白く長い髭を蓄えた老人は、水晶球を目の前に深い溜息を吐いた。
長い眉で目が隠れている為、その表情をうかがい知る事は出来ない。
「
「おお、
白鶴と呼ばれた者は羽の様な両手を広げ、元始天尊の側にやって来た。
彼の容姿は名前の如く、白い鶴の姿をしている。
「いかかですか元始天尊様、
「うむ、そうじゃな……。
どうも今回のあちらの世界は、『力』 を発揮しにくい空間になっておる様じゃ。
ワシの千里眼をもってしても、
だが、その世界にあって、あれだけの『気』を出せる者はそうおるまい。
期待して良いぞ白鶴よ」
「それは良うございました! では、三日後の朔の日にはいよいよ……」
「そうじゃ、いよいよじゃ。今度こそは何としてでも成功させねば……な」
――あれから三年の月日が流れた。
は退院してから一年遅れで、女子高校に入学した。
小さな頃から大好きだった歌。それを生かした職業を……と、は将来音楽の教師を目指す事にした。
目標を決めてからの彼女は、とても生き生きとして、肉親を全て亡くしたとは思えない程元気一杯に暮らしていたのだった。
弟との約束通り、『花のように生きる』 事を常に心の中に留め、ひたすら前向きに生きている。
元々、彼女は素直な性格なので、それらを難なく自分の身に付ける事が、出来た様だ。
そして、あっという間の高校生活が過ぎた。
今回無事、大学受験も受かった祝いにと、同じクラスの友人同士で卒業旅行に出掛けたのだった。
行き先は長野県にある、北アルプス山系付近。
アウトドアが好きな友人達の勧めで、キャンプになった。
アメリカでのアウトドアに慣れていたは、皆を率先してテキパキと行動する。
そんな頼り甲斐のある姿に、友人達は関心して思わず皆、溜息を漏らした。
「あーあ、が男の子だったら良かったのに……」
「えっ! どうして??」
「だって、ねぇー。」
「ねぇー♪」
「って男の子みたいな性格してるもん!竹を割った様なね。
その上、中性的な顔付きだし……。もし男の子だったら恋人に立候補しちゃうな、私♪」
「あ!私も~♪」
「ええっ!?」
「そーそー!って行動的だもんね。
それに優しいし。何でも器用に出来る天才だし♪
あなた、下級生の女の子達に絶大な人気があるって事、知らなかったでしょ?」
「えっ、そう……なの!? バレンタインの時はただの義理だと思っていたけど……
でも、天才……ってのはホメ過ぎだよ。あれは努力の結果だから……」
友人が言う様に、の成績は常にトップクラスであった。
中学時代の彼女のままなら、到底考えられなかっただろう。
神童と呼ばれた弟の影に隠れていた、平凡な存在だったのだから……。
なので、本人は天才だとは少しも思っていない。
それは日頃、前向きな彼女が積み重ねた、弛まぬ努力の結果なのだと考えているからだ。
『成せば成る、成さねば成らぬ、何事も……』
これはの好きな言葉の一つ。
江戸末期にいた、吉田松陰の有名な言葉なのだが、昔の人は良い事を言うと思う。
『やろうと思えば出来る』と、どんな難問に対しても、自分の決意次第でどうにでも出来るというものなのだ。
『人生は一冊の問題集』 という言葉もその一つで、これは父から教えてもらったものだった弟も好きだったその言葉を糧に、は今もがんばっている。
謙遜しないでいいわよと、笑う友人達に囲まれ、は少し照れながら頭を掻いた。
そんな友人達との和やかな雰囲気は、今までの受験の疲れを忘れさせる程、楽しいものとなり、その三日間は充分自然を満喫する事が出来た様だ。
そして旅行の最後の日の夜。
さすがに昨日までの疲れが出たのか、皆早めにテントで休んでいた。
その中、はなぜか中々寝付けず、仕方無しに荷物の中からある物を取り出した。
それは、一冊のスケッチブックだった。
そのスケッチブックは、弟が亡くなる間際まで描き続けていた物で、彼の大切な形見である小さい割には枚数が多く、それら全てに不思議な絵が描かれていた。
不思議な絵 ――― 弟が見た夢の絵 ―――
まるで中国の山奥を思わせる様な風景。それに変わった服を着た様々な人達。
はその絵の中に気に入ったものが二枚あった。
一枚目は弟そっくりな容姿の少年の絵。
柱の様にそびえ立った岩の上に、何やら座禅を組み、目を閉じている様子が描かれていた。
一見、瞑想している様に見えるが、鼻ちょうちんやヨダレが垂れているのを見ると、どうやら居眠りをしているらしいのが分かった。
そんな明細な部分まで、描き込んでいる弟に関心しつつ、この微笑ましい少年に一度会ってみたい……とも思うのだった。
そして二枚目の絵は、黒いマントを羽織った男性の絵。
精悍な顔付き。意志の強そうな青い瞳。そして顔の半分を石の様な仮面が覆っている。
だが、その中で何よりも目を惹きつけたのは、男性の額にあるもう一つの『目』であった。
――まるでインドの神様、シヴァ神のような第三の目。
「マンガとかだったら、分かるけど。望(のぞむ)の描いたこの絵って、凄くリアル……」
本当にこんな人がいたら驚くだろうな…と、思う反面、いつしかは彼に惹かれている自分に気が付いた。
ひたすら何かを見続ける、真っ直ぐなその青い瞳に……、孤高なその姿に……。
「もしこの人が笑ったら、きっと素敵だろうな…………」
スケッチブックを見詰めては、いつも溜息を吐く自分に気付き、困った様に肩を竦めた。
そしてその度、これは只の絵なのだ……と、言い聞かせるのだった。
――その夜、は不思議な夢を見た。
暗闇の中、一人佇む自分。
微かな水音がして気が付くと、いつの間にか膝下まで水に浸かっていた。
そして水音がした方を振り返ると、少年が水の上に立っていて、を見ている。
体は蛍の様に、仄かに青白く光っていた。
夢の中だったからなのか、恐怖も感じず、さして驚く事もしなかった。
だが、その少年の顔を見てはおや?っと、首を傾げた。
――どこかで見た事のある少年だと……。
「あなたは……誰ですか?」
の問い掛けに、今まで無表情だった少年の顔に、微かに怪訝そうな表情が表れた。
「…………そうか……遅かったか。
「え…………?」
「本当にすまない事をした……。
私達の勝手で、こんな結果になってしまって…………」
「こんな結果……って?」
「君の弟は……
このまま……君に……が……でも……」
「???」
彼は何かを伝えようとしていたのだが、まるで電波障害にあったかの様に声が途切れ、そして、その姿も次第に薄れ、とうとう完全に消えてしまったのだった。
それと同時に、は目を覚ました。
そこはテントの中。
おもむろに起き上がった彼女は、狭い空間を見詰め、辺りを見回した。
「何だったんだろ……今の夢……?」
ただの夢にしては余りにも鮮明なので、驚きを隠せない。
弟と違って、自分には霊感等はないハズなので、幽霊とも思えない。
そんな時、ふと荷物の上に出しっぱなしになっていた、スケッチブックに目が止まった。
『あ……!そう言えば……』
は何かを思い出し、パラパラとスケッチブックを開いた。
そしてその中の一枚を見て、やっぱり……と呟く。
夢に出て来た人物は、スケッチブックに描かれていた少年と同じだったのだ。
――緑の髪に金色の瞳。
実際には在り得ない配色たが、絵の中の少年はとても自然に見える。
一見、少女の様に見える若いその容姿も、今、夢の中での彼を思い返してみると身に漂う奥の深い『気』みたいなものが、姿とは裏腹に、永い年月を重ねた者だと感じた。
「この絵を見てたから、たまたま夢に出て来たのかな……?」
それにしてもリアルな夢だったと、関心する。
彼は何かを自分に伝えようとしていた。
最後まで聞き取れなかったのだが、何か切迫した雰囲気だったのは確かだ。
一体何が言いたかったのか、分からない。
何度もそのシーンを思い返していただったが、ふと、小鳥のさえずりの音に気付き視線を逸らすと、いつの間にかテントの外が薄っすらと明るくなっていた。
「あ、もう朝だったんだ……」
前髪を掻き上げて深い溜息を吐く。
そして、まだ胸に妙な胸騒ぎは残ってはいたのだが、このまま考え込んでも仕方ないと思い気持ちを切り替えるのだった。
今日は旅行の最後の日。
この二日間は晴天に恵まれていたが、帰る最中に、とうとう雨が降り出して来てしまった。
まだ小雨程度だったのでカッパを使う程ではなかったが、ふもとのバス亭小屋まで急いで降りて行った。
バスが通る道路の手前には川が流れていて、その上に小さな木の吊橋があった。
本来なら少し離れた鉄橋からバス亭に行くのだが、雨も降っている事もあり、達は近道をする事にした。
その吊橋は小さい為、定員2名が限度の様だ。
下の川まではそんなに高さがなかったので、友人達もさほど怖がってはいなかった。
7人もいるので、二人づつ渡ったとしても、全員渡りきるまで時間が掛かる。
雲行きが怪しくなって来る空を見ると、後の方になる人程雨ざらしになってしまうだろう。
そう考えたは、なるべく彼女らが濡れない様、一応レディーファースト(?)だと言い、彼女らを先に渡らせたのだった。
待ってる間、大事な荷物が濡れない様、荷物をビニール袋に入れてそれを背負う。
服はとっくに、びしょ濡れになっていたので、今更カッパを着ても仕方ないと開き直っていた。
「――っ! 早く、早くぅ――っ!!!」
「OK! 今から渡るよ!」
バス亭小屋から友人達が心配そうに見ている中、は吊橋の手すりに掴まり、雨で足が滑らない様、ゆっくりと渡り出した。
向こう側まで約40m。
山中なので雨が降ると霧が出やすいのか、早速、霧が辺りを包み込む。
そして川上の方から流れて来た深い霧に囲まれ、とうとう向こう岸が見えなくなってしまったのだった。
雨と川の流れる音しかしない、辺り一面真っ白な空間。
まるで異空間にいる様な感覚に、は一瞬息を呑んだ。
「うわぁ、凄い霧♪
………って、関心してる場合じゃないよ、私!」
は思わずワクワクしてしまった自分に、すかさず突っ込みを入れた。
この様子を見て、心配しているであろう友人達の事を思い出し、手すりを頼りにゆっくりと歩き出す。
普通ならそのまま行けば、5分もかからない間に向こう側に着くハズだった。
だが、橋の中程に来た所で、はなぜか立ち止まっている。
それは目の前に見知らぬ人が立っていたからだ。
――長く白い髭を蓄えた老人。まるで仙人のようなその姿。
仙人と聞いて、ハッと何かを思い出す。
そう…。目の前の老人は弟の
昨夜の夢では少年が現れ、次はこの老人が現れた。
これももしかしたら、霧が見せた一種の幻覚なのかもと、慌てて目を擦る。
……だが、何度擦ってもその姿は消えてくれなかった。
「ウソ…………」
余りの非現実的な現象に、思わず冷や汗が流れた。
今度こそ、正真正銘の幽霊なのかと……。
戸惑うを他所に、老人は目の前の彼女を見て、目を細めた。
「……久し振りじゃのぉ。」
「……………え?」
直接頭に響く様なその声に、は驚いた。
そして、すぐに老人の発した言葉の意味に、首を傾げる。
まるで以前から会っていた様な、口振りだったからだ。
「こうして話をするのは、久し振りじゃな。 以前はいつだったか……
魂魄体ではあったが、おぬしの方からよく訪ねて来てくれていたのぉ」
「えっと、その……」
聞き違いだと思っていたが、どうやら自分と誰かを間違えているのがその言葉から伺えた。
間違えるという事は、自分と同じ顔のハズなのだ。 同じ容姿……。
そこまで考えて、は気付いた。
――まさか、老人の言っているのは、弟の
そう考えると つじつまが合う。
弟が亡くなる前に一度言っていたのだ。もしかしたらその世界に行くかもしれないと……。
だとしたら、彼の夢の話も、あのスケッチブックに描かれたものも全て、実在する事になる。
小説やマンガの中なら分かるが、ここは現実なのだ。
そんな事は、ありえない……と呆然として呟いた時、老人は音も立てずにに近づいて来た。そして手を差し出す。
「この日をどれ程待ち望んでおったか……。
単刀直入に言おう。以前にも話した通り、おぬしには今からこちらの世界に来て貰う」
「えっ!?」
「接触の時は短い……。こうしている間にも刻々と『
怖がる事は無い、悪い様にはせぬ。
さあ……こちらの世界に来るのじゃ、異界の少年よ。」
「え!? ま、待って!その……私は弟の
有無を言わせぬその言葉に、思わずは身を引いた。
そして自分は弟ではなく、彼はもういないのだと説明しようとした時、異変は起こったのだった。
『そうはさせぬぞ……!』
「!!」
「え……?」
老人のものとは別の声がの頭に響いた。
金属音を含んだ様な……、それでいて耳に残る少し不快なその声に、は後ろを振り返る。
――と、そこには、その不快な声の主が立っていた。
白い霧に囲まれた空間に、そこだけぼんやりと黒く浮かび上がっている。
そして黒い影の様な塊には、大きく見開いた二つの目があり、血の様に赤い口が少し開き、ニヤリと歪んで見えていた。
自分に向けられた殺意のような『気』に、は思わず身の毛がよだった。
「ひっ……!」
『……はて? あの時、止めを刺したはずじゃが、まだ生きておったか。
フッ、まあ良い。小賢しいマネが出来ぬよう、わらわが再び息の根を止めてやろうぞ!』
「え……?」
黒い影の言葉が何を指しているのか分からなかった。
だが、がそんな疑問を感じる間もなく、状況は悪い方へと移る。
黒い影から、長い腕が伸びてきて彼女を捕らえようとしたのだ。
老人は危険を察知して、咄嗟にの腕を掴んだ。
「い……いかん!!!」
「ああっ!!!!」
老人が腕に触れた瞬間、体が白い光に包まれた。それと同時に強い眩暈がを襲う。
まるで体と魂がズレてしまったような、そんな感覚に耐え切れず、とうとう意識を手放してしまったのだった。
「よし!このまま連れ帰るぞ!」
徐々に消えていくを捕らえようと、なおも黒い影の腕が迫ってくる。
このままでは取り返される! ……と老人が焦りを感じた時、一筋の雷がなんと空からではなく、地から吊橋を貫いたのだった。
ズドオオオ―――――――ン!!!!!
轟く大音響の中、想定外のこの出来事に、老人も黒い影も咄嗟に対応する事が出来なかった様だ。
雷は、黒い影の腕を橋ごと貫いたので、を捕らえる事は出来ず、老人もまた、掴んでいた腕を放してしまったのだった。
落雷で吊橋が切れると同時に、消えかけていたの身体は、まるで木の葉の様にゆっくりと落下しながら……そして、完全に消えてしまった。
「し……しまった!!!」
『何者じゃ!? 邪魔をしおって……!!』
呆然とが消えた空間を見詰める二つの影。
とうとう『
バス小屋の中にいた友人達が、落雷の後、しばらくしてから恐る恐る覗くと、いつの間にか雨は止んで、霧も薄れてきていた。
そして霧の合間から見えたのは、切れた吊橋の痕だけ。
慌てて駆け寄る友人達。だが、そこにいたハズのの姿はもう何処にもなかった。
「う……うそ……」
「ヤダ…が…がいなくなっちゃったよ!」
「……―――っッッ!!!!!」