〇漆【 村に泊まろう・下 】
曰く、それは本当に突然であったらしい。近隣の村を襲う山賊を討伐するため、山に来た男――伊達 政宗は、情報のあった川原に自ら囮となる形で出向いた。
それにまんまと釣られ、現れた山賊たちは彼がどんな人物かも知らず、ただ“カモ”として取り囲んだ。
そのうちの一人――というか、頭目であったらしい男が彼の挑発に乗り、刀を振り上げたとき、“それ”は現れた。
『――って重っ!?!?』
そんな素っ頓狂な声と共に、突如山賊頭と伊達 政宗の間を遮るように現れたのは、謎の鉄枠と、鉄板と――男児のような格好をした明るい髪の子供。
危うく――というか、かなり普通に避けられたらしい倒れてきた鉄の板の先、枠によって伸された頭目に合掌して喚く子供を、伊達 政宗が呼んで振り向かせたところからは、その子供も知る流れである――
「……奇怪な」
更にその先の――皆と合流するまでを聞き終えた、頬に傷のある男・片倉 小十郎さんの感想が、それだった。
いや、それはその当事者である子供こと私、 からも言えることであった。だから口を手で塞いだまま、その言葉に何度も頷いてしまっていた。
因みにこの手は、伊達 政宗こと眼帯の語りに『え!?』だの『マジで?』と合いの手を入れ続けた結果、『Be quiet!』と頭を叩かれて、口を塞いでいるよう命令されてしまったからだ。閑話休題。
私の頭を叩く過程で移動してしまった眼帯は、現在私の隣で再び取り出した“戦国BASARA”のパッケージの裏面を見ている。
小十郎さんはもう一度傍らに置いていた私の“国語辞典”を手に取り、開いて数ページ読んだところでパタリと閉じた。
その二つは、小十郎さんに私が“全く別の日本から来た”ことの物的証拠として、改めて取り出されたものだった。
「事の次第は、承知致しました」
その言葉を待っていたらしく、眼帯が私にゲームを渡してきた。
片手で受け取り、適当に鞄へと押し込んでおく。
「Okey. それでいい。んで? 何か策はあるんだろ?」
話せ。と命令口調の眼帯に小十郎さんは固く頷いた。
「はっ。最終的に必要なのは時間となりますが、
その前にいくつか整えておくことがございます。
まずは、この者――を“男”として城に置きましょう」
「「……は?」」
思わず手の力が抜けて、そんな間の抜けた相槌を打ってしまったとしても、それは不可抗力だったと言いたい。
そして出来ることなら、隣の眼帯と
「これは私見ではありますが……
今現在、が“女”であると気づいているのは、我らだけかと」
「そうなんですか!?」
小十郎さんの言葉に驚いた私に対し、眼帯は「Ah」と何か思い当たる節があるのか納得していた。
「だからアレが置かれてたんだろ」
「アレって? …………あ」
眼帯に言われ、思い当たったのは“
そんな気はしていたけれど……やっぱりあれは男性用下着だったようだ。
「アンタの着ていたあの着物……あれも女物には見えねえからな」
「あー……まあ、そう、ですね……」
思い出されるのは、夕暮れの校舎裏、顔を赤らめて勇気を振り絞って思いを告げてくれた――同性の同級生やら先輩たち。
あれも一種の“甘酸っぱい青春”だと言われればそうかもしれないが――ああ、いや、やっぱり深く考えるのはやめよう。色々と苦しくなる。
「そういや、アンタ、その髪は自分で切ったのか?」
「いえ……あの服――着物も、この髪も、その……叔母が……」
自分でも分かるくらいに尻すぼみしていく声。
それに合わせて自然と身体を折っていて……気づけば顔を覆って伏していた。
本当に、娘として可愛がって育ててくれた両親には申し訳なさすぎる……!!
「Ah……なんか、悪かったな」
そんな同情の声が眼帯から聞こえたような気がしたが、精神的にそれに答える余力がなかったのでそのまま無視した。
その間にも小十郎さんが咳払いをして、話を戻したようだった。
「他の者にはが“女”である事を伏せましょう」
「Ah? 別に男だろうが女だろうが、どっちでも良いだろ?」
それはたしかに。
外見はほぼ男だろうけど、だからと言って女である事を隠す必要はないはず。
眼帯と同意見なのは気に食わないけれど、そう思った私も顔を上げた。
私と眼帯の視線の先で、小十郎さんが小さく息を吐いて眼帯を見た。
「政宗様……
あなたが普段から家老たちに何を言われているか、お忘れではありますまい」
「Ah? ……There was such a troublesome thing」
(そんな面倒なこともあったな)
英語で言い換えたようだが、その渋い顔と頷きから小十郎さんの言う“家老たちから言われていること”を思い出したようだ。
家老……きちんとその役職は理解できていないけれど、たぶん響き的に“お爺ちゃん”的な人たちなのだと推測する。そんな人たちから普段言われていること……?
「え……大人しくしろ、とか?」
「No! オレはガキか!」
思わず呟いてしまったそれは、綺麗に眼帯に拾われてしまったようだ。
何か『大人しくしている』みたいな反論をされてしまったが……現在進行形で城にいてないのだから説得力がないと思うのは私だけだろうか。
「じゃあ……
まさかとは思いますけど『嫁貰えー!』とかそんなんですか?」
前に見たバラエティー番組が歴史特集で、たしかそんな事を取り上げていたような気がするのだ。
内容的には『政略結婚だったけど、超熱愛夫婦になりました★』みたいなものだったと思う。叔母がそれ見て『リア充死に腐れ――ってもう死んでるのかあああ!!』って喚いていたし。
内容ももう薄っすらとだが、昔は権力者ほど結婚も
なので、もしかしてこの世界でもそうなのかも。というちょっとした冗談でもあったのだが、それに対し、二人の反応は――
「「……」」
完全な沈黙と、静止だった。
……うん。そうか。それなら――
「はいっ! 私、喜んで男装しますっ!」
そんな関係じゃないって、きちんと徹底周知しないとね!!
ガスッ!!
そう今日一番だろう笑顔で挙手してまでそう宣言しただけだったのだが……
瞬間、眼帯の手刀が私の頭に振り下ろされていた。
「いっっっっだぁあああ!?!?
なん、え、チョップ!? 何で叩くんですかこの短気眼帯!!
そっちだってこんなまな板男女と、ありもしない話を流されたくないでしょうが!!」
「Shut up! それでもアンタに言われると腹立つんだよ!!」
「ぁあ!?
別に私が男装しようと関係ないじゃないですか!
それにそのまま噂されたら、十歳以上の年の差とか――
「オレはまだ十九だ!!」
訂正を入れた眼帯であったが、私の顔を見て何を思ったのか、徐々に顔を青ざめさせた。
それを視界に捉えていたはずなのに、私の頭はそれを認識することなく、その少し前に言われたその“訂正”でいっぱいいっぱいになっていた。
え、その顔で?? その顔でこの眼帯はまだ自分が十代であると……?
「え……老け顔」
ぽつりと小さく零れても、それが近距離であれば届くのは必然であり……
「、テメエっ!!」
青ざめていた顔に青筋を立てた眼帯の大きな右手が、すかさず私の頭を鷲掴んでいた。
気がついたときには頭蓋骨を割る勢いの握力が頭に加えられ、鬼の形相の眼帯が顔面間近に迫っていた。
「いだだだだだだだだだだだだ!?!?
ぎゃああああ!! ご、ごめんなさいごめんなさい!
っていうか近すぎるんですけどぉおおお!?」
私の右手は頭を握りつぶそうとする眼帯の手首を掴み、そして左手で眼帯の顔を押し返えすという物凄い状況になってしまった。
流石の小十郎さんもここまで来てしまえば立ち上がらざるを得ず、「政宗様!」と眼帯を引き剥がすのを手伝ってくれた。
「チイッ!!」
大きく舌打ちして私を解放した眼帯から、小十郎さんもすぐに手を離し、元の位置へ座りなおした。すかさず、その背に逃げ隠れるように私も鞄を抱えて回りこんだ。
「っ……てめっ――」
「さ、さあ! 次の策を聞きましょうか!?」
眼帯の言葉を遮り、小十郎さんに無理やり話を振る。
私を睨みながら口を閉じた眼帯に、小十郎さんは何とも言えない空気を払うように咳払いし、「では」と話を再開した。
「次に、この者の処遇ですが――この小十郎の小姓といたします」
「は?」
「こしょう……?」
眼帯からは単純な疑問符が、私からは単語に対してそれが飛び出した。
「たしかに若いヤツで入れるとすんなら、それが手っ取り早いだろうが……
別にお前の下じゃなくても良いはずだろ?」
「そうは参りません。この者の素性を知り、かつ――」
“こしょう”の意味を知っている体で話が進み始めたため、私は慌てて小十郎さんの傍らに置かれたままの国語辞典を手に取った。
まだ先程の
索引で大まかに絞込み、後は細かくページを捲っていく。
こしょう、こしょう――意味がこの世界の背景的に合うのならば “小姓” か。
意味は色々とあったが、要約すれば
『貴族とか武士とか、偉い人の身の回りの世話をする少年』
ということだろう。
「かと言って他の者では、衆道に走らないとも言い切れますまい」
「んなことあり――得るのか?」
説得はまだ続いていたらしい。
小十郎さんの言葉に、眼帯がものすごく訝しげに私の顔をじろじろと見てきた。
その腹立たしい視線から逃げるように、私は次に疑問に思った言葉を引いた。
しゅどう……しゅうどう、だんしょく、なんしょ――
……意味は、私の知識に当てはめるなら“BL”のことだったらしい。
瞬間、私の顔が辞書を睨みつけたまま引きつった。
「この小十郎にも解らぬのですが……
貧弱で、ある程度整っている顔の者であればそうなることは多いのだと」
貧弱なのは認めよう! 十四だってのに色々と“ない”からね!!
それでも普段動いている分、運動はそこそこできると思っているのだが……まあ、人外がわらわらいる世界なら“弱い”部類で間違いないだろう。
顔も――自分では分からないが、両親が“整っている”と言われているのだし、その娘である私もそうなのだと思う。
「そして政宗様。あなたの “今”を思い出していただきたい。
周囲が特殊な状況下であることは致し方なくとも、身を固めていない中でこの者を傍に置けば、そう捉える者も出てくるやも知れませぬ」
「Ah? それを言うなら、誰だって同じじゃねえのか? 小十郎」
それはたぶん、小十郎さんが私を小姓として置いても、そういう噂が立つのでは? ということなのだろう。
「すべては承知の上です。噂といえどそう長くは続きますまい。
――しかし、あなたとこの小十郎では背負っているものの大きさが違うのです。
無論、捉えられる意味も」
そこを、お忘れなきよう。そう真向から見つめられ、とうとう眼帯は折れたらしい。
「……I see. あとはお前に任せる。小十郎」
そうため息交じりにようやく了承した。
小十郎さんは眼帯がようやく了承したことに短く息を吐くと、「では」と次の話題を口にした。
「これはその話に続くことですが――」
多少不貞腐れた眼帯の視線と、辞書を鞄に戻していた私の視線が小十郎さんに集まる。
「政宗様。今後はこの者をあまり構われますな」
間。
「Whats!?」
「はい!?」
今度は別々の言葉で、同じような声が上がった。
再び
「えちょ、がんた――筆頭のどこが構ってるんですか!?
人を毎回苛立たせて、その上鉄拳降らせてくるとか、絶対に嫌がらせでしょアレ!?」
「No! あれはアンタの自業自得じゃねえか!
散々、人を人外だの鬼畜だの老け顔だの好き放題言いやがって……!
てか今、“眼帯”って言いかけただろ!!」
「言ってませんー! 筆頭って言いましたぁー!」
「コイツ……!」
間に挟まれてしまった小十郎さんと言えば、額に手を当てて重い溜息を吐いていた。そして私の手を優しく外すと、
「……この者が城の者に馴染むまでは、極力接触なされますな」
そう言い直した。
「おい、小十郎!?」
「はい! それはもう絶対に守ります!!」
無理矢理流された眼帯と、敬礼までして快諾した私。
どうやら小十郎さんの策とやらはこの辺りで説明終了であったらしく、丁度時間切れでもあったらしい。
恐る恐る、と言った風で奥さんが夕飯の知らせを持ってきて、その後は眼帯と小さく言い合いを続けながらも美味しいご飯を頂いた。
ご飯も食べ終わる頃には眼帯も頭が冷えたらしく、
「アンタは隣の部屋だ」
と追い払うように手を振って、早々に寝るよう促してきた。
その動作にはイラっときたけれど、ご飯を食べたときから瞼が重くなってきていたのは事実だった。
だから変に反抗する気にもなれず、私は「おやすみなさい」と挨拶だけして、お言葉に甘えて眠らせてもらうことにした。
部屋の中にあった衝立の意味はよく分からないけれど、仕切られた部屋の奥の布団へと潜り込む。
こちらの寝具は面白いことに上布団がなく、代わりに少し厚手の着物を被って寝るらしい。
他の家の香りに包まれながら、私は「あ」と小さく声を漏らした。
そういえば、風呂であれだけ決意しておきながら、きちんと行先を聞いてなかったのだ。
もぞもぞと布団の中から出した手で、障子から差し込む月明かりに照らされた指を折って数える。
とりあえず、私は眼帯とのあらぬ関係を疑われないよう、男装する。
んでもって小十郎さんの “小姓” として過ごすことになる。
そして私の行き先は、やっぱり“城”であるらしい。
最初に拾った責任感……なのかは分からないが、とりあえず眼帯の住む城に私は置かれるようだ。
城に住むとか……普通ならありえないことだ。
それこそ私のいた“日本”の城は軒並み“文化財”指定だし、中には外側しか保ってなくて、内側が展示室みたいな状態のものもある。
それらは全て、人が住むことのできないものであり、そう思うと、やっぱりここは自分の知る“日本”ではないのだと、改めて知らされた気分になった。
「知らないものだらけ……」
これから自分が向かうのは、“知らない場所”で。
そこには、さらにたくさんの“知らない人”がいるのだろう。
それを想像するだけで、ぞわりと背を冷たいものが駆けた。
やっぱり元来の性格は直らないなあ、と嘲笑して、嫌な気配から逃げるように、布団を頭まで被った。
「……お兄ちゃん」
己を奮い立たせるため、私はそう呟き、目を閉じたのだった。