まるで眠る様なその表情は、呼びかければ今にも瞼を開き、以前の様に笑顔を見せてくれそうであった。
「…………なぜあの時、を置いて行ってしまったんだ……。
一緒にいたなら、こんな事にはならなかったハズなのに……なぜオレは……」
「フリック……」
少女の棺の傍らに、項垂れる様に座り込んでいるフリックは、あれからずっと自分を責める言葉を呟いていた。
ビクトールが何度も彼の責任では無いと言い聞かせても、まるで呪われた呪文の様に彼は呟くのを止めなかった。
『……オデッサが死んだと知らされた時もこいつはきっと
今みたいに自分を責めていたんだろうな……くそっ!!』
何も出来ない自分の歯痒さ……そして、やり切れない想いがビクトールを苛立たせる。
『フリック……もし、お前が責められるんだったら、オレだって同罪だぜ!
あの時、を助けられなかったのはオレも一緒なんだからな…………』
―――あの時……
ビクトール達が駆けつけた時、すでに遅くは大蛇の餌食になってしまっていた。
大蛇の太い牙が少女の胴体に食い込み、力なく垂れ下がった手足からは赤い血が滴り落ちていた。
その信じられない光景に二人の頭の中は真っ白になり、一気に血の気が下がる。
手足の先にチリチリと痺れが起き、徐々に腹の底から悲しみを上回る怒りと熱がふつふつと湧き上がってきた次の瞬間、二人は大蛇に向かって突進していたのだった。
「この野郎おぉぉぉッ!!!!」
「うおおおおおツツ!!!!」
怒りに身を任せた二人の前に敵は無く、あっという間に大蛇は地面にひれ伏していた。
大蛇の牙から解放されたの体は、地面に叩きつけられる前にフリックが抱き止めていた。
今まで大蛇に向けられていた怒りの表情から一転し、青ざめた泣きそうな顔になるフリック。
動揺を何とか抑えながら、苦しそうに息をしているの体を揺すった。
「!おい、!しっかりしろ!!」
「!!!」
大蛇に止めを刺し、ビクトールも急いで駆け付けた。
駆け付けたビクトールが見たものは、少女の体から止め処も無く流れる血を止めようと、必死に傷口を押さえているフリックであった。
「くそっ!このままじゃが死んでしまう!
早く魔法で傷口を塞がないと……」
―――だが、あいにくフリックもビクトールも、水の紋章は宿しておらず、星辰剣も回復魔法は使えなかった。
「ちくしょう! どうすりゃいいんだ!!!」
「これを!この『優しさのしずく』の札を使って下さい!!」
そう申し出てくれたのは近くにいた村人であった。
彼らはに助けてもらった者達で、今もまた、大蛇に襲われそうになった所を身を呈して彼らを庇っていたのだ。
その事をフリック達に伝えると、自分達の持っていたこの村では貴重な水の紋章の札を三枚快く差し出してくれたのだった。
「す……すまない!恩に着る!!」
急いでそれを受け取ると、ここで唯一魔法の使えるフリックが意識を札に集中させた。
札はフリックが集中すると同時に白く光り出し、の体もその光に包まれる。
誰もがこれで大丈夫だと安堵の息を吐いた。だが…………
紋章の光が収まった後もなぜかの傷は塞がらず、もう一枚札を使ってみても結果は同じであった。
「なっ!? なぜだ!!なぜ魔法が効かないんだ!!!」
焦るフリック、そしてビクトール。
この間にも血は、少女の体からどんどん流れ出していた。
「…………無駄じゃ、には魔法は効かん様じゃ。残念だが……」
最後の札を使おうとしたフリックを止める星辰剣。納得いかないのかフリックは思わず星辰剣を睨んだ。
「なぜだ!?
魔法が効かない……って、どう言う事だ星辰剣!!!!」
「…………はこの世界の人間では無い。……それを忘れたのか?」
「「 !!!!!!! 」」
星辰剣のその言葉を聞いて愕然とする二人。
……そう、忘れていた。
少女は自分達とは違う世界の人間なのだ。世界が違えば自分達には通用する物でも、彼女には全く効かない事もあるのだ。一瞬、諦めの想いがが二人の頭を過る。
だが、その考えを振り払うかの様にフリックは頭を振った。彼は最後まで諦めたくなかったのだ……。
「……そうだ、医者を……医者を呼んでくれ! 頼む、医者を!!!」
必死に周りの者達に訴えるフリックの呼び掛けに、村人達はお互いの顔を見合わせた。
そして、その中の一人が進み出て、言いにくそうにこう告げたのだった。
「……この村には医者はおりません、申し訳無いのですが……」
「何だと!?」
「そんな……!!!」
唯一の望みを絶たれてしまった二人はまたもや愕然とする。
「そんな……このままじゃは……」
血で汚れるのも構わずを抱きしめるフリック。
その手は端から見ても分かるぐらい動揺し、震えていた……。
『オレはまた、大事なものを失うのか……!?』
少女とは出会ってから一週間程しか経っていない……。
当然“ 守ってやらねば ”という義務感はあっても“ 恋 ”という感情は無い。
……なのになぜ、こんなにも自分は動揺しているのか?
――――解放軍にいた精霊の。
なにかとフリックを思いやってくれていた彼女をいつしかフリックの方も気にする様になっていた。
それが恋という感情なのか分からなかったが、恋人オデッサと別の意味で大切に思っていた事は確かである。
そんな彼女に良く似た少女が今、自分の腕の中で命の灯火が消えようとしているのだ。
重ねて見てしまっても仕方が無い事である。
…………だが、フリックがひどく動揺している理由は他にもあった。
が大蛇に襲われた理由が、子供を庇おうとしたのだと聞いたからなのだ。
村人の話しだと彼女は危険を省みず、倒れている人々を助けて回り、大蛇が子供に向かって襲い掛かった時も身を挺してその前に立ち塞がったのだと言う。
それは、くしくも恋人オデッサの亡くなった時と同じであった。
彼女も子供を庇い、敵の刃に掛かって命を落としている。
もし……もしも、オデッサが殺されたあの現場に自分がいたのなら、刃に倒れ、血にまみれた彼女を今のの様に 抱き締めていたのだろうか……?
そう思うとの青ざめた顔と、オデッサの顔が重なって見え、たまらなく悲しくて……少女の体をきつく抱き締めた。
『オデッサ…………!!!』
そんな時、かすれる声がフリックの耳に届いた。
それは、自分が今抱きしめている少女のものであった。
「フリック……さん……」
「!? ? 気が付いたのか、!?」
「!!!」
が気付いたと聞いて、ビクトールも急いでの顔を覗き込んだ。
フリックの腕の中、うっすらと目を開ける少女。
血の気が失せて紫色になった唇を微かに動かし、囁いた。
【 フリックさん……ビクトールさん……星辰剣さん……私は大丈夫…… 】
力無く微笑んでいる少女を見てフリック達は、その微笑は自分達が心配しない様見せた、少女の精一杯の心遣いなのだと分かり、その健気さに思わず胸が詰まった。
「……もうしゃべるな、。
医者に見せればこんな傷ぐらいすぐに治るさ、心配するな……」
無理に笑顔をつくって微笑むフリックは、そう言って少しでも安心させようと、の頭を撫でた。
その間にも、彼女の体に空いた牙の痕からは止め処も無く、温かい血が流れ続けている。
もう、こうなってしまっては例え水の紋章が使える者がいて、それが効いたとしても助かる見込みは無いと分かっていた。
だが、フリックはウソでもそう言わずにはいられなかったのだ……。
震える声を抑えつつ、励ます彼の姿に周りにいた村人達も、どうする事も出来ない自分達の無力さに憤りを感じ、涙を浮かべながら見守っているしかなかった。
【 ごめんなさい……フリック……さん……。
ビクトールさん……星辰剣さ……んも……悲しまないで……】
「え?……今、何て言ったんだ? なぁ……」
「……あり……がと……う………」
そう一言呟くと、目を閉じ、少女はそれっきり動かなくなってしまった……。
呆然ともう動かない少女を見詰めているフリック達。
フリックの大きく開いたその目には見る見る涙が溢れてきている。
「お……おい……?
こんな所で死ぬな……まだ……まだこれからだって言うのに……
おい、……――ッ!!!!」
をきつく抱き締めて肩を震わせながら嗚咽するフリック。
「くそうッッ!!
何でこうなっちまったんだ! ちくしょおッッ!!!」
「くっ!! 何という事だ!!!!!」
その悲しみに耐える様に手を握り締め、顔を背けるビクトール。星辰剣も憤りを隠せない。
その後、一人の少女の死に涙する者達の、すすり泣く声がいつまでも続いていたのであった…………
あれからどれだけたったのだろう……?
惨劇のあった真昼の空はいつしか暗くなり、今は大きな半月が浮かんでいる。
その光は棺の中の少女を照らしていた。
『これから何もかも始まるハズだったのに……
だって言葉を覚えて、がんばろうとしてたのに……くそっ!! 』
異世界からやって来た少女の儚く短い人生に、やりきれない憤りを感じるビクトール。
そして、少女の傍らに項垂れて座り込んでいる相棒に、掛ける言葉も見付からず、いたたまれなくなったビクトールは、その部屋から出て行こうと扉を開けた。
「わあっ!!」
「何だ?」
扉を開けたと同時に ドン!という音と共に誰かの驚いた声が聞こえてきた。
ふと、下を見ると一人の子供が座り込んで、鼻の頭を痛そうに摩っていたのだった。
「おっと、悪いな! 大丈夫か、ぼうず?」
慌てて手を差し出し助け起こすと、子供を怯えさせない様、少し身を屈めて問い掛けるビクトール。
よく見ると、その子供はが危険を省みず、助けたという少年であった。
「何だ、子供がこんな夜に出歩いていいのかよ? 何か用なのか?」
「え……えっと、コ……コレ!!」
「これは……?」
おずおずと少年の差し出した手のひらの中にあったのはが作ったお守り……
そう……『折鶴』があった。
「これ、あのお姉ちゃんから貰ったんだ! 願いが叶うお守りだって。
だから……だから、ボクのを使って!
お姉ちゃんが生き返ります様に……って!」
「お前…………」
少年の真剣な瞳を見て、その純真な気持ちに胸を打たれるビクトール。
が作ってくれた『折鶴』と言う小さなお守り―――
それには願いが叶う“ 力 ”が宿っているという……
一つしか持っていないお守りなのに、目の前の少年はの復活を願っているのだ。
ふと、以前にもこれと同じ想いを……奇跡を目の当たりにした事を思い出す。
それは解放軍にいた時の事であった。
主星、天魁星のを中心に108星の想いが集まり、一人の人間がこの世に蘇った……。
――――もし、たくさんの人の想いが集まったのならもう一度、奇跡が起きるのだろうか?
……そんな事を考えながらビクトールは少年の小さな『折鶴』を、懐かしそうに見詰めた。
彼は目を閉じ、ゆっくりと深い溜息を吐いた後、少し嬉しそうに少年の頭をガシガシと撫でた。
「そうか……ありがとよ、ぼうず。
……だが、そいつはお前さんが貰った物だから大事に使うんだ」
「でも……!!」
「いいから!心配すんなよ、もう一つオレのお守りがあるんだ。ほれ!」
ビクトールが懐から取り出した黄色の『折鶴』を見て、驚く少年。
自分の『折鶴』を使って、少年と同じお願いをするから大丈夫だと説明し、もう夜も遅いからと家に帰らせた。
少年の後姿を見送った後、ビクトールは自分の手のひらにある小さな『折鶴』を見詰めて、切なそうにこう呟いた。
「願いが叶う、お守り……か……」
もし、本当に願いが叶うのなら、あの心優しい少女をもう一度生き返らせてくれ……奇跡をもう一度見せてくれ!
そう願わずには居れないビクトールであった……
―――――暗い暗い闇の中、の魂はあても無く彷徨っていた……
体全体が麻痺した様なそんな感覚の中、どこからともなく自分の死を悲しむ者達の気持ちや声が聞こえてきた。
……それに、自分はなぜここにいるのだろうか?
そんな事を考えている内に、今までの事が思い出され、ようやく自分が死んだ事に気づき始めたのであった……。
「そうか……あの時に私、大蛇に殺されたんだっけ……。
これが“ 死 ”ってもの……なの……?」
大蛇に噛み付かれたお腹の辺りを探っても、牙の跡は見付からず、最初は不思議に思っていた。
だが、以前父が教えてくれた話しの中に、不慮の事故等で死んでしまっても、魂になった時はいつもと変わらない姿なのだと、聞いた事を思い出した。
「……でも不思議。思ってた程恐くない……恐くはないけど…………」
はふと、上を見上げる。
方向の感覚は分からないが、そこから伝わって来る色々な声や想いの中に、フリックやビクトール達のものを感じ取ったのだ。
まだ出会って間もない彼らなのに、こんなにも自分の事を悲しんでくれている……。
嬉しい半面、切なさで胸が一杯になり、は優しい人達を悲しませてしまった事を申し訳なく思っていた。
「……フリックさんも、ビクトールさんも、それに星辰剣さんも……。
そんなに悲しまないで? 私は平気だから……」
どうにかして彼らにそれを伝えられないものかと、思いを巡らせていた時、暗闇の中、の目の前を一筋の光が走った。
「え?」
突然の事に驚いて、光の走った方を振り向くと、その光はその場所に留まり、蛍の様に宙に浮いている。
まるでを呼んでいるかのように揺れながら……。
「何だろ……?」
惹きつけられる様にその光に近付く。……すると、光は近付いた分だけ遠ざかっていく。
それを何度か繰り返した後、光はとうとう止まらずに……だが、ゆっくりと飛んで行こうとしていた。
「あ! ま……待って!」
今の自分の立たされている状況を忘れ、夢中になって光を追い駆けるであった。
どれだけ追い駆けただろう……?
ふと気が付けば、いつの間にか見知らぬ石造りの広間に一人立っていた。
光は相変らず、の前方の少し離れた場所に揺れながら浮いている。
「ここは……どこ?……」
不安そうに辺りを見回す。
石の柱に掛けられたほのかな明かりに照らされて、ここが円形の広い部屋だという事が分かった。
ここはもしかして、『あの世の入り口』なのか?と、ぼんやりとそんな事を考えていると突然、どこからともなく声が聞こえて来た。
「よく来ました、異世界の者よ……。あなたが来るのを待っていましたよ」
「えっ!?」
声のした方に視線を移すと、今まで追い駆けていた光の向こうに、白いフードを被った女性が佇んでいた。
神秘的な雰囲気を漂わせている、不思議なその女性は、ゆっくりと前に進み出ると目の前にある小さな光に手をかざした。
―――その途端、前より大きく光り出すと、その中に車輪を模った、ある模様が浮かび上がってくる。
それは以前、どこかで見た事のある……
そう、が召喚されたあの遺跡の扉に彫られていたものであった。
「それは……その模様は、あの遺跡の扉と一緒の……。
あ……あの! あなたは一体誰なんですか? 私を待っていたって……」
「私の名はレックナート。
真の紋章である『門の紋章』を受け継ぐ者……バランスの執行者です」
「真の紋章? ……バランスの執行者??」
「フフ……、分からないのも無理はありません。
あなたの世界とは“
そう言うとレックナートと名乗る女性は、右手を頭上に掲げ、何か小声で呟きだした。
すると、今まで薄暗い石の広間だった所が暗い空間に変化する。
それはまるで、疑似体験空間の宇宙にいる様で、思わず驚きの声を上げてしまうであった。
「……この世界には“ 始まりの神話 ”という世界創造の神話が伝えられています。
“ 闇 ”が落とした涙から、生まれた“ 剣 ”と“ 盾 ”の闘争……。
そして、その争いの末に生じた“ 26の紋章 ”。
それらの“ 26の紋章 ”は“ 剣 ”と“ 盾 ”の力や性質を受け継ぎ、世界に溢れている様々な力の源となった……。
その“ 26の紋章 ”の一番最後に生まれた、27番目の小さな紋章……それがこの『希望の紋章』なのです」
はその紋章の名を聞いて、あの時、空の彼方に飛び去った紋章だと気が付いたのだった。
「あなたには信じられない事なのですが、真の紋章にはそれぞれ“ 意志 ”というものがあり、
秩序たる“ 剣 ”に属するものと、混沌たる“ 盾 ”に属するものとに、分かれているのです。
……そして、“ 剣 ”と“ 盾 ”の永い争いの末、お互い相容れない性質の中、
唯一同じ想いが形となったのが“ 希望 ”と言う名の力……最後に生まれたこの紋章なのです」
初めて聞く、異世界の成り立ちに感心する。
と、同時に自分の世界とは掛離れた世界なのだと、改めて実感するのだった。
ふと気が付くと、いつの間にか元の場所に戻っている。
そして目の前には、レックナートの他にもう一人の女性が悲しそうな表情で、佇んでいた。
「あ! あなたはあの遺跡にいた人……」
ぼんやりと白く光るその女性は、遺跡の時の様に長い青味がかった銀の髪に、白いドレス姿。
そしてを見詰めるそのエメラルドグリーンの瞳が印象的であった。
(私の名前はルルド……『希望の紋章』の宿り主です。
今は魂だけの存在になってしまいましたが……)
「魂……だけ?」
ルルドと名乗る女性は少し悲しそうに微笑むと、その後、今から500年近く前の事をゆっくりと語り始めた。
何の原因で命を落としてしまったかまでは、語ってはくれなかったのだが彼女が死んだ後、シンダル族の者がこの紋章を持ち出し、その高度な技術で魂ごと紋章を封印したのである。
本来なら宿り主が亡くなった場合、紋章は次の宿り主が現れるまで海の底や、地中深く眠りにつくのが普通なのだが……。
封印されている為それが見えない枷となり、どこにも還る事が出来ずにいて、そうして彷徨っていていた所、と出会ったのである……。
「……で、でも、どうして私の世界にいたんですか?
それに……どうして私をこの世界に呼んだんですか?私は……」
(それは……)
「それについては私から説明いたしましょう……」
ルルドが言いにくそうにしていると、レックナートが進み出て彼女の代わりにゆっくりと説明を始めた。
「『希望の紋章』は他の紋章と違い、
女性……しかも、異世界の者に宿る性質をもっているのです」
「え?……っていう事はルルドさんも別の世界の人なんですか!?」
「そうです……。この世界のしがらみに囚われない、異世界の魂……。
それはこの世界にとって、一雫の希望となる可能性があります。
……きっと、この紋章が定められたこの世界の行く末を変ようと、可能性を求めた結果なのでしょう……」
「可能性……。そ、それじゃあ私が呼ばれたのは……?」
不安そうにしているに、今度はルルドが前に進み出てきた。
(あの時……偶然あの世界を訪れ、あなたに出会いました。
本当なら人には見えないはずなのですが、
なぜかあなたには見えていた様で……紋章と波長があったのかもしれませんね。
その後すぐ、その場から立ち去ろうとしましたが、魔法の効きにくい世界だった為、力のコントロールが出来ず、あなたを巻き込む様な事になってしまったのです……。
その上、この様な結果になってしまって……ごめんなさい……本当に……)
「………………そうだったんだ……」
この世界に呼ばれた経緯がやっと分かった今、複雑な気持ちになる。
あの時偶然に出会わなければ、この世界に来る事も無く、今の様に死ぬ事もなかったであろう……。
愛する家族と無理矢理…と言って良いやり方で引き離されてしまい、しかももう二度と会えないのだ。
最初、憤りを隠せなかっただったが、目の前にいるルルドが涙を流しながら何度も謝っている姿を見てそれが余りにも可哀相になり、彼女をそれ以上責める気持ちにはなれなかった。
『そうだよね……。
ルルドさんだって何も悪気があってやった訳じゃないし、この場合責められないよ……。
よく考えたら彼女の方が私より気の毒な人かもしれないな……
500年間も閉じ込められて、自分の世界にも帰れず、一人っきりでいたんだもんね……ずっと……』
「もう、泣かないでルルドさん!
私は……私は大丈夫だから! ……ね?」
本来なら恨まれてもおかしくない相手から、慰めの言葉を耳にしたルルド。
当然責められるのを覚悟していた彼女は、思っても見なかった言葉に、思わず泣くのを止めての顔を見た。
自分の目に入ってきた少女の表情は穏やかで、どんな過ちも許し、包み込んでくれる“ 聖母 ”の様に見えていた……。
そんな少女の優しさを感じ、欠けていた胸の奥が温かいもので満たされていくのが分かる。
まるで、乾いた大地に恵みの雨がしみ込む様に……
(……さん……)
その優しさに、ルルドは顔を覆って再び涙を流した。
……だが、この涙は先程とは違った、喜び故の涙であった。
(ありがとう……ありがとう……)
何度もに感謝の言葉を言うルルド。彼女の姿はそのうち元の小さな光へと戻っていく。
だが、先程とは違った色で光っている上、その中の紋章もはっきりと浮かび上がっていた。
何が起こったのか分からないは、心配そうにその光を見詰めた。
「ルルド……さん?」
「……心配いりません、。彼女はあなたの優しさに触れて元の姿に戻ったのです。
それに……どうやら『希望の紋章』も、その気持ちに反応した様ですね」
「え? 反応??」
「そうです。今までずっと見定めていた様ですが、
ようやく紋章自身があなたを次の宿り主に決めた……という事です」
「えええっ!?」
いきなりそんな事を言われ、あたふたと驚く。思わず大声を出して今の言葉を聞き直している。
「あっ、あっ、あのッ! わっ、私が次の宿り……主にですか??」
「はい、そうです」
「で、でも! その……私はもう死んじゃってますよ?無理なんじゃ……」
戸惑うを見てレックナートは、安心させる様に優しく微笑んだ。
「その心配は無用です。
あなたの体と魂を繋ぐ“ 糸 ”が切れない限り、まだ宿す事は可能です。
この『希望の紋章』は他には無い“ 不死 ”という自己再生能力が備わっています。
首や胴を断たれたり、紋章を宿している部分を貫かれない限り、死に至る事は無いのです……」
「不死!? ……す、凄い」
思わずゴクリと息を飲む。
“ 不死 ”という言葉に今一つ現実味を感じられなくて、最初は戸惑っていただったがもし生き返る事が出来るのなら、それは願っても無い事……
もう一度元の世界に帰れる可能性が出来るかもしれなのだ。
「私…………」
考えるまでも無く、その紋章を宿してもらおうと前に進み出た時、レックナートの諭すような、張り詰めた静かな声が辺りに響いた。
「……よく考えて下さい。
確かにその紋章を宿したならば生き返る事は出来ます。
……ですが、それと引き換えに、“ 不老 ”の力故、永い時をいき続けなければなりません。
……この紋章は“ 希望 ”という名の紋章ですが、誰もが望むものであるが為に、
それを求める者達の争いが起こり、今までその名にそぐわない結果になっています。
まるで“ 呪い ”の様な悲しみを繰り返す、運命の輪の様に……」
「悲しみを……繰り返す……呪い……」
呪いという言葉を聞いて青ざめて身を硬くする。それが真実かどうか、今までのルルドを見れば自ずと分かったのだ。
思わず決心が揺らいでしまう……。
だがその後、何かを訴える様にレックナートは言葉をこう続けた。
「確かにこの道はいばらの道かもしれません……。
ですが、この“ 道 ”の果てには必ず明るい未来があります。
それが、目しいた私の目には見えるのです、……」
「レックナートさん……」
この時初めてレックナートの目が見えていない事に気が付いた。
彼女の宿してあるという紋章の魔法の力で、どうやら普通の人よりも目に映るモノ以外も見えている様だ。
その彼女が言うのなら、今の言葉はきっと、確かなのであろう……。
だが、生き返るチャンスに対してのリスクが大きすぎて、まだは宿すべきかどうか迷っていた。
そんな時、ふと、ルルドの事を考えてみた。もし、このまま自分が NO と言ってしまったら彼女はどうなるのかと……。
「あの……もし私がこの紋章を宿さなかったら、その……ルルドさんはどうなるんですか?」
「……永く共に封印されていたので、紋章が魂に深く絡みついています。
このままでは再び次の宿り主が現れるまで、紋章と共に地中深く眠りにつくでしょう。
悲しみを背負ったまま……」
「そんな……!」
はあの時のルルドの悲しそうな表情を思い出す。
その理由は分からないが、生前に余程の事があったのだろうと感じた。
もし、自分が名乗りを上げなければ、その魂は悲しみから解放されないのだろう……。
彼女の事を思うと、胸が締め付けられてしまう。
……だが、いきなり途方もない難題を突き付けられ正直戸惑っているのは確かだった。
このまま何もせず、死んで行くのか?
……それとも再び生き返り、いばらの道を苦しみながら歩んで行くのか?
その二つのどちらかを選ばなくてはならないのだ。まさに究極の選択である。
―――― 一体どうすれば……? 心が揺れる ――――
大きく息を吸い込んだ後、目を閉じるはふと、大好きな父の言葉を思いだした。
『何をすれば良いのか分からなくなったら、
今のの出来る精一杯の事をすれば良いよ……』
それは父が幼い頃から自分に言い聞かせてくれていた言葉だった。
『精一杯の事が出来たら次に、どんなに苦しくても、もう一歩だけ前に進んでみるんだ。
……そうすればその一歩分だけ自分が、強く、大きくなれる……。
それに、目の前に現れる全ての“ 問題 ”は生まれて来る前に自分が決めて来た
“ 自分を磨く砥石 ”なんだよ?
そう……“ 人生は一冊の問題集 ”なのさ!
さあ! ならこの“ 問題 ”をどう解くかな!?』
尊敬する大好きな父に抱き締められ、その温かい胸の中でよく聞いた言葉……。
その言葉が今、思い出され、彼女の胸の奥深くまで染み込んでいった。
『そっか……そうだったよねお父さん。
これは私が解かなくちゃいけない“ 問題 ”……私? 私ならきっと……』
閉じていた瞼をゆっくりとひらく。 その瞳にはある決意が宿っていた。
「……分かりました、レックナートさん。私、この紋章を宿します!
何が出来るか分からないけど……精一杯やってみます!」
の言葉と同時に、目の前を浮かんでいた『希望の紋章』が突然輝き出した。
そして、その紋章からホタルの様な小さな光が分かれたかと思うと、の周りを飛び回っている。
まるで感謝をしているかの様に……。
しばらく飛び回った後、そのまま上空へと舞い上がり、暗い天井を通り抜けて消えて行ってしまったのだった。
「あ…………」
その小さな光はルルドの魂だとは感じて、温かい気持ちが胸に広がる。
彼女はやっと、悲しみから解放されたのである……。
『良かった……』
「……、本当に良いのですね?」
再びレックナートの響く声で、現実に引き戻される。
彼女の言葉に答えたなら、もう後戻りは出来ないのだと感じていた。
だが、今のには迷いは無かった。その目はいつもと変わりない“ 前 ”を見ていたから……。
「はい!
だって私……もう死んじゃってるし、少しでも人の役に立つならその方が嬉しいから……」
「そうですね……、あなたはいつもそうでしたね……」
「え?」
レックナートが微笑みながら呟いた言葉に首を傾げる。それはまるで以前から自分を知っている様な口ぶりだったからだ。
「あ、あの!レックナートさんは私の事を……」
「さあ、そろそろお行きなさい。あなたの行くべき場所へ……」
問い掛けを途中で遮られ、戸惑う。
そうしている間に紋章の光が強くなり、を包み込んだ。余りの眩しさに思わず目をつぶってしまった。
「あ……!」
「そのうちまた会えるでしょう……
私はいつでもあなたを見守っていますよ……」
眩しい光の中、は目を開ける事が出来なかった。
そしてレックナートの姿はいつの間にか消えていて、その空間には紋章の光に包まれただけになっていた。
温かい光はエネルギーとなり、体の隅々まで行き渡り、そして満たされていく……。
「あ……これが『希望の紋章』!? あ……ああっ!」
満たされたかと思うと、次の瞬間、今までの紋章の記憶が一気に頭の中に流れ込み、心臓の上がまるで焼印を押された様に一瞬、熱くなった。
…………と同時に、胸が押し潰されるような切ない悲しみがを襲う。
『こ……これ……は……何……?』
止め処もなく溢れる涙。―――悲しみ、不安、寂しさ……
そんな感情がまるで無数の黒い触手の様に足元から自分に絡み付いてくる。
その感情から逃れるべく、思わず伸ばした手の遥か先には、光が見えていた。
『あ……、あれがレックナートさんの言っていた……』
その光に少しでも近付こうと、手を伸ばす。
だが、とうとうその感情に耐えられなくなり、いつしか涙を流したまま意識を手放してしまったのだった。
意識を手放す時、彼女の心に過ったものは“ 絶望 ”ではなく、やはり“ 希望 ”であった。
彼女は見たのだ。
遥か遠くにある光から、蜘蛛の糸の様に細い……だが、何か確かなものが、自分の伸ばした手をしっかりと、繋ぎ止めてくれるのを……
『……あなたは……“ 誰 ”……?』
―――――その頃、村では一人の少女の葬儀が行われていた。
フリックやビクトール達の他にも、村人達が何人も来てくれていて、少女に手向けの花を贈っていた。
ささやかで小さな花ばかりであったが、緑の少ないこの村には精一杯の贈り物なのである。
順番に次々と棺の中に手向けられ、最後に少女の身内としてフリックとビクトールが進み出る。
フリックは昨日よりは幾分気持ちが落ち着いてはいたが、ビクトールとも今朝から一言も言葉を交わしていなかった。
そして花を手向けた後、悲しそうにいつまでもの顔を見詰めていた……。
「フリック……」
元気を出せよと、フリックの肩を軽く叩くビクトール。
その気持ちが伝わったのかフリックはゆっくりと頷いた。
「…………そうだな、いつまでもくよくよしていたらが安心して天国に逝けなくなるよな……」
「ああ……」
そして最後にビクトールが花を手向けた。
その後、そっと少女の胸の上に組まれている手に目をやる彼は、諦めた様に深い溜息を吐いている。
……それは、昨夜少年との約束通り、少女の復活を願った『折鶴』を、その手の下に握らせていたからだった。
魔法が少女に効かない様に、少女の世界の物であるお守りも、やはりこの世界では
通用しなかったのだと……
『やっぱり奇跡は、起きてくれなかった……か……』
「あの……、そろそろ宜しいでしょうか?」
「あ……ああ、悪ィな。 頼むよ」
皆の見守る中、棺を埋葬する為、棺の蓋を持って来る。
……だが、村人が蓋に釘を打とうとした瞬間、ビクトールの待ち望んでいたその“ 奇跡 ”が起こったのだった!
「うわっ……!」
―――上空から深い森の匂いがする、暖かい一陣の風が吹き下ろし、その風の勢いに蓋が飛んでいってしまった。
それは、中に手向けられていた小さな花も一緒に舞い上がらせ、上空からまるで
花吹雪の様に舞い落ちて来る。
「あ………! あれは…!?」
風に煽られてその場にいた者が皆、地面の砂が入らぬ様に目を瞑っていた時、いち早く目を開けた子供が急に驚きの声を上げた。
その声につられてビクトール、フリックも何事かと目を開けた。
驚いて空を指差している子供の視線の先を見た、すると……
舞い落ちて来る花と一緒に、輝く小さな光が舞い降りて来ていたのだ。
「な……、何だあれは……??」
皆、呆然とその不思議な光を見詰めている。 その光が少女の体に入り込んだその瞬間!
置いてあった棺を中心に、見る見る地面から草や花が咲き出し、周りの木々には青々とした葉が生茂り始めたのだ!
その信じられない現象に皆、辺りを見回して驚いている。
「こ……これは一体!?」
「ああっ!あれを見て!!」
再び子供が驚きの声をあげ、その指し示した方を見てさらに驚きの余り、その場にいた者は皆、息を飲んだ。
なんと、棺の中の少女が白い光に包まれたかと思うと、次の瞬間、少女の髪が青味がかった銀色へと変化したからだった。
「「 !!!!!!! 」」
そんな少女の体の変化に釘付けになっている誰もが、余りの出来事に動けずにいた。
そうしているうちに、髪の色が全て変化し終わり、次には血の気の失せた顔には赤味が差してきている。
そして深い息遣いの後、体を覆っていた白い光がスーッと消えていき、二度と開かれる事の無かったはずの少女の瞼がゆっくりと今開き出す……。
その瞳はフリック達のよく知っている、深い宝石の様な、エメラルドグリーンの色をしていた………
「…………」