〇陸【 村に泊まろう・上 】
客室らしき居間に案内されるとすぐにお風呂の知らせが届き、私が先に風呂に入ることとなった。お風呂は木の桶を大きくしたかのような作りで、外に面している竈で温めている作りであった。たしか五右衛門風呂――とかいう作りだったっけか。
並々と張られた湯船に浸かれば、ザバーとお湯が流れていく。
「ふぃー……」
そんなに緊張しているつもりはなかったのだが、やはり緊張していたらしい。
湯に浸かった途端、ふにゃりと肩から力が抜けた。
湯船に落ちた水滴の元を辿るように、私は天井を見上げた。
本当に、朝起きてから怒涛であったなーと思い返してしまう。
たしかに最初に出会ったのが彼――伊達 政宗で良かったのだろう。
鬼畜で人外で眼帯であったとしても、外道ではない。
それはあの山賊から助けて(?)くれたことや、怪しさしかない私の話をきちんと聞いてくれたこと、襲ってくる忍から守ってくれたことを見ても明らかだ。
最初に出会ったのが、本当にそれこそあの山賊たちであったのなら、今こうして風呂に入っている自分もいなかっただろうと想像できる。
生きていたとしても……たぶん、ロクな状況ではなかっただろう。
「……にしても」
どこに連れていく気なんですかね。
そう続きは湯船の中に沈めた。
ボコボコと立つ泡を見つめながら考える。
天下統一中――というわけではなさそうなので、たぶん家に帰るのだと思われる。いや、戦国時代の偉いさんだからお城、だろうか?
その時の私は他の人たちにどう説明され、どういう環境で生活することになるのか。
行くぞ、と言われるがままにホイホイついてきてしまったが……そろそろ、その辺りを明確にしておくべきなのだろう。
そうと決まれば!
私は頭の先まで全て湯船に沈めると、五秒程で一気に立ち上がった。
ザバーッと激しくお湯が減っていく。……あとで家の人に謝っておこう。
「うし! お風呂終わり!」
どうやら村長さん家にシャンプーやら石鹸の類はないらしいので、全身の洗浄はこれで終了だ。……決して私が烏の行水派なのではない。
そして服を着ようと隣の脱衣所へと向かった私は、新たな衝撃を知ることになった。
「――この先に、お部屋がございます」
「ありがとうございます。ここまでで大丈夫です」
和服美人なこの家の奥さんに着せてもらい、浴衣のような簡単な着物になった私は、廊下の別れ道で頭を下げた。
既に夕ご飯のものだろう良い香りもしているので、あまり奥さんに迷惑はかけられないと私が案内を途中まででと断ったのだ。
「何かございましたら、お呼びください」
そうにこやかに頭を下げた奥さんが廊下の角に消えていったところで、突然、私の足に何かが当たった。
「おわっ」
叫びはしなかったけれど、驚きはする。
何だ何だ、と足元を見ればそれは幼い男の子だった。
見た目からして、歳は二、三くらいだろうか。
ゆっくりと離れた男の子を見て、そういえばこの家の部屋に通されたときにも、ちらと見えていたことを思い出した。
きっと、村長のお孫さんなのだろう。
「えっと、君は――」
膝を折って目線を合わせ、名前を尋ねようとした私だったが、彼越しの廊下の端に別の視線を感じた。
そちらへ視線を移せば、もう少し歳の高い別の男の子が廊下の角からこちらを見ていた。
もの凄く見えているのだが、きっとあれでも隠れているつもりなのだろう。
「あれは?」
目の前の男の子にもわかるように、隠れている男の子を指さす。
振り返った男の子の横顔が、わかりやすく輝いた。
「あにうえ!」
やっぱりお兄ちゃんだったようだ。
その呼び方に古風さを感じ、思わず笑いかけたがそこは我慢した。
「な、なんで!?」
一方、見つかった兄の方は驚きで固まってしまっていたが、私が手招けば少し警戒した様子で近寄ってきた。
「こんばんわ」
「おまえ、“おさむらい”か!?」
まさかの挨拶
ああ、この感じ懐かしいなあ、と思いながら私は「違いますよ」と否定した。
――元々私もあの叔母の姪らしく、外よりも家派だった。
と言うより、幼い頃は人見知りが激しくて、外に出たい癖に勇気も無くて家に篭りがちだったのだ。
あの頃の自分のことは、もうあまり記憶にはないけれど、受身で流されやすい性格だったように思う。
ある時、そんな自分が心底嫌になって、自分を変えるために外に出るようになった。
そして外で少しずつ友達を増やしていくうちに、家より外で遊ぶ方が好きになり、遊びの幅も鬼ごっこからおままごとまでと種類を選ばない子供になった。
それからは遊ぶときもその時々の気分で、年齢も男女も関係なく、隔てなく遊んでいた。
それを成長しても続けていた私の遊び相手は、いつしか幼稚園児や近所の小学生となっていた。
その年齢ぐらいの子供の方が、私の見た目で偏見しないという理由からだったのだが、いつの間にか、近隣の奥様間で『ちゃんだから大丈夫』という謎の評価をもらう程、信頼されるようになっていた。
新たに引っ越してきたお母さんなどは、私に当初は警戒するのだが、すぐに他の奥様たちから口コミを受けて『うちの子をお願いします』と何故か直接預けに来ることもままあった。
そのことを叔母に聞かせたときは『アンタは無認可の託児所か』と言われたっけか。……私は子供たちと元気よく遊んでるだけなのに。
そんなこんなで、こう言った子供の突拍子の無い言動にはある程度慣れている。あまりにも内容が飛躍しすぎて困ることも多いが。
「でも、“おさむらい”と一緒だっただろ!」
懐かしいなあと感慨に耽っていれば、そんな声が私を引き戻した。
彼が言うそれはたぶん、あの眼帯や頬傷のある人――小十郎さんのことだろう。
「おさむらい!」
ごっこ遊びなのだろう、弟は拳を二つくっつけて、刀を振るうように振り回している。
若干肩に当たって痛かったので、弟はとっ捕まえて“くすぐりの刑”を執行した。
ケタケタと幼児特有の笑い声をあげる弟を他所に、私は兄の返答に「うーん」と悩んだ。
私自身は彼の言う“侍”ではない。
でなければ何だ、と聞かれれば“平民”としか言えないのだが、この世界にはたぶん、その職業というか階級みたいなのは存在しないだろう。
「一緒でしたけど……まあ、とりあえず私の事はで」
私の魔の手を逃れた弟が背によじ登り始めたのを感じながら、とりあえず名前を教えておくことにした。
「?」
「はい。私の名前です」
「ー!」
弟はすでに覚えたらしく、よじ登った先の――我が耳元で叫ばれてしまった。
その声量に顔を顰めていた私だが、更によじ登って肩から落ちかけた弟をきちんと受け止め、一回転させながら廊下に優しく転がした。
その様子を呆気にとられたように見ていた兄に気付き、「やります?」と手を差し出した。
「お、おれはいい!」
「そうですか?」
「っは、“かわず”知ってるか!?」
「かわず?? いえ、知らないですけど……」
「じゃ、じゃあ明日! 明日捕まえてくるからな!」
どうやら捕まえた“かわず”を見せてくれるらしい。
とりあえず「はあ」と頷けば、兄が「明日!」と念を押して駆け出して行ってしまった。
未だ廊下に転がっていた弟も慌てて起き上がり、「あにうえ!」とその後を追って駆けていった。
嵐のような子供たちを見送り、立ち上がったとき「お侍様!」と呼び止める声があった。
振り返れば奥さんであり、その腕には私の服があった。
「あ、忘れてました!」
手を打った私はすぐに奥さんから服をもらい、教えてもらった客間へと向かったのであった。
「――えらく早いな」
部屋に入った私にそう声をかけてきたのは眼帯であり、部屋に小十郎さんの姿はなかった。
「あれ? 片倉様は?」
首を傾げていれば眼帯が立ち上がりながら「ああ」と口を開いた。
「小十郎なら、用があってアンタが風呂に行ってすぐに出たぜ」
ふうん、と眼帯の言葉に相槌を打っていた私は、横を通り過ぎて部屋を出ようとしていた眼帯の腕を慌てて掴んだ。
「あ! 聞いてくださいよ!」
「Ah?」
「私……今日初めて
いつ、とは言わずもがな。今である。
湯から上がって見れば、脱衣所で今着ている和服の隣にそっと添えられていたのだ。
一応こんな感じか? と自分で付けてみたらあっさりできたので、上は使いまわしだが着ていたスポーツブラを再度着け、後は申し訳なかったが奥さんに手伝ってもらって着て、今に至る。
言い切った瞬間、眼帯の顔が物凄く呆れたものに変わった。
「……もしかしなくとも、それだけか?」
「はい! それだけです!」
ただこの興奮を伝えたかっただけだ。
さらに詳細の感想を言ってもいいが……眼帯の方が愛用歴長いだろうし、私よりも着け心地やらいろいろと知っているだろう。
「あ。お風呂どうぞ。いってらっしゃい」
掴んだままの腕も解放してやる。
そして私自身は抱えたままの制服と
「……他のヤツには言うなよ?」
「いや、言いませんて」
私の事を女として見ていないだろう眼帯だからこそ言ったのだ。
他に伝えれば――それこそ小十郎さんなどに聞かれれば、またあの鋭い眼光を向けられるかもしれないのだ。言うわけがない。
視線を感じて振り返れば、まだ眼帯がいた。
しかも物凄く悲しいものを見る目で。
「……大人しくしてろよ」
そう力なく言い残し、眼帯は部屋を出ていった。
私が鞄に服を詰め終わって少しして、戸が開かれたと思えば現れたのは小十郎さんであった。
「あ。お帰りなさい」
「ああ。上がってたのか――って!」
私を見た小十郎さんが何かに驚き、そして難しい顔になった後、ため息交じりに「」と呼んできた。
「それは誰かに着せてもらったのか?」
「え、あ、はい。この家の奥さんに着せてもらいました」
「その時……何か言われなかったか?」
「え?」
思い返してみるが、奥さんは何も言っていなかったと思う。
確かに会話は交わしたけれど、それだって――
「うーん、『綺麗な髪色ですね』としか……?」
珍しそうにそう言われたぐらいであった。
私の返答に小十郎さんは「そうか」と再び難しい顔になってしまった。
「……あんた、胸はどうやって隠した?」
難しそうな顔で悩み続けていた小十郎さんからそう訊かれ、私は自然と自分の平らな胸を見ていた。
どう隠したって……ああ、もしかして下着の事だろうか。
「それならスポーツブ――ええと、布の胸当てみたいなので」
それがここで正当な変換になるかはわからないが、とりあえずそう説明した。
この回答が正解だったのかはわからないが、小十郎さんは少しの間私をじーっと見て、「少し出る」と再び退出してしまった。
ぼーっと見送ってしまっった私は少しして、結局あれで正解だったのか分からず終いであった事を思い出した。
けれど既に小十郎さんは部屋にいないので、聞くに聞けない。……いても緊張から聞けないような気もするが。
仕方なく、肩にかけていた手ぬぐいを使って髪をタオルドライする。
何となく乾いたかな? とと頭を触りながら確かめていれば再び戸が開き――いたのは眼帯だった。
しかも、風呂に行く前と同じ服で。
一応手ぬぐいは首にかけているが、それだけだ。
「は……え? 本当にお風呂入りました??」
「入った。別にここが用意した服を着る必要性はねえだろ」
え、そうだったの!?
衝撃的な事実に思わず背後の鞄を見るが――先に察したらしい眼帯が「アンタはそれでいい」と止めてきた。
そのまま部屋の中に入った眼帯が先程と同じところへ座ったとき、再び戸が開き、小十郎さんも戻ってきた。
きびきびとした動きで頭を下げ、この時代――なのかは分からないけれど――礼を取った小十郎さんは「失礼いたします」と断りをいれて入ってきた。
戸を閉めるところまでその鮮麗された動きに見入っていれば、眼帯が「Oh」と頷いたようだった。
「戻ったか。なら、先に話し合いを終わらせるぞ」
「はっ」
短く頷いた小十郎さんが、丁度私と眼帯が同じ距離になる位置に座った。
きっと今の私たちを真上から見れば、正三角形のような位置取りをしていることだろう。
眼帯は変わらず胡坐を掻いていたが、小十郎さんが正座で座ったため、私もそれに習って正座になった。
少し間を置いて、眼帯が小十郎さんを見た。
「オレの考えは変わらねえ。こいつは“城”に置く」
そう、眼帯の隻眼がちらと私を見た。
「理由は――もう分かっただろ? 小十郎」
「……」
眼帯の言葉に小十郎さんが難しそうな顔で私を見た。
真正面から鋭い眼光を向けられ、私は先程の眼帯が言っていた『城に置く』という事の詳細を聞こうにも、口を開けなくなってしまった。
ただ口を一文字に引き縛って耐えていれば、不意に「」と眼帯に呼ばれた。
小十郎さんの視線が気になって仕方が無かったが、答えないわけにもいかず「は、はい」と上ずりかけながら返事をした。
「アンタ、嘘がド下手くそだよな」
間。
「は――はああああああッ!?!?」
いきなりのDisに、思わず素っ頓狂な声を出しながら眼帯を睨んでしまう。
なにコイツ。私の
もう先程の緊張感など無かったかのように、私は膝立ちしてまで眼帯に抗議していた。
「いやたしかに友達から『ってわかりやすいよねー』とか、
『絶対サプライズできないよねー』とか、
『勝ちたいときはと勝負する』とか散々言われ続けてきましたけど!?
なんだったら本当にババ抜きとかでも負け続けですけどぉおおお!?
私だって頑張ればウソのウの字ぐらい吐けますよ! たぶん!!」
「Okey. 馬に乗ってたとき見たのは、どんなヤツだ?」
「あの時いた、ちょっと派手そうな緑の人でしたけど何か!?」
そう。あの時見かけたのは、眼帯との打ち合わせのときにも見た、あの人だった。
何か
「そいつ以外にも、忍がいただろ?」
「いましたよ! 二人ほど! 黒いヤツ!」
指を二本立てて、眼帯に突き付けた。
それを見たのは、小十郎さんとぎこちない会話をしている間だった。
ふと逸らした視線の先とかに何故かいて、けれどそれに気を取られる前に小十郎さんが話しかけてきたので、こちらも目が合ったりとかはしていなかった。
「――って、アレ? 何で忍の話に??」
さっきまで私の“嘘ド下手くそ”談議だったはず。
なのにいつの間にか“乗馬中に見かけた忍の話”になっていることに我に返れば、眼帯から「気にすんな」と思考を遮られてしまった。
更に心底呆れたような溜息まで吐かれ、再びイラっときた私であったが、それよりも視界の端に映った小十郎さんの様子に目が移ってしまった。
……物凄く辛そうな雰囲気で、額に手を当てている。
「そう言うことだ。
あいつらの目的はオレだったんだろうが……“猿”がいたって事は、次からどうなるかわからねえ」
眼帯の言葉に、大きく息を吸った小十郎さんが顔を上げた。
「……あなたのおっしゃりたいことはわかりました。
この者はとても稀有な体質であることは、この小十郎も見ておりました故」
「け、けう??」
難しい言葉に言い換えられたようだが、何となく良い感じはしない。
まさか小十郎さんまで私をDisっているのか!? と身構えていれば、目が合った小十郎さんが「後で説明する」と小声で伝えてきた。
よくは分からないけれど、一旦この話題は終了、ということなのだろう。
腑には落ちていないが、そう言われてしまえば私に言及する勇気はなく、渋々頷いた。
私が頷いたのを見た小十郎さんが、眼帯に向き直った。
「しかし、それだけの理由では、“城”に置くことは難しいかと。
下の者は従うでしょうが、家老たちが納得するとは思えませぬ」
「Ah……まあ、だろうな」
「政宗様。
どうかこの小十郎にも――この者を拾った経緯、お聞かせ願いたい」
それは私――“ を拾った経緯”の全てと言うことなのだろう。
「I see.
「な、何ですか!?」
今度は何のDisだ!? と身構えていれば、眼帯が呆れた顔で「そうじゃねえ」と首を振り、私の鞄を見た。
「手元に持っとけ。
必要なときにあの――“Game”を出してもらいてえからな」
「は、はあ」
どうやら説明に使用するようだ。
私は眼帯に言われたとおり、立ち上がると鞄を取り、元の位置に座りなおした。
それを見届けた眼帯は静かに「あれは――」と、私と出遭った経緯(眼帯Ver.)を語り出したのだった。