向こうの世界まで
「フフフ、当然ですよ
この私が初めてパワー
――と、ピエロの様な格好をした少年は、得意気に自分の霊獣に向かってそう言った。
彼の名は
一見、少年の様な容姿をしているが、彼はすでに五千年も生きている人間なのだ。
彼の霊獣
最強の道士、最強の霊獣。その上彼は最強の
それはこの世界では、うっかり見かけで判断してしまうのは、命取りになり兼ねない事を物語っていた。
申公豹は自分の宝貝、雷公鞭を懐にしまうと、目前の上空に浮かんでいる大きな山、
「……数百年に一度、
『異界の者』を呼び寄せたのは、これで何度目になるのか忘れましたが……」
「そうだったよね、申公豹。
……でも今まで崑崙山の連中が、何度もこんな事やってたのに、どうして今回だけ手を出したりしちゃったの?
やっぱりいつもの嫌がらせ?」
「……これは失礼ですね。
私だって、そういつも嫌がらせしている訳じゃありませんよ?
珍しく
「あの方って?」
「私の師、太上老君ですよ」
「ええっ!! あの老子様が!? め……珍しいね」
「でしょう? その上さらに珍しく、他人を気に掛けていたのですから驚きです。
今回の『異界の者』を召喚させない様にしてくれ……と、私に頼んでましたからね。」
「え……!? でも申公豹。結局、こっちに来ちゃってるよ?その異界の人」
「ああ、それはですね。うっかり私の手元が狂っただけですよ。フフフ……」
「………………」
確信犯的なその笑みに、黒点虎は大きく溜息を吐いた。
いつもは傍観者の様に振舞っている主人だが、物事がよりややこしくなる様に仕向けるのは彼の得意とするところなのだ。
あの太上老君が出て来た……という事は、余程の事がこれから起こる前触れだろう。
老子の言うとおりにしていれば、きっと何事も無く事態が収まったハズである。
だが、それを良しとしないのが申公豹。
彼のひねくれの度合いが、並でないのは長年の付き合いですでに知っている事。
そう考え、黒点虎はもう一度、深い溜息を吐いた。
「……それにしても、どうして今回は邪魔が入ったのかなぁ?
「……誰なのかは言えませんが、今はまだ『歴史の道標』と呼んでおきましょうか。
邪魔が入ったのは、
彼が より有利に立つ為の。」
「有利? チャンス……って一体何の??」
「フフフ。それを言ってはこの先、面白くなりませんよ」
「申公豹のケチ」
「………………」
黒点虎の歯に絹着せぬツッコミに、申公豹は無表情のまま沈黙した後、何事も無かった様に話し出した。
やはり空中にいる時は、宝貝が無ければ只の人……。命が大事。
そう彼も考えているのだろうか?
それとも長年の付き合いなのか分からなかったが、側から見ててもヒヤヒヤもんなのは確かだった。
「コホン! ………これで『異界の者』は
あの、したたかな老人の手からもね……。フフ……。
さて……これが吉と出るか、凶と出るかは分かりませんが、これまでとは違い違う歴史の道筋を辿る事は確かです。
ああぁ……久々にワクワクしてきましたよ、黒点虎♪」
「あのさ、申公豹。いっちゃってる最中悪いんだけど……」
「何ですか、黒点虎?」
「さっきの雷公鞭で、崑崙の仙人達が騒ぎ出したみたいだよ?
ほら、こっちに向かって来てるし」
「おっと!それはいけませんね。ここで騒がれるのは良くありません。
では、ここからさっさと退散するとしましょうか……。フフフフ♪」
「申公豹って、やっぱり変……」
――所代わって、
雲一つ無い晴れ渡った空に、轟く大音響と稲妻。
この大陸全土を揺るがせた原因不明の雷に、国中の者達は皆 驚愕した。
天変地異の前触れを思わせるこの現象が、一人の道士の宝貝によるものだと誰も知るよしはなかった。そう、仙道以外の者には……。
「大変です
殷の国の都、朝歌の太師府では、年若い顔立ちの補佐官が、慌てて太師の元に駆け込んで来た。
「騒々しいぞ
お前も道士ならば、あれが宝貝によるものだと分かるだろう」
「す、すみません聞仲様!あんな凄いのは初めてなので、つい……」
聞仲と呼ばれた男は、補佐官である張奎を静かに諌めると再び異変が起こった方角を見詰めた。
彼は殷の太師であり、また、道士でもある。
不老不死の仙道ゆえ、約三百年もの間、殷の国を影で支えて来た人物なのだ。
容姿は金色の髪に青い瞳。顔の半分は仮面に覆われている。
そしてその額には技を極めた者 特有の、第三の目が現れていた。
精悍な顔つきの内に秘めた、何事にも動じない気質は彼が長年生きて来た証でもあった。
「確かにな……、私も三百年生きているが、今まで見た事がない。
あれだけ強力な力を出せる者はそうはおるまい。雷……そうか、申公豹の雷公鞭か!?」
「あ、あの最強の道士と言われた、申公豹ですか!? でもなぜ……?」
「私の預かり知らぬ所で、何かが起こってるのかもしれんな……。
では、今から
しばらくここを空けるが、後は頼んだぞ張奎」
「は、はいッ! 聞仲様!」
「出るぞ、
『はい、聞仲様』
聞仲は四聖を引き連れ、霊獣 黒麒麟の乗って雷公鞭が使われたとされる、北西の方角に向けて飛び立った。
しばらく飛び続け、殷王家の王墓がある場所まで来ると、一度地上に降り立った。
雷公鞭の影響がまだ残っているのか、微かに不安定な上空を見上げ、聞仲は目を細めた。
「……こっちは、確か崑崙山のある方角だったな。崑崙で何か起こったというのか?」
そんな時、辺りを見回していた四聖の一人、
「うわっ! ぶ……聞仲様大変です! 王墓の上に人がいます!!」
「何っ!?」
聞仲も他の四聖達も慌てて王慕を見上げると、李興覇が言う様に確かに人が横たわっていた。
ただの行き倒れなら、わざわざ あんな高い所で果てる訳も無く、殷の民ならば、恐れ多くも王墓の上に、土足で上がったりはしないだろう。
ヘタをすれば死罪になるかもしれないのだから……。
どこの愚か者だ!?
……と、殷の太師である聞仲は、あからさまに不快な顔をした。
そして、その愚か者を聖なる場所から引きずり降ろすべく、すかさず黒麒麟を移動させた。
「おい貴様! ここを王墓だと知っての行為か!? さっさと起きろ!!」
聞仲の怒声が響く中、横たわっている者はそれでも動こうとしなかった。
背格好から見て少年の様で、胸が上下している所を見ると、行き倒れでは無くどうやら気を失っているのが分かった。
「!?」
さらに近くまで来て、聞仲は少し怪訝そうな顔をした。
短い黒髪から滴り落ちる水滴。よく見ると少年はびしょ濡れだった。
しかし、なぜ全身濡れているのか、この点が今一つ解せない。
なぜなら、この辺りに水辺は無く、雨が降った形跡も無かったのだ。
そして相手が気を失っているとなれば、やはり ただ怒鳴るだけでは無駄の様だ。
王墓の上に土足で降りるのは気が進まなかったが、四聖達に任すよりは……と、聞仲は仕方無しに、黒麒麟から降り立った。
ふと、間近に来てから聞仲は奇妙な事に気が付いた。
少年から『気』が、全くと言ってよい程感じなかったからだ。
死の間際の人間でさえ、もっとマシなのに、目の前の少年は生きているにも拘らずそれ以下なのだ。
もしや妖怪か?……と一瞬考えてはみたが、その特殊な『気』は、今まで見たどの『気』にも当てはまるものはなかった。
得体の知れない少年に少し警戒しつつ、腰の宝貝 禁鞭に手を掛けると聞仲は横になっている少年の肩を掴み、顔を覗き込んだ。
「!!!!」
少年の顔を見て聞仲はハッと息を呑む。
『朱氏……!?』
――その名を小さく呟いた時、聞仲の脳裏には三百年前の記憶が蘇ってきた。
それは彼がまだ殷の一将軍だった時に、同じ地位にあった女性の名である。
彼女は聞仲にとって良きライバルでもあり、また、仄かな想いを寄せる相手だった。
だが、当時の王に見初められ、朱氏は第二王妃となった。
王妃となった彼女はとうとう、聞仲の手の届かぬ存在になってしまったのだ。
その為、半ば自暴自棄になった聞仲だったが、その後の荒修業の結果、金ゴウ島の通天教主に仙道の素質を見出され、仙道の道に進む事となった。
殷はその当時、あまり強い国ではなかった。
ある時異民族に攻め込まれ、戦の中で王は亡くなり、そして朱妃も駆け付けた聞仲に王子を託し、死んでしまったのだった。
彼女の血を受け継いでいる王家を、今も聞仲は三百年もの間、太師として守り続けていた……。
時の流れと共に、その記憶も鮮明さが失われ、正直今では彼女がどのような容姿だったのかおぼろげにしか思い出せないでいた。
だが、それでも似ている……。聞仲はそう思った。
最初少年かと思っていたが、体に触れてみてやっと、女性であると分かった。
仰向けにしたその胸には、濡れた服の上からでも分かる膨らみがあったからだ。
――だから尚更だろうか?
ここは彼女、朱氏が眠る王墓。そこに彼女に似た少女がいた。
もしかしたらこの少女は、朱氏の生まれ変わりなのかもしれない……。
そんな考えが頭を過ぎった時、我に返った聞仲は首を振り、いつもの自分らしく無い考えに対し、自嘲気味に笑った。
「フッ……、まさかな。そんなはずは無い」
しばらく少年を見詰めたまま動かない聞仲に、戸惑う四聖達。
いつもの彼らしからぬ様子に、四聖達も首を傾げた。
「あの……。どうしました聞仲様?」
「いや……なんでもない。」
「そいつ、どうします? まだ子供の様ですけど……」
「……そうだな、このままでは何も出来ん。取り合えず、下に降ろそう。……ん?」
「う……ん……」
聞仲が少女の体を抱き上げようとした時、今まで気を失ってた少女がやっと目を覚ました。
――少女の名は、 。
は申公豹によって、黒い影と元始天尊の手から逃れたが、一旦行方不明になった彼女は、やはり この世界に召喚されていたのだった。
そして再び現れたのが、たまたま殷王家の墓の上だった訳だ。
召喚された時から、この世界の時間にして三時間程しか過ぎていなかったが、雨で全身びしょ濡れの為、体が冷えきっていた。
寒さと、周りの騒がしさから目を覚ました。
あんな事があった後なのだから、当然まだ頭がハッキリしていない。
そんな彼女の目には、ぼんやりと金髪の男の姿が映し出されていた。
「あ……れ? あなたは……」
【 ? 】
の呼び掛けに、男は少し眉を寄せた。
だが、彼女はそれに気付く事なく、男の頬にそっと手を触れた。
「あの絵の人が……目の前にいるなんて……。これは……夢?」
【 ……?? 何を言っている? 】
「……フフ、嬉しい。夢でもいいや。ずっと会いたかったんだ、私……」
【 な、何をす……!? 】
【【【【 !!!!!! 】】】】
――少女が目を覚ましてから、いきなり自分を見て何かを呟いた。
どこの国の言葉だろうか? 彼女が何を言っているのか、さっぱり聞仲には分からなかった。
その内に少女の手が伸ばされ、頬に触れる。
内心戸惑う聞仲をよそに、再び少女が語りかけてきた。
言葉こそ分からなかったが、薄く開かれたその黒い瞳には、戸惑いと喜びの色が帯びているまるで懐かしむ様な、切ない表情を向けられ、聞仲は不覚にも息を呑んだ。
そして、少女が先程伸ばしていた手は、いつの間にか首の後ろに回され、目を閉じた少女の顔がだんだん近づいてくる。
聞仲は少女の不可解な行動に驚いて、目を丸くした。
「な、何をす……!?」
残念ながらその言葉は、最後まで発する事は出来なかった。
その原因は、口に何か柔らかいものを押し付けられたからだ。
それが腕の中にいる少女の唇だと気付いたのは、ほんの少し後だった……。
「 !!!!!!! 」
――その信じられない出来事に、聞仲は石像の如く、固まった。
それを見ていた四聖達も同じく衝撃を受けている。
なぜなら彼らはの事をまだ少年だと思い込んでいたからだった。
『『『『 ぶ……聞仲様の唇が、男(少年)に奪われたぁッッ!!! 』』』』
四聖達が聞仲に出会った時からずっと、彼の周りには異性の影が全く無かった。
金ゴウ島でも修業一筋で、他の動物系 妖怪仙人達の様に女を抱く事もしない。
女だからと言って、特別扱いする訳でも無く、60年前に殷に現れた妖怪の仙女達も全く手加減する事無く追い払っていた。
そんな彼だから、権威ある太師の身分だとしても、その近寄り難い雰囲気に人間の女性は寄り付かず、女とは無縁の生活をしているのは明らかであった。
…………と、言う事はやはり……。
『『『『 ファーストキッス★ なのかぁッッ……!? 』』』』
そんな考えが四聖達の頭をよぎり、哀れみと戸惑いの目で聞仲に注目する。
『う……うそですよね聞仲様!これがファーストキスなんかじゃないですよね!?』
『俺ならもう経験済みだから、これくらい平気だけど。聞仲様は……』
『ま、まさか!
これがきっかけになって、衆道の道に走る……なんて事はないだろうな!?』
『もし本当に男が初めての相手だとしたら、あ……あまりにも哀れすぎるぞッ!!』
そんな心の葛藤をしている四聖達の側で、聞仲はと言うと…………まだ、固まったままであった。
その様子を見る限り、四聖達の心配(?)は真実だと物語っている。
こうなっては金ゴウ島で『三強』とまで呼ばれた彼も形無しである。
ほんの2,3秒の出来事だったが、ここにいる者達にはまるで永久に時間が止まった様に感じていた。
――そしてこの問題を引き起こした、当事者はまだこれが自分の夢の中だと思い込んでいる様だった。
アメリカで暮らしていた為、にとって、このスキンシップは日常の挨拶感覚だったが、それはあくまでも頬や額にするものであって、恋人でもない限り唇にはしない主義なのだ。
普段は積極的に行動する彼女だが、多感な年代が女子高だった為か、恋愛に関しては全くと言ってよい程、鈍感であった。
なので、夢だと思い込んでいるのなら彼女のこの行動も、頷ける訳である。
聞仲に触れるだけのキスを落とした後、ゆっくりと離れる。
寝ぼけ眼のまま間近で聞仲の顔を見詰めると、あれ?と不思議そうに首を傾げた。
【 あれ……??
それにしても何かすっごくリアルな夢だな……。あなたって一体…… 】
にペタペタと顔を触られ、今まで呆然としていた聞仲は、そこでやっと我に返る事が出来た。
気付けば自分のすぐ目の前に、朱氏に似た少女の顔がある。
朱氏本人にも、こんな間近に接した事の無かった聞仲は、思わず少年の頃の様に顔を朱に染めた。
「ま、待て!お前は……」
【 は……はぁ……… 】
「…………は?」
【 ぶぇっっく しょいッッ!!!! 】
「「「「 !!!!!! 」」」」
大きく息を吸い込んだかと思うと、いきなり少女の豪快なくしゃみが、聞仲の顔面を直撃した。
突然の出来事に、聞仲も顔面鼻水まみれになりながら、再び呆然としている。
四聖達に至っては、余りの信じられない出来事に、大きく口を開けたまま固まっていた。
『『『『 アイツ殺されるぞッッ!!! 』』』』
【 う~っ、寒ッッ!!
……って、あれ? 何……でびしょ濡れなんだ、私?? 】
くしゃみの勢いで、やっと頭がハッキリしてきた。
着ているトレーナーを引っ張りながら、不思議そうに首を傾げた。
ここで彼女は、ハッと今までの事を思い出した。
――そう。自分は霧の中で不思議な体験をした事を……。
最後にうっすら記憶に残っているのは、閃光の後の大音響と落ちる感覚。
……だとすると、自分は雷か何かで吊橋から落ちたのではないのか?
そう考え、慌てて辺りを見回そうと視線を巡らせた。
そしてふと視界に入った黒い布。
何の布なのかと、元を辿っていくとそれはすぐ目の前にいる人物の服の一部だった。
【 へっ……? 】
今まで自分以外の人の存在に気付かなかったは、思わず間の抜けた声を出す。
ゆっくりと見上げたその先には、見慣れない体の大きな男性が、眉間にしわを寄せ不機嫌な表情でを見下ろしていた。
その顔には何故か唾や鼻水の様な液体が、滴ったままになっていた。
それを見ては、あっ!と声を上げた。
なぜなら今しがた、男性のいる方に向けて、大きなくしゃみをしたのを思い出したからだ。
彼がさっきからここにいるのなら、きっとその顔に付いているのは自分の鼻水なのだから……。
【 わーっ!!
ご、ごめんなさい!! あのッ!知っててじゃないんです!! 】
自分のやってしまった事に思わず青くなる。
パニックになったは混乱のせいなのか、慌てて聞仲のマントで顔を拭いた。
「……………………」
のこの突飛な行動に、絶句状態の聞仲。 眉間のシワが更に増した。
それでもお構い無しに、ひたすら謝りながら拭き続けている。
【 ごめんなさい、ごめんなさい、私ったら……あっ! 】
カラン……。
それは聞仲の仮面が落ちた音。手が滑って思わず布に引っ掛かってしまったのだ。
更に失態を重ねてしまったは、益々顔色を青くした。
【 ど……どうしよおッ!!!
顔が半分取れちゃったぁーッッ!!!! 】
本当は仮面なのだが、混乱しているにはそれが顔の一部に見えてしまった様だ。
すぐさま、その顔の一部(?)を拾い上げ、慌てて持ち主に返そうとした。
「ごめんなさい!すみません!許して下さい!!
落としちゃったけど、三秒以内に拾ったから大丈夫だと…………え?」
が訳の分からない説明をしたまま、男性を見上げた時、その顔を見て思わず息を呑んだ。
【 う……うそ………… 】
それはがずっと憧れていた、絵の中の男性にそっくりだったからだ。
金の髪に青い瞳。そして漆黒のマントを身に着けている。
全て弟が描いた絵、そのままの姿なのだ。
【 し……信じられない。
どうして絵の中のあなたが目の前にいるの? あなたは…… 】
「………………何を言っているのか、分からん」
【 ……え? 】
今まで突拍子の無い事をしたり、散々騒いでいた少女が、自分を見て急に大人しくなった。
そして何やら問いかける様に、異国の言葉で語りかけてくる。
少女のその揺れる瞳に思わず魅入り、今までの怒りもいつの間にか治まっていたのだった。
頭を押さえ、大きく溜息を吐く聞仲。
――何か調子が狂う
朱氏に似ている為、特別な感情を思い起こしてしまうので、余計に始末が悪い。
つい気を抜くと、若い日の自分に戻ってしまいそうになるのだ。
聞仲は二度目の大きな溜息を吐いた。
取り合えず少女を、この王墓の上から降ろさせるのが先決だと判断し、黒麒麟を呼んだ。
「黒麒麟。一先ずここから降ろしてくれ」
『はい、聞仲様』
――は一瞬自分の耳がおかしくなってしまったのかと思った。
目の前の男性のしゃべる言葉が理解出来なかったからだ。
その言葉の響きは日本語ではなく、英語でもなかった。
だが、どこかで聞いた事のある様な響きに、首を傾げた。一体どこだったのか……。
そんな風に考えている最中にも、男性は頭を押さえ、深い溜息を吐いていた。
そして今度は誰か別の人に向けて話している。
他にも誰かいたのか?と思った時、急に鳴り響いた低音の音と共に、の頭の中に声が届いた。
『はい、聞仲様』
【 !!!! 】
驚くは目を丸くする。
人の声ではなかったが、誰かがマイクでしゃべっているのかと思い辺りに視線を巡らせると男性の後ろに控えていた大きな黒いモノが、座り込んでいたの前に進み出た。
その大きな姿を見た途端、それまできょとんとしていたの顔色が一気に青くなり、目を見開いたまま、表情が凍りついた。 そして…………
【 い……いやあああああぁ――――ッッッ!!!!! 】
「「「 !!!!!! 」」」」
の絶叫が、辺り一帯に鳴り響く。
急に叫び声を上げた少女に、聞仲も四聖達もギョッとして、思わず数歩後ずさった。
半分涙目になりながらは黒麒麟を指差し、喚き散らす。
【 虫ッ! 虫ッ! でっっかい虫がいるぅッッ!!!! 】
『なっ……!? 何を言うか!!! 私は虫では……』
【 来ないで! いやああああぁッッッ!!!!! 】
その瞬間、黒麒麟に向けて何かが勢い良く、噴きかけられた。
プッシュウ――――――ッッ!!!
『グ、グワアァ――ッッ!!!』
「こっ……黒麒麟ッ!!!」
「「「「 黒麒麟様ァッ!!!! 」」」」
霧状の粉末をこれでもかと言うくらい噴きかけられ、黒麒麟はその場に泡を吹いて豪快に倒れてしまった。
痙攣してピクピク足が動いている様子を見ていると、まんざら虫に見えなくもないが……。
かけたのはもちろんで、その手には、腰のポシェットから出したと思われる虫除けスプレーが、しっかりと握られていた。
「おのれ、娘ッ! 黒麒麟に何をした!? …………ん?」
聞仲が振り向くと、そこにいたはずのの姿がなかった。
「なっ!? 一体どこに……」
「ぶ、聞仲様、あそこです!!」
四聖の一人、王魔が指差した方を振り向くと、ずっと遠くに少女の姿を発見した。
土煙を上げながら全速力で走り去っていく姿を見て、その速さに聞仲達は唖然としていた。
「なっ!? なんちゅー足の速さだ!天然道士並の速さだな……」
「もしかして、アイツも道士……なのか?」
「それにしても、さっきのは一体何の武器だ? ヤツの宝貝なのか?」
「……黒麒麟様は倒れる前にアイツと話していたみたいだが、もしかしてあの言葉が分かるのか?」
「何をしている、詮索は後回しだ!
急いであの娘を追い駆け、捕らえるのだ!」
聞仲のその言葉に四聖達は驚いた顔をした。
「……え?娘?? もしかしてあの少年……の事ですか、聞仲様?」
「他に誰がいる。お前達の目は節穴か? あれは女だ」
「「「「 えええっ!? 」」」」
今思い返してみれば、あの甲高い叫び声は女のものだった。
いくら少年だと言ってもあそこまでは出ないだろう。
そこでやっと納得した四人は驚きの表情から、安堵の表情へ変わっていった。
「よ……良かったぁ。」
「聞仲様のファーストキスの相手が女で……」
「これで衆道の道に進まずに済んだな!」
「一時はどうなるかと思ったよなー」
「???」
良かった良かったと、お互いの肩を叩き、頷き合う四聖達。
女だと何が好都合なのだろうか……?
彼らがなぜそこまで安堵しているのか、聞仲には結局分からなかった。
分かったら分かったで、余計なお世話だと怒鳴られた上、容赦無しに禁鞭の餌食にされるのは目に見えていたのだが……。
そして、聞仲も黒麒麟が復帰次第、追い駆ける事にした。
後に一人残った聞仲は、三度目の大きな溜息を吐いた。
そしてまだ倒れている黒麒麟の体を心配そうに撫でている。
「……………………」
『毒……か? この黒麒麟を瀕死に追い込むとは……侮れんな。
それにしても言葉といい、素早さといい、一体何者なのだ、あの娘は? ……ん!』
ふと見ると少し離れた所に、ぽつんと何かが置かれたままになっていた。
近寄ってそれを調べてみれば、それは何やら透明な袋を被せられた荷物であった。
濡れているのを見て、あの少女の物に間違いないと分かる。
「これはあの娘の物か? 変わった型の鞄だ……」
鞄の素材も仙人界にしかなさそうな、水をはじく特殊加工された物だと分かった。
そしてチャックを開けて中身を調べた時、最初に書物の様な物が出て来た。
驚く聞仲。
この時代、紙は貴重品で、殷の王宮でも巻物か木簡がほとんどであった。
なのでこのコンパクトな大きさで、しかもここまで丈夫な紙で作られたものは初めて見たのだ。
聞仲は興味深そうにその 書物=スケッチブック をパラパラとめくると、中に描かれていた色鮮やかな絵を見て更に驚きの声を上げた。
「こ……これは一体…………!?」