〇参【 出遭いは突然に 】
謎の『ドアを開けたらそこは見知らぬ山中でした★』現象から色々とあり、第一人外である鬼畜眼帯こと伊達 政宗と共に山下りを始め、早一時間程が過ぎた……と思う。あくまで私―― の曖昧な体内時計で感じたものなので、もの凄くテキトーではあるが、たぶんそのぐらいだろう。
まるで赤子のように鞄を抱きかかえる私の斜め前方には、国語辞典を片っ端から読みつつ歩き続ける眼帯の蒼い背中。
その腰に下げられている刀を見る度に、ここが私の知る“日本”でないのだと実感させられて溜息が出た。
そしてその度に、逝かれたファスナーの鞄を見つめることとなり、余計に気が落ち込んだ。
今日は本当に私の周りのモノがよく壊れる日である。
――事は数十分前に遡る。
眼帯の先導に従い、私たちは黙々と川沿いに歩き続けていた。
私の出現位置からどれほど下ったのかは分からないが、延々と歩き続けていたのでかなりの距離は稼いだはずだ。
その間、私は改めて自分の状況を整理していた。
伊達 政宗の言葉が全て真実だというのなら、私はやはり家からとんでもないところに来てしまったことになる。
“刀を持ってても捕まらず、放電できるような人たちが闊歩する日本っぽい場所”
――とりあえず要約するならこんなところだろう。
平穏な日本から、とんでもない日本へと飛んできてしまったようだ。
飛んできた理由や原因は今もよく分からないが、状況が把握できただけでも進展はあったと考えるべきなのだろう。
そしてその情報をくれた鬼畜人外眼帯は私を逃がしはしないものの、危害を加えるつもりも無い……らしい。
既に鞄という
どこに連れて行かれるのか、という不安はあるが、一応山賊であったオッサンたちに絡まれかけていた(?)のも助けて(?)くれたので悪人ではない……はず。
それに“伊達 政宗”と言えば――
「あ。そっかそうだ」
「Ah?」
ぽん、と手を打った私に眼帯が警戒の眼差しで振り返った。
自然と止まった眼帯に私は近づき、手を差し出した。
「ちょっとカバンを。取り出したいものがあるんです」
疑いの眼差しではあったが、眼帯は私が開けられる位置まで下げてくれた。
持ち手の部分は手放してはくれなかったが、それでも私は宙づり状態でファスナーを開け、中からゲームを取り出した。
蒼と紅の二人の武将が描かれた――ゲーム『戦国BASARA』。
「もしかして、この人知ってたりします?」
私が指したのは、そのうちの紅い服の男だ。
3Dグラフィックで描かれた彼らはこのゲームの代表的キャラクターであった。
指されたものを見て、“伊達 政宗”は隻眼を強張らせた。
「真田幸村? いや、なんでオレまで描かれてんだ……?」
前半は驚きの声を、後半は私に対する脅しを含んで。
じろり、と睨まれたことに怯みかけた私であったが「えっとですね」と眼帯にゲームを手渡しながら簡単な説明を試みた。
しどろもどろであったし、内容も順序よく説明できたとは思えない。
それでも要約して『動く絵の登場人物たちを、外部から機器を用いて操作して戦わせる遊戯』と伝えた。
パッケージの両面を見ながら説明を聞いていた眼帯であったが、「くだらねえ」と一蹴してゲームを私に突き返してきた。
「他人の良いように操られるとか、気味が悪ぃな」
そう吐き捨てるように言い切った眼帯。
意外とあっさりとした反応に、私は受け取りながら感心していた。
ちょっと騒がれるかも、と身構えていただけにそんな大人な反応が返ってくるとは思っていなかったのだ。
かといって、いきなりこの場で『肖像権の侵害だ!』とかなんとか騒がれても、私にはどうしようもなかったのだが。
そして同時にその現実的な反応に、私の中でも色々と腑に落ちたものがあった。
改めて見比べてみれば、目の前の眼帯はゲームパッケージに描かれている3Dの“伊達政宗”そのものといえるほど似ていた。
――いや、実際私の中での結論はこうだ。
ここはゲーム『戦国BASARA』の登場人物たちが普通に生きてる世界。
薄っぺらいCDディスクの中に放り込まれたとは思っていないが、そういう“異世界”に私は来てしまったということだ。
この目で眼帯が放電していたのは既に見ているし、眼帯も『自分と同類のがわんさかいる』みたいなこと言っていたし、そして何よりパッケージの紅い男が“真田幸村”であると言い当てていたのが、そう結論付けた理由だ。
どこをどうしてそんな場所にドアとドア枠引き連れてやって来れたのか。
――なんてゲームのゲの字も説明できていない私に説明も理解もできる訳がない。
この摩訶不思議すぎるの原因追究や、家に帰ることに関しては保留にするしかないだろう。
となれば当面、私が心配すべきは自分の衣食住だ!
「おい。今これをどうやって開けた?」
我が思考を遮ったのは、好奇心に疼く眼帯の声と突き付けられた鞄であった。
「へ? あ、ああ……それは、こう横にスライドさせて」
ファスナーの持ち手を摘まみ、目の前で実演してやる。
すると隻眼を輝かせた眼帯は鞄を突然地面に置き、しゃがんでファスナーを同じように弄り始めた。
「It's great!」
ジージーと子供のようにファスナーで遊ぶ様は、どうみても先ほど山賊たちを無慈悲に川へ落としていた鬼畜とは思えない。
本当に、どこをどうやったら大の大人を川に投げ入れられるのか。
この眼帯もそうであったが、たしかあのオッサンたちも刀を持っていたはず。
痩せて少し軽そうな相手だったとしても、鉄の塊である刀ごと川に吹き飛ばすとか、まず腕力が人外――
バキィッ!!!
「あ」
「あ……ああああああああ!?!?!?!?」
そんな人外腕力に、学生向けの安いファスナーが耐えられるはずもなく。
っていうかこの世に人外が触って壊れないファスナーなんてあるのだろうか?
見事に引っこ抜いた眼帯は摘まみをくるくると弄びながら「Hum」と頷いた。
「It's brittle」
(脆いな)
「なっ……脆くない! 弱くない!
普通の人だったら普通に中学三年間はそれで持ちましたからね!?
あなたの腕力が規格外なんですよこの人外クラッシャーめがッッ!!」
眼帯の英語を雰囲気で察した私は全力で抗議しつつ、素早くこれ以上の暴挙を受けまいと鞄をひったくる。
すると眼帯はあっさりと鞄を解放した。
あれ、意外に呆気ない。
と思っていれば、摘まみを懐に入れた眼帯は国語辞典を箱から取り出した。
そして真剣な表情で国語辞典を読み始める眼帯。
その様子をぼーっと見ていた私ははっと我に返った。
「って国語辞典んんんっ!?!?」
コイツかなり手癖悪くないか!? なんて早業なんだ……!!
慌ててそれも奪い返そうとしたが、囮のように投げられた国語辞典の箱に私は舌打ちをして拾いに行った。
そして拾っている間にも鬼畜眼帯は再び歩き始め――今に至るのだ。
思い返して更に気分を下げてしまった私は、再び溜息をついてしまう。
ああ、落ち込むとわかっているのにどうして回想してしまったのか。
「そういや、アンタもあの“Game”とかで遊んだんだよな?」
唐突にそんな質問が飛んできた。
「え? はあ、まあ少し」
「アンタは誰が良かったんだ?」
それは“どのキャラが使いやすかったか”なのだろうか。
それとも“誰がお気に入りのキャラだったのか”だろうか?
とりあえず勝手に前者であると仮定して考える。
「そうですね……あ、あの銃使う綺麗な女の人!
名前が……なんとか姫、でしたっけ?」
「……趣味悪ぃな」
コイツ……! お前にあのゲームの何がわかるんだ。
ちらと少しだけ振り向いた眼帯の呆れた視線を真向から睨み返しておく。
銃使い良いじゃないか。遠距離で攻撃範囲も広いし、美女だったし。
それに有名な
本物の中二より厨二病をこじらせている大人ほど痛いものはない。更にそれが身内だったときの辛さと言ったら……! ――と、話を戻して。
そんなこんなで私がその中で操作したキャラは、その銃使いの女の人を含めて二人だけだったのだ。
けれどそんな事情をこの眼帯に話す気もなく、私はただ睨むだけしかできなかった。
「親は?」
「は? いや、遊んでたのは叔母さんがほとんどで……」
「そうじゃねえ。親はいるんだろ?」
「はあ。まあ」
眼帯が何を訊きたいのか、イマイチわからない。
両親はもちろんいる。海外で暮らしているため家にはいないが、普通に健在だ。
あ。もしかして――親御さん、心配してるんじゃない? 的なやつか?
「あー……まあ、心配してるとは思いますけど、でも近くないし……
たぶん叔母さんが両親とか周りに連絡してるんじゃないですかね」
叔母はあの時私が怪奇現象に巻き込まれる寸前までいたのだ。
きっとありのままを伝えてくれているので大丈夫――って、そっちの方が大丈夫じゃない気がする。普通に考えて捜索願案件じゃね? え、ヤバくないこれ??
「近くない?」
冷や汗が出てきた私の思考を引き戻したのは、眼帯の怪訝そうな声であった。
「あ、え、ええっと。
私の両親、海外――外国で貿易の仕事してるんです」
そうだ。二人は物理的に近くないのだ。
だから叔母が両親に伝えたとしても、両親はすぐに帰ってこれないだろう。
ここは叔母がなんとか誤魔化して(?)くれている事を祈っておくだけにしよう。余計なことを考えそうになった私は、慌ててその件をそう片付けた。
「……Was that so too?」
(アイツもそうだった、か?)
「え?」
眼帯が何かを呟いたのは聞こえていた。
ただその意味がわからず私は聞き返したのだが、眼帯は「いや」とだけ答え、再び視線を前方に移し――立ち止まった。
何か障害物でもあったのだろうか。
私も同じく眼帯から前方に視線を移し――目を見開いた。
木々が生い茂る中とはいえ、晴天の真下に出るには目立ちすぎる黒装束。
臨戦態勢で構えられている、ひし形の投擲武器と合わせて観光地に行けば、
『Oh! ニンジャ! Japanese NINJA!!』
と、外国人観光客の目を惹くことができただろう。
しかしここは生憎そういう観光名所ではなく、観客は私と眼帯の二人だけだ。
さらに眼帯の言葉を借りるならば、ここは『常識の通じない場所』だ。
あれは役者でも観光PRのアルバイトでもなく――たぶん、本物なのだろう。
「ったく、まだ懲りないヤツがいるもんだぜ」
そう呆れたように言いつつ、眼帯は辞書を閉じると私に差し出した。
「え、ええと……やっぱり本物、で……?」
「HA! その通りだ」
出来れば“完璧主義のコスプレイヤー”であって欲しかった……
そんな虚しい我が願いを消し去りながら、辞書を受け取った私はいそいそと鞄の中に入れた。
こういう時、鞄のファスナーが存命していればなあ……惜しいヤツを失くしたものだ。
その間にも抜刀したらしい眼帯の刀身が、金属特有の摩れた音を響かせた。
鈍色のそれが木漏れ日を反射させる中、眼帯がゆっくりと前方の忍者に対して構えた。
上段、というのだろうか。
間近で見るとゲームで見たときよりも、鮮麗された見事な構えなのがわかる。
しんと静まり返った中、緊張感が場を支配していく。
自然と鞄を抱き込んでいた私は、ふと視界の端に映った川が“気になった”。
眼帯から川へと目を逸らした私。
そして――水中に潜む“それ”と目が合った。
「あ」
と私が声を漏らすのと、
「!!」
眼帯が私の名を呼ぶのと、その剣先が水面を切ったのは、ほぼ同時であったのだろう。
――そしてまた、あの時と同じように時間が遅くなった。
美しい水しぶきがゆっくりと舞う中、私に迫っていた何か黒いものが眼帯の刀によって阻まれ、軌道を変えたのが見えた気がした。
そして遅れて聞こえてきたバシャ、という水音とキン、という金属音。
その音たちの正体を確かめる間もなく、刃は私の頭上を掠め通り、左側で何かを切り裂くような音がした。
「えっ……」
はっと我に返ったときには、すでに時間の流れも通常になっていた。
急に変わった感覚に少し眩暈を覚えながら左を向けば、そこには大きく斜めに切られた丸太が落下し始めていた。
「な、なななに――ぐえぇっ!?」
それが川原に着地する前に、突然右腕を勢いよく引っ張られた。
そして腹に加わる重圧に顔をしかめた私が自分の状況を悟った時には、綺麗に眼帯の小脇に抱えられていた。慌てて鞄とその中身を落とさないよう、抱えなおしておく。
「ここは退くぞ!」
「っ……!」
そう言い、足場の悪さをモノともせず、私を小脇に抱えた眼帯は走り始める。
腹筋のふの字もない私は小脇に抱えられている時点でかなり辛いのに、更に走ることで上下の振動まで加わってしまった。
しかも尻が前で顔が後ろという配置なのでかなり不格好だろう。
そして私が先ほどまでいたのだろう場所には、川から
物を確認したわけではないが、きっと先ほどの眼帯が弾いたあれは投擲武器の――苦無or手裏剣、だったのだろう。
「ったく、“そこ”も同じとはな!」
「は……はああ!?!?」
振動に耐えていればそんな謂れのないことを楽し気に言われ、思わず抗議の視線をその蒼い背中に向けていた。
そこってなんだ“そこ”って!!
何と比較されたのかも分からないまま、勝手に鼻で笑われた私は更に怒りを強めた。
けれどふと見えた光景にその怒りは一瞬にして霧散した。
「って増えてるぅう!? ――ぐえっ」
「チッ!」
後ろから前へと流れていく景色の中、後ろの忍者は当初の三倍近くの人数となり、前方にもわんさかいるのだろう。
それは舌打ちをした眼帯の態度からも分かること。
多方からの攻撃を避けるために、蛇行やら回転という行動を眼帯が取るのは分かる。
その度にすれすれで苦無やら刃が私を掠め通り、時には空を切っているのも見えているのだから。
けれど上下左右から容赦なくかかる圧力に、私が耐え切れるはずもなく。
最初は苦無やら刀に対する恐怖の方が勝っていた私も、次第にその圧力に対する気持ち悪さ――というか吐き気が増していき、終いには“死”という概念すら塗りつぶしていた。
「うえっぷ……も、もう無理……吐きそ……っ」
「Shit! 流石に数が多いな」
互いに別々の感想を述べた時だった。
「――政宗様!!」
固く緊張を含んだ声が、場を支配する。
一瞬怯んだ忍者たちの中、眼帯も足を止めたようだった。
「HA! 遅かったじゃねえか!」
どうやら眼帯はその声と親しいらしい。
足音が駆け寄ってくる中、私と言えば――限界ギリギリに近い吐き気と闘っていた。
「頼んだぜ。小十郎」
「はっ! お任せあれ!」
短く言葉を交わし、誰かが眼帯の傍を通ったようだ。
しかし私にそれを気にする余裕などなく、未だ安定しない姿勢の中、必死に口を引き縛り、素数を数えて反射による逆流を抑え留めておくことしかできなかった。
視界に入ってきた頬に傷がある男の人と、一瞬だが目が合った。
「……っ!?」
きっと今の私は顔色も含め、かなり悲愴な顔をしているのだろう。
一瞬だけだったけれど、その人が私を見てとても驚き、可哀想なものを見る目になったことだけは分かった。
……それよりも、マジでそろそろ限界、が……
徐々に意識自体が朦朧とし始めていた私の耳に、遠くで「筆頭~~~!」と誰かの呼び声が聞こえたような気がした。