「…………また来たか」
ここは
仙界大戦で
封神台の中は当初、牢獄みたいなものだと思っていたのだが、意外にも自由が利いていた。
封神された者同士会う事も可能であったし、自分の『想い』の強さに合わせて、色々な物を作り出せる事も出来た。
先に封神されていた
斯く言う私も、
この異空間が人の手によって創られた宝貝だと言うのだから、元始天尊の底知れぬ力に恐れ入る。力押しでは確かに私の方が優位だったが、この他の細部にわたる面においては自分に敵う相手ではなかった様だ……。
この事に思いを馳せる度、私は苦笑したのだった。
闘いの末に破れ、封神された者。理不尽に殺され封神された者。
それぞれが、それぞれの想いを胸に、この封神台に留まっていた。
その中には当然のごとく封神された事に納得がいかない者もいる。
好戦的な
さぞや、賑やかな空間になっている事だろうと思っていたのだが、私の予測に反して彼等は意外にも大人しくしていた。
「ああ。そいつぁきっと、あの姫さんのせいだと思うぜ?」
「姫……?」
ここへ来た当初、私が疑問に思っていた事に、出迎えた
何の事か最初は分からなかったが、程なく飛虎の言う『姫』が何なのか知る事となった。
軽やかなチャイムが鳴り響くと同時に、どこからともなく人々が集まり出した。
各自のプラットホームに佇み、皆それぞれ一方向に注目しているのが分かる。
そこにはスポットライトに照らされた、浮遊した舞台が浮かび上がっていた。
「……何だ? 何かあるのか?」
「ハハ!そうか、初めてだもんな。
「??」
何が始まるのかと舞台の方を見ていると、程なく封神台の中を行き来出来る封神魔列車が到着して、その中から一人の人物が軽やかに降り立った。
髪の長さからして、女だと分かる。
「むっ!? あれは……!」
私は女の容姿を見て驚いた。
それは私の見知っている者に、余りにも酷似していたからだ。
「た……太公望……?」
私のステーションが舞台から近かったせいか、女の容姿がハッキリ見て取れる。
その容姿といい、背格好から髪の色まで驚く程そっくりなのだ。
只、髪の長さだけが違うのだが……。
「……あれは、太公望なのか? なぜあんな格好をしているのだ」
「ハハハ! やっぱ、お前もそう思っただろ?オレだってそうさ!
あれだけ似てりゃ勘違いもするよな。聞く所によると何でも異国の仙女なんだとよ」
「異国の……仙女?」
「ああ。封神台の歌姫、だ。オレが言うのも何だが、彼女の歌は最高だぜ♪」
「歌姫…………」
どうやらその歌姫は、この封神台に集められた魂を鎮める役割なのだそうだ。
所謂あの案内係・
女は軽やかに舞台の中央に歩み寄り、くるりと一回りすると満面の笑みで深い礼をとった。
そして一言二言、挨拶をすると、周囲の者達からの歓声が湧き上がった。
マイクから発せられる声は太公望のそれとは違い、やはり女のものであった。
たかが歌如きで、なぜここまで皆が感心を寄せているのか不思議だ。
あの無骨者の飛虎でさえ、これ程絶賛しているのだから……。
もしや、あの
そんな疑念を抱きつつ、始まるまでの間静かに待った。
女が歌い始めた瞬間、私の疑念は見事に砕かれた。
透き通る声が辺りに響き渡る。
まるで温かい水が全身に流れ込む様に、それは緩やかに耳を通り抜け直接胸を揺さぶった。
天上界に住むと言われている鳥、
――― それが女の歌声であった。
「鎮魂……歌…………」
ポツリと呟いた自分の言葉にハッとして、私は我に返った。
どれだけ聞いていたのだろう?
今まで時間の経つのも忘れて、聞き入ってしまっていた様だ。
ふと周りを見れば目を閉じて真摯に聞き入っている者、目を見張ったまま大粒の涙を流している者等、皆様々であった。
あの魔家四将でさえ目を閉じ、感慨深く聞き入っているのである。
隣にいる飛虎などは、どこか遠くを見詰めるその目に薄っすら涙を浮かべていた。
ポタリ……
「……!?」
手の甲に何かが落ちた。
何が落ちたのかと下を向いて見れば、その拍子に視界の端から何かが零れ落ちた。
「水……?」
その雫が自分の涙だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
頬を伝う涙に触れるとそれはまだ温かく、後から後から溢れ出ている。
――― なぜ私が泣いているのだ?
掌に落ちる雫を見ながら、呆然と考える。
次第に高ぶる心と共に溢れる涙。私は今、嗚咽を堪えるのに必死であった。
なぜこんなにも悲しく、切ないのだろうか?
そして、ふと一つの事に思い当たった。
女の歌には『許し』という愛があるという事に ――――
私は殷の為に全てをかけて戦ってきた。
あの時、彼女とのたった一つの約束を守る為だけに……。
自分のした事に悔いはなかった。
だが、その思いを貫いた事で二つの仙人界は破壊され、数多くの血が流されたのも事実である。
彼等の恨みを受けるは当然の事。
そして、それは未来永劫 決して許される事はないと知っている。
咎人となる覚悟は出来ていた。だが……
『だとしたら、この涙は何なのだ?』
あの女の歌を聞いて、私は気付いてしまった。
心の奥底ではこれ程までに『許し』を望んでいたのだと……。
自分の心の弱さに情け無さと嫌悪を感じ、思わず嘲笑する。
『……何を考えているのだ私は!? 許されるなどと、私にはそんな資格はないのに……』
自分の甘さを振り払うかの様に、私は頭を何度も振った。
―― 私ハ ココニイル資格ナドナイ。
私ハ咎人ナノダカラ ――
これ以上ここにいては、許しを求める己の弱さを押さえる事が出来ない……。
そう思った私は、人知れずその場から離れた。
それ以降 女の歌を聞く事はなく、極力人に会う事も避け、自らの想いで創り出した深い森の中で独り静かに過ごしていた。
だが ――――
「聞仲~っ! どこにおるのじゃ聞仲~っ!! ぶ・ん・ちゅ~~~ッ★!!!」
「………うるさい」
思わず呟いた言葉にハッと口を押さえる。
だが時既に遅く、それに敏感に反応したのは例の女だった。
「おお!何じゃ、ここにおったのか聞仲♪ 随分と探したぞ?」
木の枝を掻き分け顔を出したのは、例の女……歌姫・であった。
せっかく今まで上手く隠れていたのに、あの呟き一つで見つかってしまった。
女は意外と地獄耳だった様だ、あなどれん……。
「何をしに来た女。帰れ」
「何度言えば分かるのだ聞仲?
わしの名は『女』ではなく、だと言っとろうが。
それに帰れとはつれないのぉ、お主とわしの仲なのに……」
「どんな仲だッ!?」
「ふぉっふぉっふぉっ。照れんでも良い♪
……しっかし、そんなお主もカワイイのぉ♪」
「!!!!!」
――― あれからしばらくして、なぜかは私に纏わり付いて来た。
歌を披露する時や寝食する時以外、ほぼここに居付いていると言っても過言ではない程だ。
魂魄体の存在なだけに、時間の感覚は薄れていたが、が来る事によって生前と変わらぬ月日の流れを感じる事が出来た。
は来る度、他愛のない世間話や自分の生い立ちの話をした。
こちらが聞いていようがいまいが関係なくしゃべり続ける。
朝歌いる時もそうだったが、女というものは本当にしゃべるのが好きな生き物らしい。
その煩わしさに堪り兼ね、思わず何度か怒鳴りつけたりもしたが、その度あの太公望の様な飄々とした口調でかわされていた。
この女、本当は女装した太公望ではないのか……?
ある時、その事を問うてみるとは憤慨した様に答えた。
「失礼な! ワシはあやつより年上じゃ!
よって、あやつの方がワシのマネをしとるんじゃ!皆勘違いをしとるよ、全く!!」
どうやら会う度、人に言われているらしく、本人も辟易としているのだそうだ。
崑崙山の総統である元始天尊でさえ、例外ではなかったらしい。
まだ一度も会った事がない様で、今度太公望に出会ったら著作権侵害だと訴える構えを見せている。
はて? そんな権利など、この仙人界にあっただろうか……??
―― 太公望 VS ――
同じ容姿に同じ口調。
そんな二人が出会った時、果たしてどんなバトルが繰り広げられるのか?
口が達者な二人ならば、さぞや壮絶な口論になるだろう……。
その有様が容易に想像でき、私は思わず吹き出してしまった。
「プッ! くくっ……」
「!?」
声を立てて笑う事はなかったが、口を押さえ肩を揺らしている私に気付き、は驚いた様に目を丸くしたまま見詰めている。
そして少ししてから、本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「…………あはっ、良かったぁ!」
「!!!」
その瞬間、ドキン!と胸が高鳴り、その笑顔に釘付けになった。
が笑った時、まるで陽の光に照らされた様に眩しく感じたのだ。
その笑顔はまるで無邪気な幼子の様で、いつも皆の前で見せているのとは違う様に思う。
とても何百年も生きている仙人には見えない。
自分の鼓動が早鐘の様に打っているのは、意表を突かれた所為なのだと思っていた。
だが、その事を自覚しても平静さを取り戻す事無く、私の胸の高鳴りは治まらなかった。
―― なぜだ?なぜ私はこんなにも動揺しているのだ?
動揺を隠せずにいる私に、が微笑んだ。
「……やっと笑ってくれたな、聞仲」
「!? ………どう言う事だ?」
「ワシはずっとお主を見ておったのだよ。
……そう、お主が金ゴウ島の道士になる前からな」
「道士になる前……だと!?」
一瞬、私は無意識に身構えた。
ここは元始天尊が造りし封神台の中。金ゴウ島の導士であった私にとって言わば敵陣。
何か弱味でも握られ、それを盾に私を利用しようと目論んでいるのでは?
思いを巡らし、目を細めを見据えた。
あからさまに警戒する私の態度に、は眉をハの字に下げ困った様に肩を竦めた。
「相変わらずじゃのぉ。
そう警戒するな聞仲、ワシは何も企んどりゃせんよ。
第一、もうお主とは戦う理由はないではないか?」
「………!」
――― そうか、私は太公望に破れたのだったな……。
言葉に詰まる私は思わずから目を逸らした。
そんな私に構う事無く軽く肩を竦めると、私の横に腰を下ろし、彼女は懐かしそうに空を見上げた。
「あの頃は仙人になる為の修行の真っ最中でな、
元々異国の者だったワシは
そこで見かけたのが聞仲お主だ。
当時、若い二人……
「…………」
「二人の噂を聞く度、
『あんな若い者達でさえがんばっておるのに自分はどうなのだ?』
と、よく反省させられたものよ。
………今だから言うがのォ。実はあの頃、辛い修行に音を上げていたんじゃ。
ワシが辛い修行に耐え、張れて仙女になれたのも、お主のお陰といっても過言ではない」
神妙な顔付きでそう告白した後、はフフッと肩を竦めながらいたずらっぽく笑った。
「その頃のお主は若い生命力に溢れておった。
大した後ろ立てもいない中、一兵卒の身分から将軍にまで伸し上がった者として、民の間では英雄扱いだったのじゃよ?」
「英雄……」
「まあ、これも共に戦っていた朱家の御息女、女将軍・朱氏殿がいたからだろうて。
ほんに、朱氏殿と共にいる時のお主は幸せそうだったからのぉ。
……で、正直惚れておったのじゃろ?」
「そ、そんな事はない!その頃の私は……」
「プッ! 何もそうムキになって照れんでもよいではないか?」
「~~~~~!!!」
すっかり彼女の術中にはまってしまったのか、いつもの私らしくない反応に、自分でも戸惑った。飛虎などがこれを見たら、驚いて目を丸くするだろう。
だが、同時にそれを心地良く思う自分も感じていたのだ。
どうしてしまったと言うのだろう、私は?
その後、当時の民から見た私達の活躍話や、彼女がこっそり忍び込んだ宮中において皆にどんな評判だったのか話してくれた。
当時は只、夢中で将軍職を朱氏と共に全うしていたので、初めて知るものばかりであった。
だが、自分が懸命に殷の為に努力していた事を知る者がいて、それを評価してくれていた事が嬉しかった。
それは、まるで導士になる前の自分に戻った気がした。
あれだけ煩わしいと感じていたの存在も、今はその仕草一つ一つにも目が離せない。
私ともあろう者が、本当にどうしてしまったのか?
自分の過去を知っていると言うだけで、こんなにも親近感が湧くものなのか……
それから日を追うごとにの存在が、私の中で大きくなっていった。
今では彼女がここを訊ねてくる事を、何よりも心待ちにしている自分がいる。
私が今まで他人に、ここまで関心を抱く事などなかったのに……。
いつもは彼女の話を聞いているだけの私であったが、彼女の事をもっと知りたいと思い、ある時何気なく聞いてみた事があった。
「ん? ワシの考え方……要するに思想について知りたいのか? お主が?」
「あ、ああ……」
は目を丸くして驚いた様に私を見た後、「そうか」と一言呟き、今まで見た中で一番嬉しそうに笑った。
―― はこの大陸より東に位置する島国から幼い頃親に連れられて海を渡って来たのだそうだ。
中国に来た当初は父親や弟がいたが、病で倒れ、その後は天蓋孤独の身となった。
仙女の誘いを受けたのは、すぐその後の事らしい。
「ワシは亡くなった弟と約束したのだよ、『花のように生きる』と……」
「花のように……??」
「フフ。まぁ簡単に言うと、
見返りを求めない生き方……『無償の愛』……って事じゃよ」
「見返りを求めない……生き方……無償の愛……」
その言葉に私は胸を貫かれた。
花は自ら咲いて見る者を和ますが、その見返りは何一つ求めてはいない。
花はそれでも何の不満もなく、相手の喜びを自分の喜びとして受け止め、咲いているのだと彼女は言う。
―― 無償の愛 ――
何という崇高な響きだろうか?
見返りも賛美の言葉すらも強要せず、只、与え続ける存在……。
今までそんな事を考えた事もなかった自分を、とても小さく感じた。
彼女にとっての無償の愛とは、あの『許し』を含んだ美しい歌なのだ。
歌う事によって聞く者全てが癒される……。
「この言葉をくれたのは弟なんじゃよ。
弟は優しいヤツだった……ワシなんかよりもずっと仙人になれる素質があったというに、この世とは不条理なものよな……」
「……………」
「だが、ワシの国にも魂は不滅だという考えがあってな、
肉体は死んでも魂は残り、幾度も生まれ変わる事が出来る……と。
―――まぁ、これはここ封神台に来てから確信がもてたのだがな。
魂が死なぬなら……
何度も生まれ変わる事が出来るのなら、ワシの次の人生は又、人に生まれたいと思う。
例えそれが辛く厳しいものでも、しっかりと自らの足で地を踏みしめ、前を見据えて生きたい……。
仙人から見れば人の生とは、何も出来ない取るに足らぬ虫けらの様な存在だが……
その中でこそ、本当の魂の強さが磨かれるのだとワシは思っておるよ」
「…………」
空を見上げたの横顔に思わず釘付けになる。
遠くを見詰めるその瞳は優し気で、それでいて何事にも揺るがない強い光を湛えていた。
鼓動が次第に高鳴るのが分かる。
そしてが振り返り、その瞳が自分に向けられ誇らし気に笑った時、何かが私の中で弾けた。
――― これは自分の求めていたものだと。
そう感じた瞬間、が無性に愛おしく思え、目の前の眩く光る玉を抱こうと無意識に手を伸ばした。
だが ――――
「あ………」
その手はの体をすり抜け、無情にも空を切った。
その反動で地面に手を着いた私は、自分の手を見詰め、少しの間呆然としてしまった。
忘れていた……。自分にはもう身体はないのだと言う事を。
「聞仲……?」
が驚いた様にこちらを見ている。
当然だ。互いに触れられない魂魄体だと知っているにも関わらず、この様な行動を起こしたのだから。さぞや彼女の目には滑稽に写っていた事だろう……。
「聞仲……今のは……」
「フッ……。私は一体何をしているのだ?」
自嘲ぎみにそう呟くと、私は恥かしくなり地面に視線を落としたまま、深い溜息を吐いた。
てっきりは、私の行為を笑い飛ばすと思っていた。だがこの後、彼女は躊躇う様な小さな声で問い掛けてきた。
「聞仲、お主……。
私に……その……触れようとしてくれた……のか?」
「……だ、だが、忘れていた! 魂魄体では抱き締めようにも、触れられん事をな……」
今までとは違う控えめな彼女の物言いに、調子を狂わされたのか思わず本音が出てしまう。
訂正しようと慌てて振り向くと、私の目に映ったのは今にも泣き出しそうなの顔であった。
「聞仲が……聞仲がワシを……抱き締め様と……必要としてくれた……。
嬉しい……凄く嬉しい……」
ポロポロと大粒の涙が彼女の頬を濡らす。
彼女の意外な反応に、私は目を丸くして驚いた。
なぜ彼女は泣いているのか?なぜ彼女は嬉しいと言ったのだろうかと……。
ありがとう……。と何度も感謝の言葉を口にする。その伏せた瞳からは止め処なく涙が零れてくる。いつもの飄々とした彼女の姿からは想像も出来ないその様子に、どう対応して良いのか流石の私も困惑した。
何も出来ぬ私が戸惑っている間に、は深呼吸をした後、無造作に涙を拭う。
そして泣き腫らした顔を見られたくないのか、それとも照れ隠しなのか、後ろ向きのまま肩を竦め言葉を続けた。
「ふふっ、ワシもまだまだよのぉ……。
見返りを求めぬ生き方をしようとしているのに、聞仲の言葉がこんなにも嬉しく思うとはな」
「え……?」
「それに……やはりワシは欲張りかもしれん。
ワシもお主に触れたいし、抱き締められたいと思っておるのだから……」
「どういう事……だ?」
「もう! 相変わらずの朴念仁じゃのう! ハッキリ言わんと分からんのか!?
ワシはずうっと昔からお主を好いておったのだ!
その……所謂ひ、一目惚れじゃ!
でなければ、お主の事をそこまで細かく知っている訳がなかろうが!
……乙女心の分からぬヤツめ!!」
「なッ……!?」
少女の様に頬を膨らませ、私を睨み付ける。
ところが私と視線を合わせるや否や、彼女のその顔は火が点いた様に真っ赤になってしまった。
「う…! そ、そんなに見詰めるでない!は……恥ずかしいではないか。
その……も、も、もう帰る!!」
彼女は自分の顔が赤いのが分かったのか、慌てて隠すと捨て台詞を残してその場を去ってしまった。後に残ったのは、その場に呆然と立ちつくす私だけだ。
彼女の言った言葉を思い返し、その意味を理解した途端、不覚にも顔が熱くなる。
きっと今の私は彼女同様、耳まで顔を赤くしているのであろう。
「…………私も、人の事は言えんな」
心地良い風が吹き抜け、その風が火照った顔を冷ましても、自分の鼓動は止む事はなくいつまでも煩く鳴り響いていたのだった。
それから三日程して再びはやって来た。
以前の出来事もあり、どんな顔をして会えば良いのか正直私は困惑していた。
だが、三日ぶりに会った彼女は私の気持ちを他所に、何事も無かった様な以前と同じ態度であった。
肩透かしを喰らった様に、全身の力が抜ける。
あの彼女の告白は一体何だったのだろう……?
これが所謂、女の気まぐれと言うものなのだろうか?
それとも、これも彼女の術中の一つなのだろうか?
いくつもの疑問符が頭の中を飛び交い、私は深い溜息を吐いた。
そんな時、後ろ向きのままがポツリと呟いた。
「その……すまん聞仲。
長い事片想いとやらをしていたものでな、どう接すれば良いのか分からんのだよ。
照れ隠しと言うか、何と言うか……。う~ん、やはりこういった事は難しいのぉ」
戸惑いながら話す。耳が赤くなっているのは私の見間違いではあるまい。
その仕草に愛おしさが込み上げ、堪らず後ろから抱き締める様にの体を包み込んだ。
一瞬彼女はビクリと体を震わせたが、私の名を囁くと回した腕に手を添え、嬉しそうに微笑んだ。互いに触れられないと分かってはいても、こうすれば少しでも体温が感じれる気がして、私達はいつまでもそうしていた。
そうか、忘れていた…これが人を好きになるという気持ちだ。
その満たされた心に、私は初めて泣きたいくらいの幸せを感じたのだった。
そんなのんびりとした幸せな日々は、しばらく続いた。
途中、
どうやら人間界ではとうとう周軍が殷の間近にまで迫っているらしい。
今の私にはどうする事も出来ない。
張奎の必死に縋る様な瞳に、私は諭す事しか出来なかった。
只、私の為に戦うな……と。
項垂れる張奎。だが、これは彼しか乗り越える事が出来ない試練なのだ。
きっと彼ならば乗り越えられる。そう祈りながら送り出した。そんな時……
封神魔列車のホームでは、何やら騒ぎが起こっていた。
嫌な予感がして慌てて駆けつけると、そこではなんとと太公望が言い争っていた。
彼らの言い争いの内容は判らなかったが、張奎の妻・
そう言えば、以前彼女がそんな事を言っていたのを思い出した。
まさか本当に実行するとは……。
彼らの争いは互いの罵倒だけでは収まらず、とうとう肉弾戦までに発展してしまった。
封神台の内部という事もあり、宝貝こそ使用しなかったが、カンフー技を駆使した壮絶なバトルが繰り広げられていた。
太公望が手加減していたのか、それともが強かったのか、争いの結果、彼女の勝利に終わっていた。
歌姫の意外な一面を見てしまった者達は、青くなって腰を抜かす者さえいた様だ。
彼女はキレるとこれ程までに強かったのか……。
あの、戦いにおいては抜け目のない崑崙山きっての天才導士が、一介の歌姫にここまでボロボロにされるとは……。
その予想外の結果と、彼女が目指している『花のように生きる』という崇高な生き方からかけ離れた破天荒な行動に、思わず吹き出してしまった。
肩を小刻みに揺らしながら、声を出して笑う。それは私にとって初めての事だった。
「くっ……!ふ……ふふっ……はっ……はははは!」
「ぶ、聞仲……さま?」
張奎を始め、その場にいた者達は皆、私に注目し、目を丸くして驚いていた。
そんな私に気付いたは、倒れた太公望を足蹴に誇らしげに親指を立てていた。
花のように生きるには、まだまだ修行が足りない様だな、?
「おおっ聞仲、見ておったか!やったぞ♪」
「ぐぬ~~っ! 不覚……だっ……ガクリ……」
の影響で随分変わったと、飛虎やかつて知ったる者達に驚かれる中、再びゆるやかに時は過ぎていった。
人間界では殷が周に倒され、再び戦いの舞台が仙人界に移された。
異空間の
太公望は
彼の宝貝・
その不足したエネルギーを補うのが、ここ、封神台にいる我らの役割なのである。
いつの日か訪れるであろうジョカとの決戦の為、元始天尊はこの秘密兵器とも言える封神台を彼女からひた隠しにしていたのだ。
ジョカとの戦いは壮絶さを極め、地上にかなりの被害を受けながらも辛うじてこちら側の勝利に終わった。
伏羲である太公望の生死は不明のまま、仙人界では
新たな世界を築く復興の最中、私は神界と呼ばれる所で、元封神台メンテナンス係の柏鑑から衝撃の報告を受けた。
「が……死んだ……だと?」
あのジョカとの戦いの最中、危険を顧みず、彼女は村人達を一人でも多く助ける為、地上に降りていたのだそうだ。
避難誘導している際、不幸にもジョカの攻撃を受けてしまったらしい。
その報告を受けた瞬間、私の頭の中は真っ白になった。
ようやく見つけたささやかな幸福を、愛しい者を、私はまた失ってしまったのか?
過去の記憶が蘇り、心臓を鷲掴みにされた様な苦しさで息が詰まる。
色々な思いが交錯し、混乱する頭で懸命に気持ちを落ち着かせようとした。
「そうだ……肉体は失っても、魂魄は消える事はない……。
仙女であるなら、この神界に来れるはず……。ならばきっと……!」
広い神界の中、私は一縷の望みをかけての姿を捜し求めた。
だが ―――
捜せどは見つからず、彼女の姿を見たという者もいなかった。
何故だ、何故なのだ?一体彼女はどこへ行ってしまったのだと言うのだろう……。
途中、そんな私を見兼ねた飛虎が、の捜索に手を貸してくれた。
二人で手分けをして捜してはみたものの、依然と彼女の消息は掴めなかった。
「一体どこ行っちまったんだろうな? あの歌姫さん……。
いくら死んだとはいえ、お前がここにいるって言うのに、会いにも来ねェなんてよ」
「…………」
分かっていた……。がいないであろう事は、捜し始める前から薄々感じていた。
封神台にいた時にはどこにいても分かっていた彼女の気が、今は全く感じられないのだ。
私は捜すのを諦め、力なくその場に座り込んだ。
飛虎がいるにも関わらず、まるで置いていかれた子供の様に、悲しさと空虚さが胸を占め込み上げる涙を止める事なく泣き続けたのだった。
「お、おい聞仲…………」
どのくらいそうしていただろうか…?
いつしか涙も止まり、考える事をやめ、ぼんやりと地面を見詰める私に爽やかな風が私の頬を軽く撫でた。
それに気付き、ふと隣を見ると飛虎が横になって眠っていた。
どうやら彼が気を利かせて人目につかない様、この場所に運んできたらしい。
飛虎の心遣いに感謝しつつ、自分がこうも容易く感情的になる事に恥ずかしさを覚えた。
気持ちを落ち着かせようと、深呼吸を繰り返す。
魂魄体では感覚が薄れてはいるが、木々に囲まれた自然の中、爽やかな空気は私のもやもやとした胸の曇りを少しづつ取り払っていった。
改めて周りを見渡せば、そこは以前私とが語り合った場所であった。
「そうか……この神界は元々、封神台を元に創られたのだったな……」
自らの想いによって創り出される空間に、私は無意識にあの懐かしい場所を創り出していたのだ。
よろよろと立ち上がると、よく二人で並んで座った目の前の岩の上に腰を下ろす。
いつも自分の隣で他愛もない話を楽しそうには話していた。
その時、ふと私は彼女の語った言葉を思い出した。
『魂が死なぬなら…
何度も生まれ変わる事が出来るのなら、ワシの次の人生は又、人に生まれたいと思う。
例えそれが辛く厳しいものでも、しっかりと自らの足で地を踏みしめ、前を見据えて生きたい……。
仙人から見れば人の生とは、何も出来ない取るに足らぬ虫けらの様な存在だが……
その中でこそ、本当の魂の強さが磨かれるのだとワシは思っておるよ…… 』
「!?」
その瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「そう……か……。ははそこにいたのか……!!」
「うわっ!? 何だ何だ??」
私がいきなり声を上げた事で、今まで眠っていた飛虎が驚いて目を覚ました。
そんな飛虎に構いもせず、私は震える両手を見詰めた。
彼女は人として生きる事を望んでいた。
ならば仙人という永遠の生の呪縛から解放された彼女は、きっと地上に生まれているに違いない。
なら、迷う事無くそうするだろう……。私のならきっと……。
「おいおい、一体どうした聞仲?今、あの歌姫さんがどうのって言ってたみたいだが……」
「飛虎……私はこれから人間界に降りようと思う」
「人間界!?いきなり何言い出すんだお前!
……それに第一、あの元始天尊が許可する訳ねェぜ!干渉するのはご法度だからな」
「分かっている。……だが、仙人として人間界に干渉するするつもりは無い」
「だったら何をするつもりなんだ?」
「…………人として生まれる為だ」
「!!!!」
「……が人として生まれたかもしれんのだ。
私も……私も彼女と共に、もう一度人として生きたいと思う」
「何だって!?それって、仙人としての力も失っちまうって事だぞ!
それに……あの歌姫さんが何処に生まれたのか、お前は知っているのか?」
「いや……。だが、必ず見つけてみせる」
「だがな、聞仲……!」
私を思い止まらせようと何度も反論する飛虎。
それでも変わらず、黙って真っ直ぐ見詰める私に、決意の強さが分かったのか飛虎は開きかけた口を閉ざすと、呆れた様に肩をすくめた。
「―――ったく!頑固なのは昔っから変わらねェな、お前ェは……」
ボソリとそう呟くと、それ以上は何も言わなかった。
只、深い溜息を吐いた後、彼は「ま。がんばれよ」と短いエールを送ってくれたのだった。
この後、神界から突然姿を消した私を危険と見なし、元始天尊達が必死に捜索したのだが、結局見付ける事は出来なかった。
それもそのはず。今までの仙人の力を捨て、何の力もない人間に生まれ変わろうなどと、誰も予測出来なかった…すなわち、人間には捜索の手が及んでいなかったのだ。
神界での混乱は私の知る所ではなかったが、飛虎が上手くやってくれている事を願うだけである。
が何処に生まれ落ちたのか皆目分からなかった。だが、捜す手がかりは知っている。
それはの唄う歌声だ。
たとえ私が人として生まれ落ちた瞬間、今までの一切の記憶を失おうとも、唄ってさえいてくれるなら、私はそれを道標にしてお前を捜しに行こう……。
どこにいても、どんな状況下においても、私はお前を必ず捜し出す。
そして共に生きよう。
今度こそ、幸福になる為に……