
まず、ここの情報を手に入れようと考えた。
情報を手に入れるには、彼らの言葉を知るのが一番である。
そう思ったは最初考えていた通り、中国語で話し掛ける事にしたのだった。
『中国語が通じるか分からないけど……いざ! レッツ・トライだよ!!』
「だから! 何度も言っている……ん?」
「聞仲様! ……聞……仲様?」
何者かが、自分の名を呼び、マントを引っ張っているのに気付いた聞仲は、ふと、そちらの方に目をやった。
すると、今呼び掛けていたのは、言葉が通じなかったはずの、あの娘であった。
娘は少しはにかみながら、ずっと持っていたらしい書物を抱きしめ、語り掛けている。
それを見て驚く聞仲と黄飛虎。
「なっ……!?」
「おおっ!? しゃべったぞ!」
関心した様に娘に注目する二人。
娘は自分を指差し、同じ言葉を何度も繰り返していた。
「聞仲様!××××。××。×××?」
「ほぉ…………どうやら、この娘は私達とコミュニケーションを図ろうとしている様だな。
……と言うのがこの娘の名らしい」
「へぇーっ。なかなか前向きな娘じゃねェか、感心、感心♪
か……、やっぱり異国出身だけあって、変わった名前だなぁ」
昨日の不安に怯えている態度とは打って変わって、今度は前向きに、娘自らが歩み寄ろうとしている。
しっかりと聞仲を見詰める瞳の中には、その小さな体にも関わらず、明るさと強くしなやかな生命力を、彼は感じ取ったのだった。
――そう。まるであの頃の朱氏の様に……。
『あの時、この娘を見て似ていると感じたのは、これだったのか……』
先程娘が見せた優しさ、それに内に秘めた強さに聞仲は知らず知らずの内、惹かれていたのだった。
一方、そんな聞仲の隣でも黄飛虎が、興味深そうに娘を眺めていた。
黄飛虎は顎に手を当てながら、何やら考えている。、
そしてポン!と手を打ち、にんまり笑うと、大きな体を屈ませて娘と目線を合わせた。
「よおし! ! 俺は黄飛虎って言うんだ、分かるか? こ・う・ひ・こ!」
「こっ……うふ……こ??」
「むっ。異国のモンには、ちょっと発音しにくいか?
ん~~~、よし!それじゃあ……おじ様♪でどうだ!」
「なっ!?」
聞仲は黄飛虎の突拍子もない言葉に、思わず絶句した。
それが彼の願望なのかは知らないが、とても似つかわしくないその呼び名に聞仲は呆れてものが言えなかった様だ。
だが、彼が絶句している間にも、娘は首を傾げながらもその言葉を聞き取り、懸命に真似ようとしている。
「お……おじ……様? おじ様♪ ……こんにちわ、おじ様♪」
「おおっ!? なんだ、挨拶もちゃんと出来るのかよ!エライなは♪
おじ様は嬉しいぜ!わーっはっはっは!」
楽しそうに笑いながら娘の頭をガシガシと撫でる黄飛虎。
娘の方も言葉が通じたのが嬉しかったのか、にっこりと笑い返していた。
――はここの言葉がやはり、中国語である事を確信した。
目の前の大男が自分を指差し、『おじ様』だと、名前を教えてくれたので試しにその名前の前に、「ニーハオ」と付け加えたのだ。
『ニーハオ』は中国語で『こんにちわ』という言葉。
それを聞いた『おじ様』の驚いた顔と、笑いながら何度も頷くのを見て、その言葉がちゃんと通じたのだと確認した様だ。
『やっぱり中国語だったんだ!すっごーい、通じたよ♪』
初めて意思の疎通が出来た事で、の気持ちは喜びに舞い上がっていた。
だがすぐに、自分が簡単な挨拶程度しか、しゃべれなかった事に気付き、項垂れた。
『く~~~っ! こんな事ならもっと、中国語を習っとけば良かったな……』
いきなり娘が、教えていない言葉を、口にしたのには驚いたが、それよりも言葉の意味を知らないのを良い事に、面白がっている黄飛虎に腹が立ち聞仲は慌てて止めに入った。
「きっ……貴様! どさくさに紛れて、何を吹き込んでいる!?」
「何……って、言葉を教えてやってるんだが?」
「お前のは教えていると言うより、面白がっているだけではないか!」
「何だよー聞仲。そうカリカリすんなって!
あ! ……もしかして俺だけ『おじ様』って呼ばれたのが、羨ましかったのか?」
「なっ! 違ッ……!」
「分かった、分かった。 よぉーし、それじゃあ!
こいつの事は『聞仲様』じゃなくて、『聞仲くん♪』って、呼んでやってくれよ♪」
「ぶ……聞仲……くん?? 聞仲くん♪」
「はっはっは! そうそう『聞仲くん♪』だ。上手いじゃねェか!」
「あ……遊ぶな!飛虎!!」
再び二人の言い合いが始まり、の目にはそれが、ケンカしている様に見えてしまっていた。ハラハラしながら二人を見上げている。
『どっ……どうしよう! なんかまた、ケンカ始めちゃったよ~!
私、何か変な事言ったのかな? う~~ん』
本当の理由は分からなかったが、とにかく止めなければ!と思い、慌てて二人の間に割り込んだ。
言葉を知らない事が、こんなにも不便に思ったのは久し振りであった。
父の転勤で、アメリカで暮らし始めた頃を思い出す。
いくら世界が違うと言っても、同じ人間。きっとジェスチャーは万国共通だろう。
そう考え、はそれに頼る事にしたのだった。
――の思いが通じた様だ。
『聞仲くん』は少し屈み、自分に目線を合わせながら、優しい口調で語りかけて来た。
間近で見る彼は、絵で見たより優し気で、整った顔をしていた。
最初出会った時から、怖い印象しか受けていなかったので、ある種の感動を覚える。
アイスブルーの瞳で優しげに見詰められた瞬間、ドキンと心臓が高鳴り、は思わず見惚れてしまったのだった。
彼の大きな手が髪に触れ、自分の名前を呼ばれた時、胸の奥まで温かい想いが届いた。
それは、本来なら有り得ない出来事。なぜなら彼は違う世界の人間なのだから……。
ずっと憧れていた、絵の中だけの存在だった彼を目の前にして、改めては、この世界に来た事を、感謝せずにはいられなかった。
「…………どうした?」
【 えっ!? あ…… 】
は、しばらくボーッと見詰めていたが、『聞仲くん』に声を掛けられ、そこでやっと我に返った様だ。
ずっと間近で彼の顔を見ていた自分が、急に恥ずかしくなり、は、不思議そうに見ている彼から慌てて視線を外した。
そして先程のお詫びを言い損ねていた事を思い出し、あたふたと焦りながら『聞仲くん』に向かって謝罪の言葉を述べたのだった。
【 え……えっと。あ……ああ……、あのっ! 】
「何だ……?」
「ぶっ……聞仲くん。…………聞仲くん、ウォー アイ ニー!!!」
「何だよ。『聞仲くん』の方が親しくていいじゃねェか!
……それとも『聞仲ちゃん』の方が良かったのか、お前?」
「飛虎! 貴様は私を一体何だと思って…………ん!?」
聞仲は黄飛虎の胸倉を掴もうとして、何かに阻まれた。
ふと下を見ると、いつの間にか娘が、二人の間に割り込んでいたのだった。
心配そうに見上げて、しきりに首を振っている。
どうやらこの言い合いを見て、ケンカだと思ったのか、心配して止めに入った様だ。
『…………こんな子供にまで、心配されるとは。
私とした事が、人目もはばからず、つい大人気ない事をしてしまった……』
すぐさま聞仲は深い溜息を吐いた後、自分を戒める様に軽く首を振った。
そして少し屈み、娘と同じ目線に合わせると、心配させてしまった娘に対し、素直に侘びたのだった。
「……心配させた様だな、すまない……」
安心させる為に、ポンと娘の頭に手を置いて、頷いて見せた。
だが娘は、なぜか顔を赤くしながら自分を見詰めている。
そのまま反応の無い娘に、不思議に思った聞仲は、戸惑いながらも声を掛けた。
「…………どうした?」
【 えっ!? あ…… 】
やっと反応を示した娘だったが、更に顔を真っ赤にして、なぜか慌てている様だ。
出会った当初から、何かと、お騒がせの娘である。
その行動はいつも不可解だ。
いきなりキスをされたり、鼻水をブッ掛けられたりと、いつも冷静な聞仲のペースをことごとく乱してきたのだ。
こんな破天荒な娘は初めてだ……と、聞仲は思った。
まだまだ謎は多いが、これだけ前向きな娘なら、互いに分かり合うのもそう時間は掛からないだろう。
幸い黒麒麟が、娘の言葉を理解出来る様なので、それを活用する事が出来るはずだ。
一先ずこの事態を収拾した後、改めて娘の身元を調べる事にしたのだった。
先程まであたふたとしていた娘だったが、今度は、戸惑う様子を見せながら、何かしきりに訴えようとしていた。
【 え……えっと。あ……ああ……、あのっ! 】
「何だ……?」
「ぶっ……聞仲くん。…………聞仲くん、あいしてるッ!!!」
「 !!!!!!! 」
――この娘の一言は、聞仲の全身に衝撃を走らせた。
――は「ごめんなさい」 と言ったつもりだった。
だが、実際彼女の口を突いて出たのは「ウォー アイ ニー」
という言葉だった。
簡単な挨拶程度しかしゃべれないにとっては、ちょっとしたミスだったがここの住人にはその意味が、雲泥の差程違っていた。
ましてや、色恋沙汰に縁がない聞仲なら尚更、衝撃的だったと言っても良いだろう。
案の定、免疫の無い彼は、最初は目を丸くしているだけだったが、その言葉を理解した瞬間耳まで真っ赤にする程、顔を火照らせてしまったのだった。
これには流石に黄飛虎も驚いた。
今まで長い付き合いの中、初めて見た表情だったからだ。
普段余り表情を崩さない聞仲だけに、余計に驚いてしまう。
普通に言われたなら、鼻で笑って一蹴していただろうが、今のは余りにも予測不能のフェイントだったので、彼も冷静な反応出来なかったのだろう。
その貴重とも言える瞬間を、目撃してしまった黄飛虎は、普段の彼とのギャップに込み上げる可笑しさを、とうとう押さえきれなくなってしまったのだった。
「ぶっ……ぶわーっはっはっは!!!
あ……あのカタブツの聞仲が、ま……真っ赤になって照れてやがるぜ!」
ひいひい言いながら、腹を押さえ爆笑する黄飛虎。
余程ウケたのか、涙を流しつつ、自分の膝をバンバンと叩いている。
「なっ……! ちっ、違う!これは……」
慌てて反論する聞仲だったが、真っ赤な顔のままでは、どうにも説得力が無い。
いつもの自分らしくない反応に、当の本人も困惑してしまっている様だ。
そんな彼の慌てっぷりは、更に黄飛虎の笑いのツボを刺激した。
「ぎゃーははははッ!!! やめ……腹痛てェ! ひぃ~~ッ!!!」
「わ、笑うな! 貴様ぁッ!!」
かつて無い程、黄飛虎に馬鹿笑いされ、聞仲のプライドが傷付いてしまったのか額の目を全開にして、頭に血を昇らせていた。
だが、再び抗議しようと立ち上がった時、爆笑中の黄飛虎が力任せに自分の背中をバンバン叩いたので、思わずよろけてしまったのだった。
はずみで前のめりになる聞仲。
その所為で、前に居た娘も巻き添えで倒れ込んでしまった。
「うっ!」
【 きゃっ! 】
――その頃、高友乾をやっとの事で瓦礫の中から救出した、黒麒麟と四聖達。
「うう……。す……すみません黒麒麟様」
「…………いや、これくらいかまわん」
「それにしても、一時はどうなるかと思ったよ!
聞仲様からは、大目玉喰らっちゃったしさぁ」
「大目玉……って、何の事だ李興覇?
それにこの太師府の有様は一体……?」
高友乾はすっかり変わり果てた太師府を見回し、隣に居た王魔にその理由を聞いた。
だが、王魔は気まずそうに、視線を泳がせている。
「そ、その……なんだ。ついやり過ぎた……だけだよ。ははは!」
「やり過ぎた……って、まさかあの娘を殺したのか!?」
「ううん。あの娘は生きてるよ? 残念だけど」
「残念って、李興覇、お前……」
王魔の気の短さは知っていたが、たかが一人の娘相手に宝貝を使うとは高友乾は呆れてものが言えなかった。
確かにあの怪力は、普通とは言えなかったが…………(汗)
それにここまで王魔に攻撃されて、無事に生きていると言うのも、普通の人間なら有り得ない事である。
やはり、只の人間ではないのだろうか?
高友乾は黒麒麟に、娘が今、どこにいるのか聞いてみた。
「…………そう言えば、黒麒麟様。
あの娘は一体、どこにいるのですか? 見当たらない様ですが……?」
「ああ。それならば、今、聞仲様と共にいる。
今からお前が無事なのを、知らせに行こうと…………なっ、何いッ!?」
「え?」
黒麒麟が立ち止まったかと思うと、いきなり驚きの声を上げた。
その様子に驚いた四聖達は、黒麒麟の視線の向こうに目をやった。
すると、そこで信じられない光景を見てしまったのだった。
「「「「 ああッ!!!!!!! 」」」」
【 え……えーっと 】
――は今、地面に寝っ転がっている。
そして、そのすぐ目の前には 『聞仲くん』 の顔があった……。
そう。所謂、押し倒された状態になっていたのである。
先程『おじ様』が『聞仲くん』を突き飛ばした拍子に、も巻き込まれてしまったのだ。
咄嗟に『聞仲くん』が手を着いた為、頭突きは免れたものの、その距離はわずか数センチしか離れていなかった。
なので、傍目から見るとキスをしている様に思われてしまうだろう。
そんな間近に、異性の顔……それも憧れていた人の顔があるものだから、の心臓は一気に跳ね上がった。
早鐘の様に鳴り響く心臓。
今のは、先程から顔を赤くしていた目の前の『聞仲くん』よりも、更に真っ赤になっている事であろう。
事故だとは言え、余りの衝撃的な出来事に頭が真っ白になり、互いに視線を逸らすのも忘れて見詰め合っていたのだった。
だが、そんな時――
「うわあっ! 聞仲様が娘を襲ってる!!!」
「 !!!! 」
その声で我に返った聞仲が顔を上げると、そこには高友乾の捜索にあたっていた黒麒麟と、四聖達が呆然と立ち尽くしていた。
その顔は皆一様に、信じられないモノを見てしまった、と言った表情をしている。
そんな沈黙の中、黒麒麟は恐る恐る聞仲に声を掛けた。
「ぶ……聞仲……様? この様な所で、一体何を…………」
「え……? ハッ!!!」
聞仲は自分の置かれている状況にやっと、気が付いた。
今の体勢は、どう見ても自分が娘を押し倒した様に見える。
その上、間の悪い事に、ほんの一瞬だったとはいえ、超至近距離で見詰め合っていたのを見られていたのだ。 これでは誤解されても仕方ないであろう……。
案の定、四聖達は口々に喚き出した。
「ぶ……聞仲様が、こんな事をするなんて……信じられない!」
「べ……別に構わないのですが、
人目もはばからず、こんな所でなさるとはなんと性急な方だ……」
「へぇー! 聞仲様って、
「こ、こんな子供に手を出すとは……。それが聞仲様の趣味だったのですか……」
いつもの聞仲ならこんな時も、冷静に対応出来たはずである。
だが、先程から娘と黄飛虎にペースを乱され、続け様に自分の部下にまで、あらぬ誤解をされては、流石に冷静さを保つ事は不可能であった。
普段完璧に物事をこなす彼にとって、この様な失態を人目に晒す事は恥以外の何ものでもない。
咄嗟に取り乱した自分を隠そうとするが、その焦りが、ますます混乱に拍車を掛けていた。
どうやらこの種の問題は、今まで接した事が無い様で、それも大きな要因となっていたのだった。
「こっ…これは違う!
飛虎が私を突き飛ばして……ふ、不可抗力だ!
ひ、飛虎! 貴様も何とか言え!!!」
いきなり話を振られた黄飛虎は、聞仲の縋る様な目を見詰めた。
あの聞仲が、珍しく人に助けを求めている……。
そう思うと友として嬉しい反面、いつになく焦っている彼をもう少し見たくて、ついつい、からかってしまったのだった。
腕を組むと、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる黄飛虎。
「はーっはっは! 悪ィ悪ィ!
だけどよ、聞仲?
告白されたからって、何もこんな所で押し倒す事はないんじゃねェのか?」
「なっ!? 何を言うか、貴様ッ!!」
てっきりフォローをしてくれると思っていた。
だが彼はフォローする所か、その期待を軽く一蹴し、挙句の果てには、火に油を注ぐ様な発言をしたのだ。
その表情を見れば、自分をからかっていることが一目瞭然である。
そんな飄々とした黄飛虎に、聞仲が殺意を覚えたのは言うまでも無かった……(笑)。
「「「「 や、やっぱり……!!! 」」」」
黒麒麟や四聖達の反応は様々であったが、皆一同、驚きの声を上げた。
慌てて反論する聞仲。
「ち……違うッッ!!!!!」
聞仲の混乱はとうとうピークに達していた――
一方、も冷静ではいられなかった。
今のこの恥ずかしい体勢を、他の人達に注目されているので焦っていたのだ。
『聞仲くん』も焦っている様で、真っ赤になりながら、何やら周りに怒鳴り散らしていたが肝心な事に、彼は一向に自分の上からどいてくれないのだ。
それはもちろん、彼の意図するところではなく、余りにも混乱していた為、そこまで気が回らなかったのだが……。
だが、大きく足をおっ広げ、その間に『聞仲くん』の体が入り込んでいる体勢は、男性経験の無いにとって、顔から火が出る程、恥ずかしい事であった。
一刻も早くこの状態から脱出したいのは山々だったが、焦りの為、上手く力が入らず『聞仲くん』の大きな体はびくともしない。
の恥ずかしさも、ピークに達していたのだった。
とうとう遠慮する事無く手足をバタつかせ、懸命に抵抗を始めた。
【 ぎゃーっ! やだーッ!
『聞仲くん』、早くどいて欲しいんですけど! ねぇ! 『聞仲くん』ってば!! 】
「飛虎の言った事は、デタラメだ!! 私はやましい事は一切…………ん?」
「×××! ××! 聞仲くん××! ××! 聞仲くん×!!」
弁解しようとした自分の下で、バタバタと何かが暴れているのに、聞仲は気付いた。
その喚く声を聞いて、自分が娘の上に覆い被さったままだという事を思い出し、慌てて飛び退こうと下を向いた。だが――
ぷすっ★
「 あ…… 」
「「「「 !!!!!! 」」」」
信じられないその光景に、皆、大きく目を見開いた。
なんと、暴れていた娘の指が、誤って聞仲の第三の目に入ってしまったのだ。
――聞仲の額に衝撃が走る。
「ぐはあッ!!!!」
「聞仲!!!」
「「「「 ぶ……聞仲様ぁッ!!!! 」」」」
いきなり目潰し攻撃を喰らった聞仲は、額を押さえて仰け反った。
いくら辛い修行の末、鋼の肉体を持った聞仲と言えども、眼球までは鍛えれない。
その急所ともいえる箇所を突かれ、久しく忘れていた身体の痛みに顔を歪めた。
一方、の方はと言うと、額を押さえて痛がっている聞仲を見て、呆然としていた。
そして、そんなに強くはなかったが、つっ突いてしまった自分の指を見ながら、その指先に感じた感触が、本物の目と同じだった事を改めて知ったのだった。
『ヤダ……アレって、やっぱり本物の目だったんだ。ど、どうしよう………』
自分のしてしまった事に、青ざめる。
そんな時、とこからともなく何かが切れる音がした。
――ブチッ……。
「「「「 !!!!! 」」」」
その瞬間、静まり返った空間に只ならぬ『気』が漂い、緊張感が走った。
その『気』を感じ取った以外の者達は、皆、一斉に聞仲の方を振り返った。
彼は項垂れたまま、ゆらりと立ち上がると、体からほとばしる怒りを抑える様に小刻みに震えている。
それはまるで、噴火直前の火山に似ている……。
その全身からは殺気を大いに含んだ、ドス黒いオーラが漂っていた。
そう……。先程の音は、聞仲の理性がキレた音だったのだ。
その様子を見て、誰もが思った。 こいつはヤバイと…………。
「お……おのれ……。よくも……よくも……」
【 え……? 】
『気』は読めなかっただが、なんとなくヤバイ雰囲気なのは聞仲の様子を見て分かった。
しかし自分がやってしまった事で怒らせたのなら、どんなに怖くても謝罪しなくてはと思い、恐る恐る聞仲に近寄ろうとした。
だがその時、何かの危険を敏感に察知した黄飛虎に、いきなり首根っこを引っ張られ、小脇に抱えられたのだった。
「ばっ、馬鹿野郎! 逃げるぞ!!!」
【 え? え? 】
――が黄飛虎に抱えられて、その場から離れた瞬間、それは起こった!
「うおおおおおおおおッッ!!!!!」
ズドドドドドドドドォッ!!!!!
とうとうキレた聞仲が暴走したのである。
天然道士の足にものを言わせて、全速力でを抱えて逃げる黄飛虎。
それに逃げ惑う四聖達。
「とうとう聞仲がキレちまったぁ!!!」
「「「「 うわあ ―――― ッ!!!!」」」」
「お、お静まり下さい、聞仲様ぁッ!!!」
黒麒麟の必死の言葉も、すっかりキレてしまった聞仲の耳には届かなかった様だ。
聞仲は狂った様に、怒りに我を忘れて宝貝・禁鞭を振るった。
その世にも恐ろしい光景に、太師府の者達も青くなりながら、慌ててその場から避難した。
黄飛虎も必死になって逃げながら、キレた聞仲がここまで恐ろしい事を始めて知り、今度からは聞仲を怒らすのは、出来るだけ止め様と心に誓ったのだった。
『は……はは。ちょ……っとやり過ぎちまったな、俺』
勢い良く上がる土煙と、建物の破壊される音が太師府一帯を覆い尽くす。
せっかく騒動が収まり、一段落したばかりだというのに、今度は聞仲の乱心によって再び太師府は破壊されてしまったのだった……(合掌)
――後に、この出来事は、王宮の紂王にも知られる事となったが、
もちろん修理費等は、民の税金を使えるハズもなく、今まで300年間太師として貯蓄していた聞仲のポケットマネーを全て注ぎ込んだのは言うまでも無い。
自分の失態を世間に晒してしまったこの事件に関して、余程触れられたくない事なのか、今でも聞仲は固く口を閉ざしている…………。