「湖の対岸に渡るだけで、丸一日もかかるなんて、
ホント……デュナン湖って大きいのね」
帆船に乗るのは初めてだったは、船に乗ってからすぐに、あちらこちら見学しながらはしゃぎ回っていた。
マストに登ろうとした時は、流石にフリックに止められてしまった様だが……。
……だが、そのはしゃぎっぷりも半日までで、その後 もフリックも船に慣れてないせいもあり、船室でぐったりとしていたのだった。
デュナン湖育ちのビクトールはともかく、フリックの方は育った村が草原に囲まれた所であった為、水辺っといっても池や川ぐらいで、今の様に大きな湖で長時間乗った経験が無かったのだ。
以前のトラン解放軍にしても陸戦部隊だったので、船とはあまり縁が無かった様だ。
その青い服のごとく、顔色も真っ青にしながら、と共に呻いている。
「こ……こんなに長い時間、乗ったの久々だ……。
オレもやっぱ、水の上はダメだ……うぅっ……」
「うぅぅ……。ダメ、私……もう吐きそう……」
「そ、それを言葉にするな!せっかくこらえていたものが……うっ!」
「なんだよ、だらしないヤツらだなぁ……」
とにもかくにも、そのコロネの街から北上して三日目、やっと目的地のミューズ市に到着した。
本来なら二日程で着ける距離なのだが、どうやら船酔いの為、コロネの街で余分に過ごしていたらしい。
船酔いの後遺症で元気が無かったも、この都市同盟最大の街を見て一気に直った様だ。
目をキラキラと輝かせている。
「す……凄い……」
「へぇ―――っ。15年振りに来たが、随分とキレイになったもんだなぁ……!」
「それだけ行政の目が行き届いているって事か。凄いな……」
フリックも初めて訪れた都市同盟のミューズ市を見て、トランの首都グレックミンスターとは違った、その大きさと設備に感心していた。
「そっか……。あの時の誓い通り、アイツもがんばってるんだな……」
街の入り口から見ても一際大きな建物である市庁舎は一目で分かる。
その一番奥にある立派な建物を見ながら、ビクトールは懐かしそうに そう呟いた。
そして誰が見ても分かるくらい興奮して、まるで田舎者の様にキョロキョロしているの肩を叩き、自慢気に言った。
「どうだ、! このミューズって所は凄ェだろ?」
「うん! 本当に凄いね!私、こんな石造りの大きな街って、初めてよ!!」
「そうだろ、そうだろ♪」
の反応に満足するビクトールは更に自慢した。
「この街には一万人以上の人間がいるんだぜ?
一つの街にそれだけ住んでる所なんざ、の世界にも無いんじゃないのか?
はははは」
「…………えっ?」
それを聞いて少し驚いている。
てっきり同意するものだと思っていたビクトールも、彼女の意外な反応に拍子抜けし、おや?っと振り返った。そして…………
「私の住んでいた街は田舎だったけど、三万人ぐらいいたわよ?」
「「 …………へっ?? 」」
そう、あっさりと言うを見て、その数の多さに言い間違えたのかと、もう一度聞き直してみる。
―――だが、答えは同じであった。
「だ・か・ら。言い間違いじゃなくって、私の住んでいた街には三万人くらいの人口があるの!
これでも“ 日本 ”じゃ少ない方なんだから」
「さ……三万で少ないって…………。
それじゃあ、の国には一体どれだけ人間がいるんだ!?」
「う~~ん。…………だいたい一億二千万人くらいかしら?」
「「 い……一億!!?? 」」
そんな途方もない数を聞いて、目を丸くする二人。
それくらいの数の単位は知っていたが、人間に対して使った事がなかったので信じられない……と言った顔をしている。
「そっ……そんなに人間がいたら、溢れちまうんじゃないのか!?」
「そうなの!
住める土地が少ないから、建物もこの世界みたいに広くないし、10階建ての『マンション』とかバンバン建てて住んでるわ」
「「 じゅ……10階建て!? 」」
“ まんしょん ”という物がどんなものなのか分からなかったが、
二人は塔の様なものが
彼女の世界の人間達は、まるで蟻塚に住むアリの様な生活をしているのかと……。
「な……何か考えると凄ェよな、の国って…………」
「ああ……。オレ達には想像出来ない世界なんだな きっと……」
その後、気を取り直したビクトール達は、取り合えず宿屋を探す事にした。
街を見学(探検?)しようと、意気込んでいたは敢え無く取り押さえられ、しぶしぶ付いて来ている。
門をくぐり、中央の大通りを右に入ってすぐの所に、酒場を兼ねた程好い大きさの宿屋を発見した。
見た感じ、小奇麗そうな店だ。
そして玄関の扉を開けると、小気味良い鐘の音が鳴り、入り口の左側にある酒場のカウンターから赤いチャイナ服を着た黒髪の女性が出て来て、三人を迎えた。
「いらっしゃい♪」
にっこりと微笑むその女性は、どうやらこの店の女将の様だ。
この都会に似つかわしい垢抜けた容姿。そしてその色っぽい仕草に、思わずビクトールもフリックも釘付けになっている。
それ程ここの女将は美人なのだ。
ビクトールはフリックを肘で小突き、ボソボソと小声で耳打ちをした。
『おっ……おい おいフリック! ここの女将って、すっげェ美人だよなぁ♪
これぞ“ 大人の女 ”ってヤツだぜ!そう思わないか?』
『なっ! それはそうだが……』
『それじゃあ、ここで決まりだな!しばらく厄介になろうぜ♪』
『お前なぁ…………』
ボソボソと何やら自分の事で、内緒話しをしている男共を見て、少しヤレヤレと言った様にクスッと笑う女将。
美人だけあって、男に騒がれるのには慣れている様である。
なので、ビクトール達の反応を見ても特に気に留める様子は無かった。だが…………。
「ん?」
ふと、男達の下に視線を移すと、この辺では珍しい銀の髪の小柄な少女がこちらを見ていた。
それも、赤い顔をしながら何か言いたそうに、キラキラ とした瞳で自分を見詰めているのだ。
「 ?? 」
後ろの男共に負けないくらいの熱い視線で、じ―――っと 見詰める少女に、少し引きながらも、恐る恐る声を掛ける女将。
「な……何だい、お嬢ちゃん? 私の顔に何か付いているのかい?」
「あ……あのッ! お名前……何て言うんですか!?」
「えっ……?」
「「 ん? 」」
二人でボソボソやっていたビクトール達も、突然のの質問に驚いている。
「あ……、私かい? レオナだけど……」
「あのッ! レオナ……さんって、『女優』さんみたいに綺麗でスタイル抜群ですね!」
「「「 へっ……!? 」」」
呆気にとられている三人。しばらくの間、固まってしまっている。
ビクトールとフリックは、“ じょゆう ”という言葉は分からなかったが、の口からいきなり男が口説き文句に使いそうなセリフが出たので、驚いていたのだ。
その……女の子が言うにはちょーっと恥かしいセリフに、フリックが慌てて訂正をする。
「ちょっ……! お、お前……」
「え? なあにフリック??」
「お前……そのセリフは普通、男が言うもんだぞ!」
「えっ!?
で、でも、本当に『宝塚』にいそうなくらい、美人でカッコイイんだもん!」
「「「 た……たから……づか??? 」」」
聞き慣れぬ言葉に、女将レオナを含めた三人の頭の上にはハテナマークがいくつも浮かんでいる。
そう……、は宝塚のファンだったのだ。
女の園といわれる女子高だけあってか、の周りには男性のアイドルよりも、宝塚のファンが多かったのだ。
周りに流され易い彼女も当然 友人の影響なのか、カッコイイ女性に目がなかった様だ。
なので目の前の背が高く、いかにも“ 姐さん ”タイプのレオナは、彼女の『守備範囲』に充分すぎる程入っていた。
「たから……なんとかが 何か知らないが、変な事言うんじゃない!
女の子が恥かしいだろ!」
「え―――っ!?
全っ然恥かしい事じゃ無いわよ、フリック?だって、本当の事だもん!」
「お前なぁ…………」
懸命に説得しようとしている青年。天然なのか、よく分かってない少女。
それに、少女のセリフに呆れている男。
そんな三人のやり取りを見て、その組み合わせにレオナは思わず吹き出してしまった。
「プッ!く……くっくっく あはははは!嬉しいねぇ、ありがと お嬢ちゃん。
カッコイイなんて そんな事、女の子に言われたのは初めてだよ!あはははは!」
涙を浮かべてひとしきり笑った後、レオナは目の前のキョトンとしている少女の頭を撫でながら、嬉しそうにしていた。
どうやらレオナに気に入られた様である。
そして、ビクトールやフリックをそっちのけに、を連れて部屋まで案内するのだった。
肩を組んでいる二人の後ろ姿を見送りながら、呆然としている二人。
「や…………やるじゃねェか、のヤツ……」
「にあんな趣味があったなんて…………」
―――次の日。ミューズ市長のアナベルに会う為、三人は市庁舎を訪れた。
都市同盟の主たる市長ともなると、分刻みのスケジュールになる為、会見するまで長い時間待たされていたのだった。
それでも、グランマイヤーの紹介状があるだけあって、特別に市庁舎の中の小さな待合室が用意され、そこで待っているビクトール達。
だが、ここに来てからもうすでに、二時間以上経っていた。
「…………おい、ビクトール。お前本当に、ここの市長と知り合いなんだろうな?」
「ああ、しばらく会ってないけどな」
どっかりと 来客用のイスに腰掛けているビクトールは、呑気そうに頭の後ろで腕を組んで、前のテーブルに足を乗せている。
フリックはそんなビクトールに少し心配そうに詰め寄った。
「お前はそう思っていても、向こうは覚えて無いかもしれないぜ?」
「―――ったく心配症だな、お前は。大丈夫だって!」
「…………お前のその『大丈夫』は全っ然、当てにならないんだよ!!」
二人が ゴチャゴチャ とそんな事を言い合っている間、の方はと言えば…………やはり、たいくつしていた。
最初、部屋にあった本棚の本を、興味津々でパラパラとめくっていたが、その中に書かれていた文字は案の定読めなかった。
それはもちろん日本の漢字等では無く、自分の世界にあるどの文字にも当てはまらなかった様だ。
『うっ! 何書いてるのか全然読めない…………』
言葉をやっとマスターしたばかりなのに、次なる難題が出て来たので思わず深い溜息が出てくる。
ここで生活する上で、やはり文字は必要不可欠なものであろう。
そう考えると又、最初から覚えるのかと気が重くなった。
今度ばかりは星辰剣の様な存在の者も、自分の紋章の力も借りられないのだから……。
だが、訳の分からない文字の中でも唯一の理解出来るものがあった。
それは数字であった。
これはもしかして、紋章の記憶によるものでは……?と考える。
『……そうよね。 ルルドさんの生きてた時代って、今から500年も前だもん。
数字は変わらなくても、文字とかはきっと変わっちゃってるのよね?
だから読めないんだわ、きっと……』
どんな事が書かれているのか知りたかったのだが、残念そうに諦める。
そして、他に何か面白いものがないかと、部屋の中をぐるりと見渡したが、特に興味を惹くものが無かった様だ。
仕方なく大人しく待つ事にした。
―――だが、やはり じっと出来ない性格なのか、30分もしない間に部屋の外に出たくて うずうず し出して来ている。
ビクトール達の大事な用が終わるまで……と、我慢していたが、あれから随分経つのに一向に市長さんに会えないのだ。
聞くところによると、同盟国でも一番エライ人らしいので、待たされても仕方が無いのかもしれないが……。
まだまだ待たなくてはいけないのなら、少しくらいは外に出ても大丈夫だろうと考えたはビクトール達の許可を得ようと、彼らの方を振り向いた。
「……ねぇ。まだまだかかりそうだし、その間にちょっとだけ外に
…………って、あれ??」
が振り向くと、ビクトールもフリックも待ちくたびれたのか、座ったまま眠ってしまっている。
いつもは誰かが近付くと、やはり戦士だけあってすぐに目を覚ますのだが、ここが戦場で無い安心感からか、それとも殺気を感じないからか、二人ともが近寄っても目を覚まさなかった。
「…………………………えっと」
こんな事で起こすのも気が引ける。
そう思ったは、すぐに戻って来るつもりでこっそり部屋を出て行った。
市庁舎の中は、自分の世界にある県庁や府庁の様に広く、大理石造りの床や柱はツルツルに光っていた。
その中をこの役所の職員達が、それぞれ手に書類を持って、忙しそうに移動している。
『ふぅ――ん。そんなところは私の世界とほとんど同じなのね……』
感心しながら、じ―――っ としばらくそんな様子を眺めていた時、近くの部屋から出て来た職員に呼び止められてしまった。
「おっ!君、いい所に……♪ すまないが、ちょっと頼まれてくれないか?」
「 ?? 」
そう言うと、彼の持っていた何冊かの書類を手渡される。
「えっ!? で、でも……」
「今、こっちは手が離せなくってね。 どうやら君はヒマそうだし……。
なあに、副市長のジェスさんに提出するだけだから! それじゃあ頼んだよ!」
「あ、あの…………!」
自分はここの職員では無いと説明しようとしたが、彼はそのまま部屋に戻って行ってしまった。
後に残されたは、書類を手にしたまま、しばらく呆然としている。
「あ―あ、行っちゃった。 …………ま!いいか。渡すだけならすぐだしね」
副市長さんが誰なのか知らなかったが、その辺にいる職員に聞けば分かると思い、取り合えず歩き出した。
そして、ふと何気なく手にしていた書類に興味が湧き、いけないと思いつつもパラパラとめくってみる。
それは何かの出納帳だったらしく、表にして区切られたところに、この世界の数字が当てはめられていた。
「へぇ――っ。 この世界も十進法なんだ♪
…………って、あれ??
そうしたら……ここん所間違っている事になるわよね? あっ!ここも……」
思わず立ち止まる。その書類を食い入る様に見詰めている。
彼女は理数系が得意だった上、頭の体操になるからと親に言われ、算盤を習っていた。
なので、暗算は得意分野だった様だ。
慣れない文字にもかかわらず、一目見てそれが間違いだと気付くあたりは流石ではあるが……。
―――だが、のいる場所が悪かった。
職員の往来する、通路の真ん中で立ち止まっているものだから、邪魔になって仕方が無い。
とうとう、その様子にある人物が咎める様に、に声を掛けた。
「おい、そこの君!一体何をしているんだ!」
「へっ……?」
その声にハッと我に返り、後ろを振り向くとそこには、茶色い髪のフリックよりも少し背の低い青年が眉間にシワを寄せて、立っていたのだ。
彼はをジロリと睨むと、不機嫌そうに注意してきた。
「……何を見ていたかは知らないが、そんな所で突っ立っていると他の者の迷惑になるぞ!」
「えっ?……あ!ホントだ!ご、ごめんなさい!!
…………あの!
こ……この書類を副市長のジェスさんって方に、持って行ってくれって言われて、それで……」
顔を真っ赤にしながらあたふたとしている。
そんなに呆れながらも、答える青年。
「何?……ああ、それなら俺がジェスだ」
「ああっ!そ、そうだったんですね!?それじゃあ、これ!お渡ししますッ!」
「あ、ああ。ご苦労……」
副市長の自分の顔も知らないとは、この娘は最近入ったばかりの者なのか?と彼は少し怪訝そうな顔をした。
目の前の少女は書類を渡し少し安堵していたが、その後はなぜか帰ろうとしなかった。
それどころか心配そうに自分の持っている書類を見詰めているではないか。
不思議に思った彼はさらに眉間にシワを寄せて目の前の少女に問い掛けた。
「…………何かまだ用なのか?」
「えっ!? あの……。
よ、余計な事かもしれませんが、その……書類の計算……間違っていると思うんですが……」
「えっ? 何だって!?」
そう言われて、慌ててその書類をめくるジェス。
かなり遠慮がちに、間違っている箇所を指差し、説明する。
「えっと、ここと……それと、ここが間違って……あっ!こ、ここも間違ってますよ!?」
「ほ……本当だ。
こんないい加減な書類を提出するなんて、後で厳重に注意する必要があるぞ!」
「危ないところでしたね……」
「本当だな……」
ホッ……と二人で胸を撫で下ろしてから少し間を空けて ふと、ジェスは我に返った。
『ハッ!…………そう言えばこんな娘、ここの職員にいたか?
これだけ目立つ容姿なら、この俺も覚えてると思うんだが…………はて??』
目の前の少女を見ながら、しばらくの間考えていた。
この辺りでは珍しい銀の髪。見た所14・5歳に見えるが……。
だがジェスは、の服装に関してはそれ程気にならなかった様だ。
なぜならここ、市庁舎の職員達は皆それぞれ自由な格好をしている上、市長本人も女性なのに男の格好をしているくらいだからだ。
似合わないとは思っても、それ以外は特に不審には感じていなかったらしい。
『…………それにしても、パッと見ただけで間違ってると、よく分かったな。
うん!この計算力は使えるかもしれないぞ!!』
アゴに手を当て、眉間にシワを寄せながらこちらを見ている青年。
そんな彼の様子には、勝手に書類を見たので怒っているのだと勘違いしている様だ。
冷や汗を掻いている。
『ど……どうしよう。
勝手に書類見ちゃったから、きっとこの人、怒ってるんだわ!うぅぅ…………』
がそんな事を色々と考えている時、いきなり何かを思い付いた様にポン!と青年が手を打った。
「よし!君…………。いいから、ちょっと来てくれ!」
「えっ!?あ……は、はいぃッ!!!」
あたふたと戸惑うを、強引に連れて行くジェス。
抵抗する間もなく、手を引かれてどこかに、連れて行かれてしまう。
『どっ……どうしよう!そんなに重要な書類だったのかしら!?
こんな所で牢屋に入れられるなんて、や……やだぁ―――ッ!!!』
―――の心配をよそに、連れて来られたのは彼女が考えていた牢屋ではなく、壁一面本や書類に囲まれた一室であった。
そして、目の前に出されたのは一冊の書類。
「え……?」
「……取り合えず、この書類の計算をしてもらえるか?」
「へっ? 計算……ですか? あ……ハイ!分かりました!」
てっきりここで尋問されるのかと覚悟していただったので、彼の訳の分からない対応に、少し拍子抜けした様な声で答えた。
そして取り合えず言われるまま、計算し始めた。
出された書類をスラスラと暗算で解いていき、次々と空欄を埋めていく。
その速さと正確さに驚くジェス。 程なく出来上がった書類を見て感心していた。
「凄いな……。 君!どこの部署の者なんだ!?
そこの部長に言っておくから、明日から俺の補佐をしてくれないか?」
「ええっ!?」
いきなりそんな事を言われ、驚く。
褒められたのは嬉しかったが、彼が申し出てくれた補佐の仕事は、とても出来そうに無いだろうと考えていた。
『だって、肝心の字が読めないし、書けないんだもん……!』
その上どうやら彼も、自分がこの市庁舎の職員だと勘違いしている様だ。
それも含めて、訂正しようとした時、突然 隣の部屋から彼を呼ぶ女の人の声が聞こえてきた。
「ジェス!ちょっと来てくれ!」
「……あ、はい! 今行きます、アナベル様!!」
その声に素早く反応すると、彼はに少し待つ様に言い残し、急いで隣の部屋へと行ってしまったのだった。
「あっ、あの!…………って、あーあ。行っちゃった……」
一人残されたは、呼び止めようとしたポーズのまま、呆然と立ち尽くしている。
だが、今彼が言ったアナベルという名前に心当たりがあった。
それはビクトールから聞いていた、ここミューズ市の女市長の名前であった。
『アナベルさん……って、確かここの市長さん名前だったわよね?
女の人が市長やってるなんて……一体どんな人なのかな?ちょっとだけ覗いてみよっと♪』
ドアの隙間からこっそり隣の部屋を覗くと、そこにはスーパーモデル並の長身と容姿に、長いウェーブのかかった赤毛の女性がいた。
そして手に持っている書類に目を通しながら、テキパキと補佐官らしい人達に指示を与えていたのだ。
その無駄の無い仕事っぷりは、TVドラマで見る様な憧れのキャリアウーマンそのものであった。
『ア……アナベルさんって…………超カッコイイっ!!!』
―――再びのミーハー魂に火が点いた!
レオナとは また違ったカッコ良さに、の心は感動に打ち震えていた。
シャープな顔立ちに空色のバンダナでとめられた波打つ赤い髪。そして、すらりと伸びた手足。
その均整ののとれたプロポーションによく似合う、活動的な服装。
どれをとっても宝塚の男役に相応しいカッコ良さである。
そんなアナベルを間近で見れるなんて……と、恋する乙女の如く胸の前で手を組みながら、幸せそうに眺めていたのだった。
『レオナさんといい、アナベルさんといい、ミューズってホント、素敵な所だわ!』
時間も忘れて、アナベルの姿を心行くまで堪能していた。
だがそんな時、今まですっかりその存在を忘れていたビクトール達がやって来た。
『……あ、ビクトール達!? いけない!私ったら……すっかり忘れてたわ』
「よお!久し振りだなアナベル!」
「ビクトール!」
10年振りもあって、二人共抱き合って再会を喜んでいた。
アナベルは女性だったので体格こそ違うが、身長はほぼ同じぐらいである。
いきなり人目もはばからず、アナベルが男と抱き合ったので驚いているジェス。
だが次第に驚きを通り越して、怒りが湧き上がって来る。
男の口調からして、旧知の間柄なのは分かったのだが、自分の憧れの存在である彼女がどこの馬の骨とも知れない男と親しくしているのは、ハッキリ言って気に食わなかったのだ。
その上、男の身なりからしてまともな身分の者で無いのは明らかであった。
『こんなヤツに……このままではアナベル様の名前に傷が付いてしまう!』
そう考えたジェスは、慌てて二人の間に入って止め、ビクトールを睨み付けた。
「ア……アナベル様!
市長である貴方が皆の見ている前で、そんな事をしてはなりません!」
「……ビクトールは私の古い友人だ。
久し振りの再会なのに、そう固い事を言うんじゃないよ、ジェス」
「ダメです! お立場を考えて下さい!!」
「何だよ、うるさいヤツだなぁ」
「黙れ! さっさとアナベル様から離れろ!」
主人を守る忠犬のごとく、傍目から見ても分かるくらいビクトールを睨みつけ、威嚇するジェス。
ビクトールの方も彼のあからさまな態度に、ムッとした表情になる。
だがアナベルは彼がなぜ、いつにも増して不機嫌なのか分からなかったが、場の雰囲気を変えようと小さく咳払いをした後、話題を変える事にした。
「コホン! ―――で?
サウスウィンドゥのグランマイヤー市長の紹介状にも記してあったが、傭兵隊に入りたいそうだね?」
「ああ、あれから色々あって、ついこの間までトランの解放戦争に参加していたんだ。
だが、それも終わったんで、故郷に帰ってきた……って訳なのさ」
「へぇ……。あんたあの戦争に参加してたのか?やるじゃないかビクトール」
「まあな、へへっ!」
「でも帰って来たって……あの時の誓いはどうなったんだい?」
「ああ!そりゃもちろん、果たして来たぜ!!」
ドン!と胸を叩き、ニヤリと不敵に笑うビクトール。
彼女が言った“ あの時の誓い ”とは、ビクトールの故郷を滅ぼした吸血鬼ネクロードを必ず倒す!
…という誓いである。
彼が都市同盟領を旅立つ時、ビクトールは敵討ちを、アナベルはミューズを立派な都市にしてみせるとお互い誓い合ったのだ。
あれから10年の年月が流れ、それぞれの想いを胸に今に至っている。
只の人間が魔物に立ち向かい、それを倒したと言うのだ。どれだけ苦労したのかは実際見なくても想像出来る。
そんな堂々とした今の彼を見て、そうか……とアナベルは優しく微笑んだ。
「…………よく、がんばったね」
彼女の言葉は短かったけれども、その中には当時の彼の苦労を知っている者にしか分からない、ねぎらいの想いが含まれていた。
それが分かったビクトールも少し照れた様に大きく頷いた。
「………ああ、ありがとよ!
お前さんの方もあの時言った様に、がんばっているじゃねェか!
他のどんな場所より、ここのミューズが一番良い都市だぜ!」
「そうか。それが私にとって一番のホメ言葉だよ、ありがとう……」
本当に嬉しそうに笑うアナベルを見て、ジェスは目を丸くした。
そんな風に笑う彼女を見たのは初めてだったからだ。
その上、先程から二人にしか分からない会話をしているので、内心彼は穏やかでは無かった。
自分の知らないアナベルを、目の前のこの男は知っているのである、焦りと嫉妬にも似た感情が湧き出てきて二人の会話を中断させようと、思わず口を挟んだ。
「コホン!ア、アナベル様!!
次の会見も控えてますので、話は手短にすませて下さい!」
「え!? ……ああ、もうそんなになるのか? 分かった、すまない。それじゃあ……」
そう言ってアナベルが地図を取りに行った時、再びこれでもかとビクトールを睨み付けるジェス。
ビクトールの方は先程からヤケに突っ掛かって来るジェスを、気に食わない野郎だと眉間にシワを寄せて見ていた。
―――そんな様子をドアの隙間から見ていた。なぜか興奮状態である。
『こ……これは間違いないわ!
あのジェスさんって人、アナベルさんの事が好きなんだわ!
それにビクトールの方も、
さっきの意味有り気なアイコンタクトは大人の恋のサインなのね!?
ここに帰って来たのもアナベルさんに会う為だったんだわ!きっと、そうよ!
やだ!それじゃあ……これって もしかしなくても三角関係じゃない!
純愛よ♪ キャ――ッ!』
TVの純愛ドラマを見ている様に、赤い顔をしてドキドキ している。
やはりミーハーなこの感覚は、まだまだ18歳の女子高生のままであった。
それぞれの思惑(?)が見え隠れする中、そうとは知らないアナベルは、関係無しに地図を広げて話しを進めている。
その地図はデュナン湖を中心に描かれた都市同盟全体の地図で、アナベルはそのデュナン湖東部に位置する、ある場所を指し示して説明した。
「ここに半年前に、ハイランドに対する砦を造った。
今の所、まだ傭兵の数は200人程しか集めてないが、
非常時が起こった場合、この200名の精鋭部隊が中心となった2000人規模の傭兵部隊を結成しようと考えている。
そこでビクトール。
アンタには、そこの隊長になってもらおうと思うんだが……これならどうだい?」
「へぇーっ! 悪か無ェ話しだな♪」
その美味い話しに思わず身を乗り出すビクトール。
それを二つ返事で答えようとした時、またもやジェスが口を挟んで来た。
「アナベル様、俺は反対です!
その砦にはもうすでに、ギルバートと言うまとめ役の者がいるではありませんか!
それに、後から来た実力が分からない男に、いきなり隊長職を与えるなんて……」
「ビクトールの腕前なら私が保障するが、それでもダメなのかい?」
「アナベル様が良くても、傭兵共が納得しないと言っているんです!」
「う~~~~ん」
アナベルとジェスのやり取りを聞いて、ビクトールも考え込む。
確かに気に食わない相手だが、この男の言う事も最もだと感じたビクトールは、一つの提案を申し出た。
「…………要するに、実力が分かれば良いんだな?ジェスさんよぉ」
「ああ、その通りだ!」
「……何をするつもりだい?ビクトール」
不思議そうな顔で尋ねるアナベル。そんな彼女にビクトールはニヤリと楽しそうな笑みを浮かべた。
「オレ達の実力がどんなモンか、砦の連中に教えてやるんだよ!
まぁ……『殴りこみ』ってヤツだ♪」
「「 な……殴りこみ!? 」」
「傭兵の世界ってのは結局、実力の世界だからな!
荒くれ者共を黙らせるのは、この方法が一番なのさ。へへっ、腕が鳴るぜ♪」
自信満々に腕を振り回す彼を見て、少し戸惑うジェス。
アナベルは笑って、そのビクトールらしい提案を受け入れる事にした。
そして、実力で勝った者を砦の隊長・副隊長職に任命するという、書状を一筆書いたのだった。
その書状を受け取った時、何かを思い出したビクトールは慌てて付け加えた。
「おっと! すまんアナベル!
その……もう一人、オレ達の連れがいるんだが、そいつも一緒でいいか?」
「もう一人? ……何だい、あんたの弟分でもいるのかい?」
「いや、弟分じゃ無いんだが……。ついさっきまで一緒にいたんだよ。
だけど、いつの間にかどっかに行っちまって、きっと迷子にでもなってると……」
「わ、私ならここにいるわよビクトール!!」
自分の事だと気付き、慌てて覗いていたドアから飛び出す。
「「 !? 」」
突然思わぬ所から現れたので、驚いて目を丸くしているビクトールとフリック。
アナベル達も驚いて注目している。
「!お前なんでこんな所にいるんだ!?
急にいなくなるから探したんだぜ、オレ達!」
「ご、ごめんなさいビクトール! あのッ……その……」
「何だ!? き、君は市庁舎の職員じゃなかったのか!?」
が訳を話そうとした時、ジェスが驚いた様にそれを遮った。
ショックを受けている様である。
「……何だ、ジェス。なぜお前がビクトールの連れをこんな所に?」
「あ、そ……それは……」
「てめェ!をかどわかすつもりだったんじゃ無いだろうな!?」
「ち、違う!!」
「それじゃあ、なんだい?」
「俺はてっきり彼女がここの職員だと思ってたんです。
それに出納部の提出した書類の間違いを一目で見抜きましたし……、
彼女の計算能力は使えると思いまして、私の補佐役にと考えていたんです」
「ほぉ……! 一目でかい?」
ジェスの話しを聞いて一瞬驚いた顔をしたアナベルだったが、目を細め改めてを見詰めた。
心の中を探るような瞳がを射抜く。
「……と言ったかな?
…………見た感じ、この辺りの者じゃなさそうだけど、どこから来たんだい?
それに頭は良さそうだけど、故郷では何か特別な事でもやってたのかい?」
「えっ!?」
急に目の前のカッコイイ女市長さんに正面から見据えられ、その上質問もしてきたので
それで一気に舞い上がってしまう。 真っ赤な顔であたふたとしながら答えている。
「えっ!?
えっと、その……学校にも行ってましたし……一応計算とか暗算は得意ですけど……
あのッ!
ジェスさんが言ってくれた補佐役は、私には出来ないと思います!
……その、別の世界……じゃなかった!
別の国から来たばかりなので、字の読み書きとか出来ないんです!」
「ええっ!?」
申し訳無さそうに謝る。
それを聞いたジェスは更にショックを受けていて、傍目から見ても分かるように、かなり残念そうな顔をしていた。
そんなジェスの顔を見て、思わず吹き出すアナベル。
「フッ……!
この気難しいジェスをここまで残念がらせるなんて……あんたよっぽど出来るんだね。
……よし!
それじゃあ、字の読み書きはそこのジェスに教えてもらう事にして、当面の間は計算や他の事で彼を補佐してやってくれないかい?
ここでの生活とかは私が保障するからさ」
腕を組んでにっこりと笑うアナベルは、我ながら良い考えだと思っている。
ジェスは少し困惑した様に言葉を詰まらせて答えていた。
「そ……そうですね。 それなら、何とか……」
『優秀な補佐が出来るのは嬉しいんだが、また俺の仕事が増える……』
もビクトール達も、初め彼女の言った事が理解出来ず、頭の上にハテナマークを浮かべていたのでアナベルは単刀直入に言い直した。
「だ・か・ら! その娘は私が引取るって言ってるんだよ」
「ええっ!?」
「「 何だってぇッ!!! 」」
は嬉しそうに。ビクトール達は驚いて、思わず同時に大声を出してしまった。
「そ……それって、アナベルさんと一緒に暮らせるって事ですかッ!?」
「ああ、そうだよ。……何か不満かい?」
「い、いいえ!とんでもないです!
こんなに超素敵なアナベルさんと暮らせるなんて……!!」
「それじゃ、決まりだね♪」
頬を押さえながら、子供の様にはしゃぎまくっているを見て、アナベルも満足そうに微笑んでいる。
呆気に取られていたビクトール達は、それでやっと我に返った。
の反応を見て、彼らはレオナの時の事を思い出す。
―――そう、彼女が姐さんタイプに弱かった事を……
このままでははアナベルの側で暮らす事になり、ヘタをすれば異世界の者である事がバレ、その上彼女の宿してある真の紋章についても知られてしまうだろう……。
それだけは、なんとしてでも避けなければ! そう考えた二人は慌てて止めに入った。
「ちょ……!ちょっと待ってくれ、アナベル!勝手に話しを進めるなよ!
もそんな簡単に返事すんじゃねェよ!!」
「何だい、ビクトール?
まさかこんな年端もいかない娘を、荒くれ者共の集まる砦に連れて行く気なのかい!?
それこそ狼の群れに子羊を放り込む様なもんだよ」
腕を組んだアナベルにジロリと睨まれ、更に痛い所を突かれたビクトールは、まさか本当の事を言う訳にもいかず、言葉を詰まらせている。
「うっ……!
確かにそうだが……。だけどはオレ達がいないと……」
そうとは知らないアナベルは、まだブツブツと言っているビクトールを見て、深い溜息を吐く。
そして机をバン!と叩くと、身を乗り出してビクトールに詰め寄った。
「過保護にする気持ちも分かるけど、だったら尚更ここに置いとくべきだよ!
14・5歳からしっかり教えてやれば外国の者だって、立派なミューズの補佐官になれるんだからさ!」
「「 はこれでも18歳だ!! 」」
見事にハモるビクトールとフリック。
だが、それを聞いて一瞬驚くアナベル達だったが、すぐに鼻で笑い出す。
「プッ!
何言ってるんだい、そんなハズないだろ?私達をからかってるのかい、ビクトール?」
「からかってどうすんだよ!……まあ、オレ達も最初はそうだったけどな」
肩を竦めて苦笑いしている二人を見て、まさかと思いつつもアナベルはを振り返った。
「…………本当なのかい?」
「はい…………。一応これでも18歳……です」
「「 !!!!!! 」」
とても信じられない!?と言う目でまじまじと見られ、の方もだんだんと自信が無くなってきている。
これから人と出会う度にこんな事ばかりが続くのか……と、深い深い溜息を吐くのだった……。
『…………故郷のお父さん、私って本当に18歳よね? ねっ!?』