優しく微笑んでそう言ってくれたのは、弟の
いつもの様に学校でのグチを聞いて貰っていた私は、キョトンとした顔で首を傾げた。
「 ? 花……って、何で?」
「フフ……。 だって、花は見返りを求めないもの」
「うっ……!」
私のグチの内容は、人に対し親切にした事で、思い通りの反応が返ってこなかった……と、言うのがほとんどだった。
私が知らず知らずのうちに、感謝の言葉を求めていた事を。弟は見抜いていたのだ。
花があんなに綺麗に感じるのは、そんな彼らの想いが通じた証拠だと彼はそう言った。
そう……、普通の人間には無い特殊な力を、小さい頃から持っていた。
父親に一度見せて怖がらせてしまってからは、それ以降、一度も人前では見せていない。
双子である、私にしか見せていないのだ。
現実は小説より奇なり……とはよく言ったものだと思う。
特に気孔術なんかは、気合だけで十メートル先の物を、吹き飛ばす力を持っていた。
その特殊能力を鼻に掛ける事無く、常に優しく思いやりがあって、とても十代とは思えない程大人びた考え方をしていた。まるで悟りを開いた聖人の様に……。
私は
平凡を絵にした私なんかが、彼の半身で良いのだろうか……?
何かあるごとに比べてしまう自分。 そして自己嫌悪と反省の繰り返し。
お父さんから教えてもらった話では、この世にはムダな事が一切無いのだそうだ。
今目の前にある出来事は、辛い事や悲しい事でも、自分の魂を磨く
だとしたら、
もし……もし、その時が来たら、私は
たかが学校での問題で、グチをこぼす様な私のままじゃ、ダメだよね。
そう思ったら、急に自分が恥ずかしくなり、深く反省した。
「ごめんなさい……」
目線を逸らしたままシュンとした私を、弟はまるで母親の様に抱きしめてくれた。
ジュニアスクールまでは私の方が大きかったのに、いつの間にか私より少しだけ大きくなっている。
そんな弟に少しドキッとしながら、髪を撫でてくれる心地良さに身を預けていた。
「もし母さんがいたら、こうして抱きしめてくれただろうね。
姉さんのその素直なところって、大きくなっても変わらない……。
僕はとっても好きだな」
「え!? あ、ありがと……。
……でもちょっと待って! それ……って、私がいつまでも子供っぽいって事?」
「フフッ、さあね♪ 姉さんのご想像にお任せするよ」
「あ―――っ! その目、絶対そうだって言ってる!!」
「でも姉さんは、よく落ち込むけど、立ち直るのも早いから、その点だけは本当に関心してるんだよ?」
「それって、何気にホメてないよ
「あははは」
ほのぼのしたこんなやり取りが続いたある日、幸せだった生活が突然、音を立てて崩れていった……。
――― 交通事故 ―――
今までアメリカで暮らしていた私達家族は、父の会社の転勤で日本に帰国した。
だがその時、それは起こってしまった。
新しい住居に向かう為、雨の中車を走らせている最中、何かを避けようとしたお父さんがハンドルを切り損ね、ガードレールを突き破って、私達は谷底に転落してしまったのだ。
前に座っていた父親は死亡。後部座席にいた私は
「全身打撲と脊髄損傷。全身十数箇所の複雑骨折です」
重傷を負ったものの
その後、一年間の病院生活を余儀なくされたのは言うまでもないけど……。
お父さんの葬儀はしめやかに行われた。
入院中の
亡くなったお父さんを目の前にしたらきっと優しいあの子は壊れてしまうかもしれない!
そう……これで唯一の肉親は私達だけ。今は悲しんでいる場合じゃない。
姉の私がもっとしっかりして、あの子を支えてあげなくちゃ……。
その想いだけが、父の死に対して涙する事無く、私を気丈にさせていたのだった。
――
それは天性のものだった様で、将来は天才画家になるとまで言われていた。
そんな
「そんなに熱心に、何を描いているの
「え?これかい? ……これは僕の夢さ」
「夢? 将来の夢……って意味?」
「ううん、僕が見た夢。僕達が日本に来るちょっと前から、この夢を見始めたんだ。
同じ夢がずっと続いてるなんて不思議でしょ?
何か意味があるのかもしれないと思って、書き留めているんだよ」
「ふう~ん。不思議だね」
興味津々でそのスケッチブックをパラパラとめくる。
その中に
「……これって、もしかして宇宙人?? それも女の人みたいに長い髪してる……」
「そうだね。 ……多分姉さんの言う通りだと思う。
きっと別の星にいる人達なんだよ、この風景もみんな……」
「えっ!?でも別の星……って言っても、何だか昔の中国っぽくない?
この人なんか絶対に仙人さんだよ!」
私が指差したのは、頭が長く、白くて長い髭を蓄えた老人であった。
その老人は広い神殿の様な場所に佇み、鶴の様な生き物に語りかけている様子が描かれていた。
まるでその場所にいてスケッチした様な、リアルなタッチで。
さすが将来天才画家になるだけあるね♪と、関心していると、
「…………もしかしたら、僕はその世界に呼ばれるかもしれない……」
「え……!?」
「あ……いや。何でもないよ姉さん。
ちょっと……疲れちゃったのかもしれないな」
「たっ、大変! 大丈夫、
「はは……。そこまで大した事じゃ無いから心配しないで。
そうだね、僕が眠るまで歌を唄ってくれるかな?小さい頃の様に……」
「歌? そんな事ならお安い御用よ。いくらでも唄ってあげるわ♪」
「ふふ、嬉しいな……。姉さんの歌声は、とてもキレイだから僕は大好きだよ」
「そ、そうかな?
よ~し! 張り切って知ってる歌、みーんな唄ちゃうからね♪ ふふっ」
この交通事故で父親が亡くなってしまい、私達はお互いの存在以外、身寄りが無かった。
私はすでに施設に入っていて、そこから近くの中学校に通っている。
順調に回復している
両親の保険金等の遺産については、まだ15歳だった私にはややこしくって分からなかった。
取り合えず高校を卒業して一般人になった時に、譲り受けられるらしい。
そしてそれから数ヵ月後、いよいよ
突如、異変は起こってしまった。
その日の夢の中に、突然
夢の中、暗闇に佇む
――『さよなら、姉さん』 と……。
その最初の一言で私の頭の中は真っ白になってしまっていた。
せっかく
夢の中だと言うのに、私は叫んでいた。何度も何度も 『行かないでくれ』 と。
だけど、
「待って!
気が付くとそこはいつも見慣れた、施設にある自分の部屋だった。
今のは夢だったのかと、一先ずホッと胸を撫で下ろすが、それでも胸一杯に広がる不安は消えなかった。
その不安が現実のものとなったのは、それからすぐだった。
病院から緊急の連絡が入り、大急ぎで駆け付けた私の目の前には
――死因は原因不明の心臓発作。
足に後遺症が残る以外、至って健康になった
だけどその時の私は彼を亡くして、ただ悲しくて、そこまで考える余裕は全く無かった。
狂った様に泣き崩れているだけだった……。
神様お願いします、
優しくて、思いやりがあって、そんな子だから大人になったら、きっと大勢の人の役に立つ、人間になるはずです!
だから連れて行かないで下さい!
私が代わりになりますから……どうか、お願いします……神様!!!
白いベットと壁に囲まれた空間に、囁くような小さな呟き。
「神様お願いします、
それは弟を亡くして以来、ずっと呟き続けている言葉。
涙はとうに枯れて、虚ろな瞳は空を見詰め、その口からは呪文の様な言葉が繰り返されている。
まるで魂の無い人形。以前の明るい自分の面影は無い。
そんな時、看護士が室内に入って来て私に笑い掛けてくれた。
「ちゃん。外はすっごくいい天気よ?
ほら。今日は庭に菜の花が咲いていたから摘んで来たわ。ね?キレイでしょう♪」
本来なら、ケガをする可能性のある物は室内に置いてはいけなかったけど、私は他の患者と違って、全く動く行動をしなかった。
なので医院長の許可をとって、少しでも元気付けてあげようと、看護士が気を利かせてくれた様だ。
だが、そんな彼女の心遣いも鮮やかな黄色の花も、その時の私の目に入る事は無かった。
無反応な私に少し残念そうに小さく溜息を吐くと、看護士はその菜の花を窓辺に置いて、退室して行った。
残されたのは虚ろな自分と、窓辺の菜の花。
何も変わらず、ずっとこのまま続いてしまうのかと思われたその時、少し開いた窓から春先の暖かな風が吹き込んできた。
風は花の香りを私の元に届ける。
それは微かな香りだったけれど、私を振り向かせるには充分のものだった。
「花…………?」
香りの向こうの目に映ったものは、鮮やかな黄色い菜の花だった。
音も何もない自分の世界に、突然 色 が戻ってきた。
そして、それと同時に、最愛だった者の言葉が蘇る。
『……花のような生き方をしてみれば、いいんじゃないかな?姉さん』
「あ…………。 のぞ……む……?」
陽だまりにある菜の花の向こうに、眩しそうに微笑む弟の姿を見た。
それは幻だったのかもしれない。
だけど、私の前にいる彼が余りにも嬉しそうに微笑むから……優しく笑うから……私は、込み上げる涙を止める事が出来なかった。
『フフ……。だって、花は見返りを求めないもの』
「見返りを……求めな……い……」
『父さんの教えてくれた言葉って、凄いと思わない、姉さん?
目の前にある出来事は、辛い事や悲しい事でも、自分の魂を磨く
「魂を磨く……
『それに人って死んでも、魂は永遠なんだって!
だったら僕達が離れ離れになったとしても、いつかきっと逢えるんだよ?
僕はこの言葉を信じるよ。今度生まれ変わっても姉さんの側にいたいからね……』
「のぞ……む……
とうに枯れてしまったと思っていた涙が、後から後から流れて、頬を伝った。
でも……この涙は、あの時とは違う。 ただ悲しいだけの涙じゃない。
『ごめんね、
貴方を失った悲しみから、只、逃げていただけなんだ……』
「私も……信じるよ! お父さんが残してくれたこの言葉を……。
久し振りに立ち上がり、その両足で地を踏みしめる。
すっかり痩せてしまった足を動かし、よろけそうになりながらも、窓辺へと辿り着いた。
季節はいつの間にか春になっていて、柔らかな日差しが私を包む。
窓を開けると、爽やかな風が部屋中に吹き渡り。花瓶の菜の花と、私の髪を揺らした。
胸一杯にその風を吸い込み、何度か深呼吸をした後、私は、立ち直るきっかけをくれた相手に感謝の言葉を述べる。
「…………ありがとう!」
すると一輪の菜の花が、嬉しそうに 『どういたしまして』 と言った様な気がした。
――その日を境に、私は前を向いて生きる事に決めたのだった……。